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ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene42

 いわき市の“裏マップ”を制作する4人の女性。そして、その様子を追いかけるこの番組。タイトルは、もう決めていた。「被災地 極上旅」。震災と原発事故、歴史上まれに見る体験を強いられた土地だからこそ、「今のままではダメだ」「何かやってやろう」という思いを抱いた人たちが「極上」を生み出している。福島局に転勤して以来、私が肌で感じてきたことをそのままタイトルにした。被災地と極上、ともすると相反するような言葉をあえて並べることで、視聴者に違和感を抱いてもらうことができ、番組を見てもらうきっかけにもなるのではないか。そして、被災地は極上と呼んでもいい場所なのだと視聴者の認識を変えるきっかけになるかもしれないという期待もあった。しかし、このタイトルにストップがかかった。「変えるべきではないか」仙台局の上層部からそう連絡がきたと、番組の責任者であるプロデューサーから教えられた。その理由ははっきりとしなかったが、不謹慎だとお叱りを受けることを懸念しているようだった。わからないでもない。しかし、ショックを与えるようなタイトルだからこそ意味があり、そのショックはネガティブな影響を与えることになるとは限らない。プロデューサーもまた同じように感じていてくれたようで「番組を見てくれたら、不謹慎だとは思われない。タイトルは変えずにいくと押し切ろう」と味方になってくれた。

 そもそも「被災地 極上旅」というタイトルは、本当に不謹慎なのだろうか?たしかに一瞬ハッとするかもしれない。というか、ハッとしてほしいと思ってひねり出したタイトルだ。なぜハッとするのか。それは被災地という言葉と極上という言葉がつながらないからだろう。震災で甚大な被害を受けた地域を極上と呼ぶなんて、そこで傷つき大切なものを失った人たちがそのタイトルを聞いたら傷つくのではないか。きっとそういうことだろう。その可能性を否定することはできない。でも、そうやって慮ることが、被災地を被災地のままに押し込めつづけているとも言えるのではないだろうか。果たして、被災地は被災地と呼ばれたいのだろうか?番組内でも描いているように、震災や復興という文脈で語られたくないという人たちもいる。被災地で暮らす人のなかには、全く被害を受けず、そう見られることに居心地の悪さを抱いている人だっている。それでもメディアをはじめとする外側の人間は、地域一帯をまとめて被災地と呼ぶ。そして、傷つくかもしれないと心配しているのもやっぱり外側の人間だったりする。被災地が、被災地以外の側面も持っているのならば、被災地からズレる描き方も必要だし、そのことを視聴者に意識してもらうことだってメディアの役割なのではないか。そもそも、メディアで働く人たちは、被災地と呼ぶことにもっと気をつけるべきなのだろう。

 2015年9月25日、紆余曲折を経てようやく「被災地 極上旅 -福島県いわき市編-」が放送された。放送後、「不謹慎なタイトルだ!」というお叱りの声は、1件も寄せられなかった。SNSやブログで感想ツイートを検索しても、そういった声を目にすることはなかった(もちろん見つけられなかっただけかもしれないけれど、制作者として1つでも多く感想を知りたいのでかなり念入りに見ており、たぶんないと思う)。むしろ、「よかった」という感想が多数で、なかには「福島は安全だと喧伝している」という感想も一部あった。


『NHKの番組、東北Z「被災地極上旅〜福島県 いわき市〜」は全国放送あるの?あんまりゴリゴリの復興系番組じゃなくていいんじゃないか。地元に住んでいる人の感覚にとても近い。被災地としてみたい人からすると物足りないかも知れないが、この視点で伝えることの意味は大きい』

『これまで 故郷を特集した番組というと、私自身 テレビの前でずいぶん構えて観ていたものが多かったが、今回の番組は 家族が何気なく集まる 休日の午前中のリビングにとても似合うものだった』


いろんな感想が書き込まれたが、そのなかでも今も心に残っている感想がある。それは「すごくいい番組だった。NHKもやればできるじゃない。ほめてあげたい」という内容のつぶやきだった。きっと県内に住む方で、メディアでの福島の描かれ方に疑問を抱いていたのだろう。だからこそ、喜んでもらえてうれしかった。だが、同時に何かが引っかかった。原発事故から4年が過ぎ、マスメディアによる福島の描き方に疑問を抱いた人たちはSNSなどで批判を書き込んでいた。私が直前に制作していた「あさイチ」でも、「わざわざ暗いBGMをつけて」と細かい部分まで指摘された。その声の裏にあるのは、もっと描いてほしい福島があるということだろう。そのことはわかっていた。だからこそ「被災地 極上旅」を制作したわけだし、上記に挙げた感想のように喜んでもらえたのだろう。だが、『喜んでもらうこと』がゴールなのか?『喜んでもらうこと』が何かのソリューションになるのだろうか?一方で、この番組は放射能への不安を抱く人たちからは「本当のことを隠している」と否定されてもいた。この番組のゴールはどこだったのか?どんな課題に対して、解決する番組だったのか。目指していたのは、視聴者の意識を変えることだった。番組を見て、福島県に足を運んでもらえる人を増やすことだった。観光業界や飲食業界が抱える風評被害という課題を解決するための番組として機能してほしいと願っていた。そうだとするならば、大事なのは福島県の現状をよく知っている人たちに評価されることではない。放射能に不安を抱いていたり、原発事故に関心を持っていなかったり、それゆえに(時に無自覚に)福島県を忌避している人たちの心に届くものでなければならないのではないのだろうか。もちろんそういう感想がSNSにアップされていないだけで、そう思ってくれている人たちもいるかもしれない。だがしかし、「あさイチ」の時に気にかかったマスメディアによる福島の描き方に敏感な人たちからのジャッジを意識しすぎていたかもしれない。そのジャッジは参考にはするべきものかもしれないけれど、その人たちから褒められる番組を作ることが目的になってしまってはいけない。目指すべきは、福島に不安を抱いている人たちの意識を変えること。それこそが、福島で暮らす人たちの幸せにつながるはず。そう考えると、この「被災地 極上旅」もまだ不十分だったのかもしれない。

 ただ、素直にうれしいこともあった。放送から数日後のこと。制作した裏マップ「いわきうふふ便」2000部は、放送翌日には全て配布されたと連絡が入った。まさか翌日にマップがなくなるなど思っていなかった。県外の人向けだったが、その前にいわき市内の人たちに持って行かれてしまった。それは計算外のことであったが、地元のなかでも知らない人たちがいるということだろうし、県外の友人知人に渡したいということだったのかもしれない。その人たちがこのマップがきっかけになって地元の極上を知り、そのことに誇りを抱いてくれたら、こんなにうれしいことはない。さらにその後、このマップは1万部増刷されることになった。


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