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ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene48


 結局、東京電力に対する住民の怒りは撮れないまま、撮影は終わった。そして臨んだ編集。それだけが理由ではないが、難航を極めた。まずは数日かけて、上司である福島局のプロデューサーに試写をしてもらう。ある程度かたちが見えてきたところで、東京から来た番組のプロデューサーたちの試写。しかし、「『東電も頑張ってます』みたいに見える」と一刀両断された。主人公として出演している2人の社員たちのインタビューについても「同情を得ようとしているように見える」とも言われた。社員たちと半年以上つきあってきた自分としては、同情を得ようとしているとは思っていなかったが、そう見えるのであれば望ましいことではない。この番組を通して目指しているのは、東京電力にとっても果たすべき責任があることはわかっていることと社員たちもまた苦しさを抱えているのだということを知ってもらうこと。どういうかたちでなら、そのことが伝わる番組にできるだろうか。修正に修正を重ねた。何度やってもなかなかうまくいかない。編集作業は非常に困難なものだった。だが、その一方でこの番組を企画してよかったとも思っていた。今回は30分のドキュメンタリー番組で、正面から東京電力を取り上げると提案している。そのため、東電以外の映像素材はない。「あさイチ」の時のように極力短くして紹介するということはできない。東京電力の社員たちの様子を記録した番組になることは決まっていた。これまで誰も深く取材していなかった東京電力のこの復興推進活動をしっかり取り上げることに意味があるはずだ、ここに描かれていることを知ることで原発事故そのものも見え方が変わるはずだ、そう信じてどうにか番組を完成させた。

 住民たちの怒りは撮影できなかったが、社員たちのインタビューで、思いがけない言葉を記録することができた。かつては原発事故の安全性をPRする広報を担当し、まもなく定年を迎えようとしているTさん。
「事故を起こしたおまえらは加害者だろと見られているってことですよね。それは悲しいですよね。悲しいというか、僕はそこをもう少し・・・許していただきたいというところから・・・・・・・・・ちょっと甘いですかね」
「許されるというのはどういう状態でしょうか?」
「どうでしょうか。許される。許されないと思います、きっと。許してくれない。いろんなものをめちゃくちゃにしちゃいましたんで、許してもらえそうにないですよね」
カメラを向けられてのインタビューで、字義通りに受け取ることはできないかもしれない。しかし、カメラを向けられるような場所であったとしても、自分たちが許されていない立場であることを自覚しているということはわかる。おそらくこの「許してほしい」という言葉は、本人にとっても覚悟が必要な言葉だったようにも思う。「東電、許せない」と思っていた人たちが、「許してほしい」という言葉を聞いたらどう思うだろうか。私は、このインタビューで番組を締めくくることにした。

 2016年1月14日の深夜0時22分。昼間の国会中継の延長した部分の放送によって、予定より12分遅れて「NEXT未来のために 社員たちの原発事故 ―東京電力 復興本社―」が放送された。SNSなどにアップされた番組への感想は、予想通り賛否両論。ただ、東電の復興推進活動に対して肯定的な意見と否定的な意見は5:1ほどの割合で、一定の理解は得られたようだった。

「東電の現場社員さんに迫った番組は少ないので貴重だったと思う。 活動している方にとっても活動の事を知らな方にとっても、知らなかったことを知ったり、話すのを控えていたことを話すきっかけになったのではないかな。」(原文ママ)
「NHKの東電復興本社の番組をコドモと見た。終わって「複雑だな」とコドモ」
「「NEXT 社員たちの原発事故 東京電力 復興本社」観てるけど、東電社員だけが背負わなければならない事なのでしょうか?」
「復興作業に従事する東電社員にスポットを当てた番組を見て胸が詰まった。東電が悪くないとは思わないけど、頭を下げ続けるのはきっと辛い日々だと思う。誰もが辛い日々がどうか早く終わりますように」
「きのう放送のNHK「社員たちの原発事故」東電・福島本社。福島での東電社員による、業務としての清掃作業。やってるのは定年が近い窓際族?の男性社員たち。 元社員や現役社員たちが無給で何かをやっている話かと思って見たけど。 会社の指示で・給料もらってやってる。それが何?とも思うけどね」
「NHKの「NEXT 未来のために『社員たちの原発事故/東京電力 復興本社』」という番組を見た。モヤモヤとムカムカの入り混じった感情が湧く。東電の彼らは、業務としてやらされているのか、自らの意志でやっているのか? 内省は本物か見せかけか? でも、何かが欠落しているような気がする。」
「馬鹿言ってんじゃないよ東電p(`Д´)qNHKで除染している復興本社を美談化してるけど、年寄りばかり少人数で何ができる?お前らの責任は全世界的なんや!インチキ搾取で儲けているのに賠償しないし、ボーナスもありなんておかしい。毎週土日に新入社員から社長まで除染作業しても禊ぎは足りん!」


 福島県で明るい番組ばかりを制作してきた自分が、“重い”番組を制作するならどんな番組だろうかと取材をはじめた東京電力の番組。それまで誰もきちんと伝えてこなかった「もうひとつの視点」を感じてもらえる番組が制作できたと自負している。ただ、残念だったのは深夜の限られた放送時間だったこと。国会中継で放送時間が変更するというマイナス要因があったが、視聴率は番組の開始とともに上昇しており、関心を持ってもらえているようだった。もっと違う時間帯に再放送してもらえれば、より多くの人に見てもらえるのではないだろうかと、福島局の編成を通して再放送してもらえるように掛け合ってみた。しかし、いつまでたってもその返事は東京から来ないという。何度か確認してみた末、ようやく返事が来たが「『炎上しそうだから避けたい』ってことみたいです」と伝えられた。直接そう言われたわけではないので、正確なことはわからない。ただ、取材前からわかっていたことだが、やっぱり多くの人がそう思って避けてきたのだろう。何かを避けるということは、何かに偏って伝えているということだ。取材者一人ひとりは偏っているなどと思わないかもしれないが、みんなが避けていれば大きな偏りを生み出してしまう。だからこそ、避けられていることや見落とされていることを意識しなければならない。「語られていないことを語る」。伝える側は全体状況を見極めて、今何が欠けているのか、何が伝えられていないのか、特に多くの取材者がいる大震災においてはその意識が必要なのではないだろうか。

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