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ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene47

 2015年、秋を迎え、東京電力復興本社・楢葉町グループの撮影がはじまった。20人ほどのチーム全員に個別取材を行った上で、中心的に追いかけることにした社員は2人。1人は復興本社で数年間の業務をしていたTさん、60歳。高校卒業後、東京電力に入社。電気メーターの検針など、長年料金関係の事務に携わり、50歳の時に原子力発電所の必要性などをPRする部署に異動。福島第1原発の見学対応の業務なども担当していた。40年以上も東京電力で働いてきたTさんは、人々の生活を支えるインフラを担っているという誇りを抱いて仕事に励んできた。だからこそ、東京電力の社員として、原発事故とどう向き合うべきなのか悩んでいた。撮影がはじまったばかりのころのインタビューで、Tさんはこんなことを話してくれた。
「原発の安全性を説明をしてきた。こういうときにはこうだよという答えがありましたから。それが違ってた。そういうことに対して噓をついてしまった。つぐない。そういう気持ちが最初に起きたと」
もう1人は、1ヶ月前に初めて福島県に配属されたばかりのSさん、50歳。長年、変電所を管理する技術者として勤めてきた。初めて被災者と向き合う仕事に携わることになったSさんは、その思いについてこう語っている。
「『あんな重大事故をやったのに、おまえは全然関わらないで、それでも東京電力社員なのか』って自分のなかで葛藤みたいなのがあったような感じ。それだと自分で会社生活よかったのかなって。悔いが残るのはいやなんですよね。」
TさんとSさん、もしかしたら2人の声はきれいごとのように聞こえるかもしれない。「どうせテレビ向けにそう答えただけだろ」と思う人もいるだろうし、社員みんながみんなそういう人たちばかりでもないだろうと思う人もいるだろう。もちろん、個別インタビューした人のなかには「会社が命じる業務だから」と素っ気ない答えを返す人もいた。ただ、そういう人であっても、清掃業務の現場に出れば、熱心に作業している。自分がそれまで携わってきた仕事とはまったく異なる清掃業務に従事するともなれば、そう簡単に割り切れるものではないはずだ。「なんでこんなことをやっているんだろう」という疑問を抱くことになるだろう。それはつまり、どうしたって自分の人生の大部分を過ごしてきた会社を揺るがすことになった原発事故と向き合うことにつながっていたことは確かだろうと現場で一緒に作業をしてきて感じていた。原発事故は、おそらく社員たちに「きれいごと」を突きつけたのだろう。会社で過ごした時間が長ければ長いほど、その「きれいごと」を引き受けて仕事に臨まなければならなくなったのではないか。枷、とも言えるかもしれない。「きれいごとだろ」と簡単に一蹴することなどできない強さをインタビューから感じていた。

 「東電は許せない」そう言われるような存在であることを、社員たちは自覚している。何を言われても仕方のない存在であることを引き受けて、社員としての仕事を全うしようとしている。では、許される日はくるのだろうか。そもそも誰が許すのだろうか。ある日突然、誰かが「許します」という日がくることなどない。にもかかわらず、原発事故以降「東電は許せない」という空気が醸成され、社会的にそのムードが共有されていた。だからこそ「あさイチ」で東電を取り上げた時に「どう見ていいかわからない」と言われたり、「擁護しているように見えないように」と言われたりするのだろう。主体がはっきりとしない、ムードとしての「東電、許せない」は、未曾有の原発事故という事実ゆえのものとも思えるし、いたしかたない部分もあるだろう。でも、そういった気分こそが覆い隠しているものもあるのではないだろうか。原発事故と「許せない」という言葉がセットになると、正しさをまとった(もっともらしいと言いかえた方がいいかもしれない)強い言葉になる。でも、それは思考停止にもつながってしまうのではないか。なぜ許せないのか、どうしたら許せるのか。「許せない」と言うからにはそのことを考えなければ、「許せない」と言っているだけになってしまう。何が許せないのか?どう変わっていくべきなのか?そうやって今後のあり方を考えていく必要があるのではないだろうか。そのための材料として、東電やその社員たちを見ていく必要があるのではないだろうか。それは擁護などではなく、単純に伝えるべきことであり、知るべきことなのではないだろうか。避難者の自宅に赴き、避難者本人の横に座ってゴミの仕分けをすること。誰かの思い出の品をゴミとして社員自らの手で廃棄しなければならないこと。福島県に引っ越してきて、近所の人と親しくなっても自分が勤務する会社を明かせないこと。報い、とまでは言えないだろうが、それに近い人生の方向転換を強いられている東電社員。その仕事で育まれる思い。私は数ヶ月にわたって作業に同行し、記録した。

 一方で、「擁護している」と視聴者に思われないようにもしなければならないと注意していた。そう見られてしまったら伝えたいことも伝わらなくなるからだ。だからこそ撮りたいとねらっていたシーンがあった。それは、地元の住民から厳しい声をぶつけられるシーン。避難を強いられる原因を作った東京電力について、住民は当然怒りを抱いている。その東電と直接顔を会わせる復興推進活動ならば、住民が怒りをぶつける場面が出てくるのではないかと想定していた。なぜ、東京電力へ怒りをぶつけているシーンを撮影したかったか。それは東電に対する「一般的な怒り」を伝えられると思ったからだった。ともすると、「東京電力が頑張っています」と擁護していると思われかねない番組だからこそ、視聴者の怒りを代弁するような住民の声を社員にぶつけたかった。そうすることで、東京電力が清掃業務に励んでいることだけを伝える番組ではなく、東電に対する怒りを理解している番組であることを示すことにつながる。そして、直接の被害を受けた避難者ならば、その怒りを直接伝えるだろうとも思っていた。しかし、来る日来る日も東電に清掃を依頼した住民は淡々としていた。東京電力がそういう人を撮影させないようにしているというわけではない。そもそも、この復興推進活動で訪ねる楢葉町の住民がどんな人なのかは、東電も事前には把握できていない。にもかかわらず、なぜ怒りをぶつけられないのか。撮影で訪れた住民に直接聞いてみた。
「自分の生活を壊した人たちに何か言いたくなったりしませんか?」
「仕方ないよ」
「怒りたいという気持ちは?」
「そりゃあるよ。でもそれを彼らにぶつけたってどうしようもない」
4年という時間が住民を冷静にしていたようだった。東京電力によって町の経済が支えられてきたことや、家族や親戚、友人の勤務先だったりすることも関係しているだろう。テレビの撮影が来ているから怒りたくても怒れないという人もいたかもしれないし、本当に怒っているからこそ東電になど頼まないという住民もいるだろう。「東電、許せない」という私が東京で感じた空気と現場にはズレがあった。

 住民たちの怒りを記録できないまま迎えたロケ終盤。追いかけていたTさんが清掃作業に訪れた老夫婦のもとで、あるやりとりを撮影できた。静かな住宅街での作業、Tさんは老夫婦にある質問を投げかけた。
Tさん「周囲の人は戻っていないですか?」
夫「戻らないねぇ」
妻「今もちょこまか東電さんがいろいろやらかすでしょ」
Tさん「申し訳ありません」
老夫婦は淡々と語った。清掃作業を終えた東電社員が帰ったあと、2人はこう答えてくれた。
「みんな、上からの指示でやってるんでしょ。私たちからすると気の毒。」
「我々、あと何年もないのに最後にきてこういうみじめな生活でしょ。だから許すことはできない。あの事態はね」
原発事故というあの事態は許すことはできない。ただ、社員は気の毒で怒りをぶつけるようなことはしない。老夫婦の言葉は、「許せない」という空気を問い直すことができるやりとりのようにも思えた。

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