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テレビが置かれている状況ってさ

今や、スマホがあればマンガも読めるし、音楽も聴けるし、映画も見られる。「スマホの画面に映し出されるもの」は、同列のコンテンツということになる。 だから、テレビ局のライバルは、ほかのテレビ局だけではもちろんなくて、ネットフリックスやアマゾンプライムといった外資系の配信会社もそうだし、出版社やミュージシャン、さらにはポッドキャストやYouTubeが登場したことで生まれた制作者たちまで含まれる。 つまりは『可処分時間』をどうやって頂戴するかということで、それゆえドラマはマンガが

    • つらつらと『養子』から『シングル里親』までのことを。

      とにかく、偶然だった。  2016年。福島から東京に戻ってきて、たまたま担当していた番組で、たまたま『養子』を取り上げた回をお手伝いすることになり、ちょうどそのとき1本だけ作ることになっていた『ねほりんぱほりん』で取り上げたらいいのではないかと思った。その『養子』回、非常に評判が良かった。年末の放送だったのだが、「各局が特番を放送するなか、『ねほりん』は通常回で神回」という言葉が特に記憶に残っている。制作者としてうれしい言葉だった。  その2年後、担当番組が終了となり、

      • 2015年に放送した「被災地 極上旅」のあとに書いたこと。

        2015年、福島局のディレクターとして「被災地 極上旅」という番組を制作した。福島県いわき市の観光課の女性たちと、ふだんはなかなか観光マップに取り上げられない、地元のおすすめスポットを取材して、新たな観光マップをいっしょに制作するというちょっと変わった番組だった。 (実際につくった地図は、初版2000部が放送後1日で全部なくなった) その放送後、会社の内部向けに書いた文章が、Facebookの思い出機能のおかげで掘り起こされた。今読んでも「そうだよな」と思うことばかりだったの

        • 6月3日(金)22:30-『今君電話』について

           「どんなことでもいい。何か話したいことがあったら電話をかけて」 この言葉とともに、カンニング竹山さんがご自身のSNSに電話番号を公開。 誰がかけてくるかわからない。どんな話を聞くことになるかもわからない。  そんな今の君のことを電話で聞く番組『今君電話』の第3弾が、6月3日(金)22:30からNHKのEテレで放送されます。 少しでも多くの人に見てもらいたいのもあって、ディレクターとしてどんな思いで制作しているのか、書いてみようと思います。  そもそも、この企画のきっかけ

        テレビが置かれている状況ってさ

        • つらつらと『養子』から『シングル里親』までのことを。

        • 2015年に放送した「被災地 極上旅」のあとに書いたこと。

        • 6月3日(金)22:30-『今君電話』について

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene51

           2011年3月11日に起きた東日本大震災。その直後から取材で被災地に入って突きつけられたのは、そこで暮らしてきた人たちの役に立てたのかという問いだった。あのときどうすればよかったのか?今、何ができるのか?試行錯誤を繰り返し、その先に見えてきたのが「ソリューション・ジャーナリズム」ということだった。「解決に導く報道」。ただ、課題を伝えるのではなく、どうすればいいのか、解決策を提示すること。そんなふうにも受け取られる言葉だが、私の考える「ソリューション・ジャーナリズム」は少し異

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene51

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene50

           「若者向けの深夜番組を作れないかな」 「ふくしまパラダイス」につづき、福島局の放送部長からまたもや相談を持ちかけられた。くわしく話を聞くと、5月に郡山市内の大学でNHKが開催する「復興サポート」というイベントでは、東京で制作されている番組の公開収録やイベントなどが行われるのだが、福島局としても公開収録の番組を制作したいということだった。震災5年の特番を終えた私は、どんなものを作るべきか悩んだ。実はこのときネタ切れだった。福島県に赴任して2年半、順当に行けばこの夏にも東京に異

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene50

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene49

           福島県に赴任して3度目となる3月11日を迎えようとしていた。東日本大震災から5年を迎えるこの年、多くの番組の制作が進められていた。ただ、私は1月に「社員たちの原発事故」を放送しており、改めて3月に向けて番組を制作するような余裕はなかった。そんな理由もあって3月の予定が空いており、震災特番」に助っ人として参加することになった。5年という節目の年、「震災特番」は3月11日の金曜日から13日の日曜日まで、かなりの時間の放送になるという。そのため、チームも大所帯だった。ディレクター

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene49

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene48

           結局、東京電力に対する住民の怒りは撮れないまま、撮影は終わった。そして臨んだ編集。それだけが理由ではないが、難航を極めた。まずは数日かけて、上司である福島局のプロデューサーに試写をしてもらう。ある程度かたちが見えてきたところで、東京から来た番組のプロデューサーたちの試写。しかし、「『東電も頑張ってます』みたいに見える」と一刀両断された。主人公として出演している2人の社員たちのインタビューについても「同情を得ようとしているように見える」とも言われた。社員たちと半年以上つきあっ

