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悪党という言葉はあるのに、なぜ善党が無いのか。

論語や東洋哲学といったものを、勉強するとまでは言い過ぎだが、この手の本を読み考えると、本当に面白い。

ある時、下記に記す様な文章がかかれており、なるほどと考えさせられた。

チビの反語はノッポ、明の反語は暗、であるように、日本語には反語というものがある。

その理屈でいけば悪、の反語は善、であるのは当然である。
そして悪が集まると悪党と言う。

しかし悪党の反語に、善党という言葉はない。

悪貨は良貨を駆逐するという諺があるが、何故善が悪に負けるのか。

そう考えた事はなかったので、この言葉を論語の勉強で読んだ時、何故多くの本を読んできて、こういう事に気づかなかったのか情けなかった。

ここからは私の解釈である。

10人の人がいて、目の前に100万が落ちてあるとする。
この100万はある事情で、盗んでも黙っていれば絶対にバレないと仮定する。

ここで「泥棒は悪い事だからバレなきゃ良いという物ではない!」と、先陣を切り言える人が何人いるだろか。

言った人が居ても「絶対バレない100万で、言わなければ一人頭10万だよ」と言う悪がいれば、必ず多くの人がそれに賛成する。

それに反対する人はまず少数派だから「変わった奴」と言われる事は目に見えている。

答えは「今バレなくてもいずれはバレる。その時は盗んだ軽い気持ちの時より君達は悪い人だと思われ、取り返しはつかぬ。だから思悪だけでつるむ様になる」。という事だ。

こうして悪貨が良貨を駆逐させない様、教育に言葉を多く覚える事は良い事だ。だから本を読め、と私はうるさく言う。

私は弁護士と争う時、法律では許されてるが人道的におかしいと思う事は特に徹底して争う。裁判所で争う時以外は、あくまで任意の交渉なので、何も法律が絶対では無い。

親は、子供がご飯を食べる時「肘をついて食べちゃダメだ」と教える。

法律上、肘をついてはいけないと言う法律はない。しかしそう教える。これも道徳教育の一つであるし、正しい。

子供はいずれ少年となり、そして成人となる。なるにつれ悪党に染りやすい。こうなる手前にことの善悪を叩き込むと意外に、変な道へは行かない。

反面、正義だ正義だと振り翳し過ぎれば、ある時正義が過ぎて世に溶け込めない。辻褄の合わない事が起きる。

なので、ある程度の譲歩も教えなければならない。
「清濁合わせ呑む」と言う事も知り、考え教えねばならぬ。

言葉と言うものは本当に大事だ。

私の母方の祖父は、最後は千葉県で晩年を過ごしたが、五市合併前の北九州の戸畑市の市会議員で、その後全国区の参議院議員選挙に出て、1着差で落ちたと言う人だった。沖縄がまだ日本ではない頃の事である。

「ある議員が昔、当選確実が出たのに票を読み間違え落選となって、当確マークを取った事がある。それから民放各社はNHKが当確を出すまで出さなくなった」という話を聞いた方もいると思うが、あれは我が祖父の事である。

実際この時、祖父が何十万票獲り、東京の何区から出たかの経緯まで文献に残っている。かの笹川良一さんとも仲の良い人だったそうだ。

このお爺ちゃんの言う事は絶対だ、と母親から教えられた私は、ある日、国鉄の駅の白線から飛び出して遊ぶ私に「白線から出たら悪い人だ」と教えられた。

それから馬鹿の一つ覚えで「お爺ちゃん、あの人悪い人よね?」と白線から出た人を指差していた、
約50年前の事なのに、昨日の様に覚えている。

何歳の時だか忘れたが、千葉県にマザー牧場ができた時、祖父と弟の3人で遊びに連れて行ってもらった。

帰りのバスを待つ時、バス到着と同時に祖父が先に並んでいた女性を突き飛ばし先に乗った。それから私は祖父を信じられなくなる。

これを母に言うと「譲らないその女の人が悪い」と言うので「祖父が女の人を後ろから不意打ちで突き飛ばした」旨説明するのに「お爺ちゃんは疲れていたんだろう」と言う。

それから所謂エリートという人を、一時嫌いになる。

祖父は「白線から出たら行けないのは、危ないしお前が死んだらいけないからだ」と教えるべきで、女性を突き飛ばさず「私は老体なので申し訳ないが席を譲ってくれませんか?」と言うべきだった。

逆に父方の祖父は炭坑夫で、学のない人だった。行儀も教養も何もなかったが、お人好しで偉ぶらず、人として悪い事はしなかった。飾らず面白いので大好きだった。

私の父は1年中、家におらず、私は小学生で物事の組み立てを自分で考える癖がつき、人に頼ることを知らず少・青少年期を過ごした。

今でも何でも自分で処理し、物事に動じず、思想学者の様にものを考える。中学生でグレるまで私の先生は書物だった。

過ぎ去った事をあれこれ言わず、今も本を読み子供や少年をどうにか真っ当で、当たり前の子に育てたい、と現在教育をしている。

私の様な環境の子も、うちに来れば助けてあげたいと言う気持ちは、私の様に1人で何でも担ぎ、考え、物事を解決しなければならぬという子であった、過去がそうさせていると思う。

YANAGIHARAジムの子は善党だ。
そう言われる教育をしているし、現にそうである。悪党が生きにくい環境のジムにしてあるから、これが解らない子は自然と辞める。

この手は親が悪い。世の中そんなに甘くは無い。
素直さの無い子はもう助けれない。自分自身が、1人で悪から善になる難しさを知る人生だった私だからこそ言える事だと思う。

日本の9割が善であれば良いが、この国の政治が悪なので、せめてうちのジムを。次に北九州を。そう考えると毎日が楽しい。

みんな子供のうちから本を読め。
分からない事は聞いて来い。

こんな土壌を何故、皆作れないのか。何故利他的すぎるのか?今の資本主義が本当に一番正しいか?

コロナが来て不平不満をいうマスコミや、自称評論家なんか見ず、1人でも多くの人に子供達の将来を考えてほしい。

善か悪かは、法律ではなく人の心の中だ、と説かねばならん。

善が悪に負けることが絶対にあってはならん、と思う。


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