突然ですが、東京海上を辞めます
(Twitterはこちら → @yanagi_092)
前回記事のとおり、数社から正式に「内定通知書」を受領しました。どの会社に行くか決めていませんが、取り急ぎ、勤務先の東京海上に退職の通知を行うことにしました。
退職の前に「昇格の有無」の連絡
転職活動をしていて忘れかけていたのですが、東京海上において昇格の通知は3月上旬に実施されます。以下noteのとおり、昇格に重要な中間評価の時期(11月通知)に、「奴隷」区分の私に評価が付かないことが分かり、転職活動に重きを置いていたので、あまり期待はしていませんでした。
ということで、フィードバックを受けるべく、別室に呼ばれました。
複数社から内定の話があったので、この場で上司に対して突っかかる意味もありませんでした。予想されていたとはいえ、出世のレールから外れ、サラリーマンとして「奴隷」の身分が確定すると、原則的には抜け出せないことが分かり、何とも言えない気持ちになりました。まさに、現代の蟹工船。
しかし、私にも人生を前向きに生きていく権利があります。このまま奴隷に成り下がるつもりはありません。未来を変えるために、退職届を突き付けることを改めて決意したのでした。
上司のスケジューラーに予定を入れる
決戦に向けて、翌週の空いている時間で上司のスケジュラーにダミーの予定を入れました。
ついに、上司の予定を入れました。もう、後戻りはできません。このダミーの予定を使って、退職を通知します。とはいえ、何を言うか、どう切り出すか、考えただけでも緊張で手から汗が吹き出します。しかし、退職にあたっては避けて通れない道。迷っていたら、何も始まらない。まずは上司のスケジューラーに予定を突っ込むことを優先しました。
そして、話すことは「6月末で辞める」という点に絞りました。有給休暇も併せて話すと混線するので、「6月末で辞めること」の通知だけをゴールとしました。
決戦の日は1週間後。未だかつてない緊張感が、私を支配します。色々なことを考えてしまい、「あぁ、何て言おう・・・、どんな反応されるのかな、めっちゃ怒り出したらどうしよ、やっぱり最初からiphoneで録音しておいた方が良いかな・・・」等、心配ごとは尽きません。
それでも、無常に時は流れ、いよいよ運命の日が訪れます。
退職の通知
ここで私は、「退職のご相談」や「退職のお願い」とは言いませんでした。なぜなら、期限の定めのない正社員の退職は、一方からの通知で足り、双方の同意は不要だからです。とても緊張したのですが、とにかく「6月末の退職を言い切る」ことだけをゴールとしていました。
このように、「辞めさせない」「ふざけるな」等の無茶苦茶なことは言われず、退職日については上司からの「お願い」を受ける形となりました。
そして、その後も様々な話をしたのですが、最後は「君の人生を応援する」と仰っていただき、とても嬉しかったです。やはり、録音等をせずに、上司を信頼して良かったと思いました。
退職へのカウントダウン
この年の期末決算は大変でした。多発する災害の影響で会計的な論点も多かったのですが、それだけではなく、緊急事態宣言の影響により半数以下の出社で期末決算の対応を迫られ、急遽、リモートを前提とした財務報告に係る内部統制の整備をしたり、イレギュラーの連続でした。
親しい人には退職の旨を伝えていたのですが、多くの方から「辞めるのに、よく頑張るねぇ・・・」と言われました。確かに、なぜ頑張っているのか、自分でもよく分かりません。有給休暇も膨大に余っていましたので、期末決算をやらずに退職の6月末までずっと休むこともできたのです。私が臆病な人間で、嫌われる勇気が無いからでしょうか。それは少し違うような気もしています。
新卒から15年間に亘り、東京海上でお世話になりました。理不尽な配属ガチャを経て、自動車損害サービス部門における苦情まみれの仕事に嫌気が差し、もがいて、もがいて、空回りしながら、ようやく辿り着いたコーポレート部門。そして、そのなかでも一番行きたかった経理部・主計グループ。色々あって残念ながら辞めることになりましたが、この15年間を自分の中で誇れるように終わりたい、そんな思いがあったのだと思います。
とはいえ、有給休暇を活用してUSCPAの勉強を進めたかったので、期末決算の対応が終わる5月下旬から退職の6月末までは、ガッツリ休む旨を上司に伝えることにしました。
このような形で、最後の6月は、たまに出社して引継ぎという形態にしました。結局、USCPAの試験を一度も受けずに東京海上を退職することになるですが、この有給休暇を活用して一気に勉強を進めたのでした。
(次は最終回)
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