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene48

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene47

           2015年、秋を迎え、東京電力復興本社・楢葉町グループの撮影がはじまった。20人ほどのチーム全員に個別取材を行った上で、中心的に追いかけることにした社員は2人。1人は復興本社で数年間の業務をしていたTさん、60歳。高校卒業後、東京電力に入社。電気メーターの検針など、長年料金関係の事務に携わり、50歳の時に原子力発電所の必要性などをPRする部署に異動。福島第1原発の見学対応の業務なども担当していた。40年以上も東京電力で働いてきたTさんは、人々の生活を支えるインフラを担ってい

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene47

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene46

           事故が起きた福島第1原子力発電所周辺の市町村で、東京電力が清掃や見回りなどを行う業務「復興推進活動」。私が密着取材させてもらったのは、まもなく避難指示が解除されることが見込まれ、住民から多くの依頼が寄せられるだろうと思われた楢葉町グループと呼ばれていたチームだ。当時、楢葉町ではすでに日中の立ち入りができるようになっていた。しかし、原発事故以来、誰も住むことができなかった自宅は荒れ、庭も雑草が生い茂っていた。そんな住宅の清掃作業などを行う楢葉町グループには、社員およそ20人が

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          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene45

           震災4年を迎えようとする1年前、「あさイチ」の制作の時にも東京電力を取材したが、そのときはほんの数分のVTRだった。東京のプロデューサーや出演者などからさまざまな意見があり、思っていた以上に短くなってしまった。同じ轍を踏まないためには、退路を断つしかない。つまり、番組まるごと東京電力で描くものを制作するしかない。まずは企画書を書くため、取材に向かった。行き先は福島の内陸部の会津地方にある仮設住宅。そこには避難指示解除準備区域に指定されていた楢葉町から避難しているおよそ100

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          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene44

           「ここのところ明るい番組ばかりを制作してきたなぁ」 そんなことを思うようになっていた。「畑の味のフレンチ」からはじまり、「まちのうた」「あさイチ」「ふくしまパラダイス」「被災地 極上旅」。これらの番組が観光や食の風評被害を払拭する一助になると信じ、自分以外に明るい番組を作る人がいないこともあり、せめて自分ぐらいはと思って制作してきた。気がつけば1年半が経過し、震災からまもなく5年を迎えようとしていた。相も変わらず、福島を取り上げる番組は“重い”ものばかりだった。放射能への不

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          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene43

           「被災地 極上旅」の目標が福島県に対するイメージを変えることであるならば、全国放送にしないといけない。企画が採択された段階から、いくつかの番組にアプローチしていた。その結果、「明日へ」という日曜の朝に放送している東日本大震災の現状を伝える番組で放送してもらえることが決まった。ただし、条件が1つ。番組をそのまま放送するのではなく、完成したマップをもとにタレントが旅をするという演出にしてほしいということだった。タレントが入ることで、県外の観光客目線を番組に取り込むことができ、ま

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene43

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene42

           いわき市の“裏マップ”を制作する4人の女性。そして、その様子を追いかけるこの番組。タイトルは、もう決めていた。「被災地 極上旅」。震災と原発事故、歴史上まれに見る体験を強いられた土地だからこそ、「今のままではダメだ」「何かやってやろう」という思いを抱いた人たちが「極上」を生み出している。福島局に転勤して以来、私が肌で感じてきたことをそのままタイトルにした。被災地と極上、ともすると相反するような言葉をあえて並べることで、視聴者に違和感を抱いてもらうことができ、番組を見てもらう

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene42

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene41

           2015年8月、4人の女性たちによる裏マップ作りがはじまった。マップの中で紹介するスポットは合計14ケ所。全員一致ですぐに掲載が決まったのは、6か所。いわき万本桜プロジェクトが進められている「いわき回廊美術館」、1日1組のフランス料理店「HAGI」、そのレストランの食材を支えるファーム白石、さらにこの2人の縁が広がり、萩シェフのように地元の食材を使ったオリジナル料理を考案するようになった中華料理店「華正樓」。そして、福島第一原発の沖合で釣りをする「うみラボ」と釣った魚を調べ

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          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene40

           いわき市の裏マップを制作するにあたり、どんな場所を取り上げたいと思っているのか?愛川さんと意見を交わした。訪ねるべき場所として意見が一致したのは3ヶ所。まずは、萩シェフや農家の白石さんをはじめとする料理人と生産者グループの活動。今回の番組の取材がはじまる時には、萩シェフや白石さんだけに止まらず、中華料理やイタリアンのシェフ、畜産農家なども加わり、それぞれの店で地元の食材を使った料理が食べられるようになっていた。もちろん、ただ食材が使われているだけではなく、萩シェフと同じよう

          ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene40