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自己紹介(終身雇用からの脱却)

(Twitterはこちら → @yanagi_092)

私は2000年代中盤に東京海上へ入社しました。新入社員の「トキオマリーン、うぇーい」「おまえ、ベンチプレス何キロ?」的なキラキラ系のノリについていけず、その後は自動車保険の支払業務が好きになれず・・・、と波乱万丈な会社生活を送ってきました。そこで、私のキャリアの全体像をお示しすると以下になります。

時系列

あと、私の資格のことについてもご興味がある方もいるようで、個別にお問い合わせを頂戴しています。私の資格勉強は挫折だらけで参考にならないかもしれませんが、もし気になる方がいたらご覧ください。

最初

うーん、撤退しすぎぃ・・・

なお、私は東京海上の損害サービス部門に配属となったのですが、部門の説明は以下の記事ご参照ください。


自動車損サ(1-5年目)

損さ

最初は、自動車保険の交通事故に関する支払実務(通称「損サ(損害サービス、損害サポート)」)を担います。罵倒や苦情まみれの世界で、要するに示談屋さんです。このときから「日本全国を転々としながら、この仕事で生涯を終えるのは嫌だ」と考えるようになり、アクチュアリー試験を受けてみるも不合格のラッシュ。

第二新卒で転職を試みるも、良い転職先が見つからず。その時に考えたのは、

石の上にも3年というから、3年間マジで自動車示談の世界を極めてみよう

そこから、凄まじく自動車保険を勉強しました。約款解釈の社内イントラのQ&Aは全てプリントして、家で単語帳のように理解&記憶をしました。マニュアルも全て読み込みました。裁判例の解説等が載っている「赤い本」も読みまくり。それだけでは足らず、以下の「注解 交通損害賠償算定基準」も読みました。この本、割と良かった記憶があるので、損サの方はご参考です。


そして、石の上で3年が経って、改めて考えました(4年目のとき)

多分、自動車保険は極めたと言ってもいいくらい頑張ったし、めちゃめちゃ勉強した。石の上で3年間、真剣に踊り続けた。それでも結論は変わらない、やはり「自動車の示談を生涯の仕事にはしたくない」

「自動車の示談を生涯の仕事にはしたくない」、、、世の中に必要な仕事であることは分かります。それでも、市場価値や給与は関係なく、この仕事が好きになれなかったのです。「好き・嫌い」といった主観的な感情に振り回されるのは良くないかもしれませんが、これだけやっても「嫌い」という私の心の叫びは、もっと大切にしよう、フタをするのではなく真剣に自分と向き合おうと思ったのです。

とはいえ、当時はリーマンショックによる不況の影響もあり、転職も難しい状況です。色々考えながら街を歩いているうちに、とあるものを目にします。

公認会計士の合格率上昇中(30%超)!! 社会人でも今がチャンス!

私はこれに飛び乗り、授業料70万円を支払って、自動車示談の世界からの脱出のために勉強を開始しました。

損サ企画(6-9年目)

損業

自動車保険の勉強をしていたのが評価されたのか、損サの本店統括部へ異動しました。更に、ここでは企業系の賠償責任保険とか保証信用保険を担当することになり、めでたく自動車示談の世界からは卒業しました。また、「出世の壁(前哨戦)」も難なくクリアし、順風満帆なキャリアだったのではないでしょうか。

そして、ここでの仕事はとても楽しかったです。多くの人が「早く現場に戻りたい~、本店の仕事はしんどい~」と言うのですが、私は「自動車の現場には戻りたくない・・・、ここの方が頭を使う感じでいいやん」と思っていました。

しかし、損サ企画に異動して分かったのですが、損害サービス部門は全て自動車損サが中心に回っているのです。歴代の部長や役員も全て自動車損サ出身だし、保険金の支払システムも全て自動車損サが中心の構造。せっかく企業系の保険を担当するようになったのですが、損害サービス部門で出世をするには、自動車損サで名を上げなければならないことを知りました。

なお、損害サービス部門においては20年以上前から「火災新種保険の活躍!」を言い続けていますが、相変わらず自動車損サが幅を利かせている世界です。今後は自動運転で事故が減少することもあり「これからの損サは火災新種保険の時代だ!」という声も聞きますが、ずっと同じことを言い続けていることを踏まえると、どうでしょうかね。

いずれにせよ、損害保険会社の売上の半分以上が自動車保険であることを考えると、自動車損サからは逃れられないと考えていました。

そして、引き続き公認会計士の勉強をしていたのですが、リーマンショック等の不況により公認会計士が余ってしまい、それ以降は合格者を絞るとのことで合格率が30%から5%に激減しました。ちょっと社会人が受かるようなレベルではなくなったので撤退。科目合格制の税理士にチャレンジしますが、これも受からない。

「撤退ばっかりで、全然あかんやん・・・」と絶望していましたが、社内公募で「財務企画部」のポストが掲示されました。ここに応募&面接をしたところ、色々勉強していたこともあって、無事にコーポレート系への異動が実現したのでした。

財務企画(10-13年目)

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ここでは、10年目に「出世の壁を越えた」認定を受けました、順風満帆なキャリアですね。

しかし、上図の12年目に人事制度の改定があって、制度改定のイレギュラー対応ということで、13年目に改めて人事等級の引き直しがありました。私は「出世の壁を越えた」認定を受けていたので、新制度でもその前提で等級の引き直しがあると思っていたのですが、結果は「出世の壁を越えていない等級」ということになりました。

財企画2

特に不祥事を起こしたわけではないのですが、原因としては出世に大事な時期(10-13年目)に社内の所属カンパニーを変えてしまったこと等が原因として挙げられます。この辺りは、今後詳しく書きたいと思います。

経理・主計(14-15年目)

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「出世の壁、やっぱ超えてないわ」問題の後、経理部に異動し、決算諸表の作成に携わることになります(主計業務)。従前から財務会計の勉強をしていましたので、この異動は嬉しかったです。

なんとか出世を挽回しようと、本当に死に物狂いで働きました。深夜残業も厭わず、「あっ、今月は1日も休んでない、31日間ずっと会社行ってるわ…」という月もありました。働き過ぎて、頭痛が止まらない時期もありました。しかし、出世の壁の外と認定されてしまうと、どんなに頑張っても挽回が難しいことが分かりました。

もう、十分に頑張った。「出世」という名の届かないニンジンを追いかけて、奴隷に甘んじるのは終わりにしよう…


閉ざされた世界からの脱出

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私に残された選択肢は2つ。ほどほどに労働をしてコスパを目指すか、転職をするか。

私は転職を選びました。ここで私の背中を押してくれた言葉があります。

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.(アルベルト・アインシュタイン)

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常識とは、多くの人が過去の経験則に基づいて「正しい!」と思い込んでいることの寄せ集めであり、それは精度の悪い多数決に過ぎません。日本型終身雇用の会社で「がむしゃらに」働くことが幸せに繋がるという「常識」からの脱却を図るために、転職活動を開始します。

面接の過程では好反応な企業も多く、「俺って、思った以上に世の中から必要とされているんだ」という事が分かり、出世を閉ざされた絶望のなか、嬉しくて涙が止まりませんでした。

このような経緯から、外資系企業に転職をして、現在に至ります。東京海上の時から勉強していた米国公認会計士は、転職後に最終合格をしました。

なお、以下に「幼少期~社会人になるまで」も書いておきましたので、ご興味のある方はどうぞ。

(以上)

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