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ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene46


 事故が起きた福島第1原子力発電所周辺の市町村で、東京電力が清掃や見回りなどを行う業務「復興推進活動」。私が密着取材させてもらったのは、まもなく避難指示が解除されることが見込まれ、住民から多くの依頼が寄せられるだろうと思われた楢葉町グループと呼ばれていたチームだ。当時、楢葉町ではすでに日中の立ち入りができるようになっていた。しかし、原発事故以来、誰も住むことができなかった自宅は荒れ、庭も雑草が生い茂っていた。そんな住宅の清掃作業などを行う楢葉町グループには、社員およそ20人が所属していた。もちろんその20人だけでは対応しきれないため、ふだんは東京や新潟などで勤務している社員が交代で応援者として加わる。作業内容によってまちまちだが、楢葉町グループの社員2~4名と、応援者5人~10人で業務を行っていた。東電の広報によると、原発事故から4年が過ぎ、すでにすべての社員が1度は復興推進活動に従事するため福島を訪れているということだった。私は、仮設住宅の草刈りに続き、住民の許可が得られた作業に参加させてもらった。

 朝8時過ぎ、原発事故対応の本部となっていたJヴィレッジに集合する。この日は楢葉町グループの社員3~4名と、東京からやってきた社員7~8名の10人ちょっとのグループだった。この復興推進活動のため、Jヴィレッジ内に設置されたコンテナには軍手やマスク、長靴などが所狭しと並び、応援者たちはまず装備を整える。準備ができると、社員たちは車に分乗して乗り込み、依頼を受けた場所へと向かう。この日の依頼者は60歳前後の男性だった。原発事故が起こるまで、妻と子どもと一緒に住んでいたという自宅の清掃を頼まれていた。「では、こちらの部屋の片付けをお願いします」と社員に言われて、入ったのは子ども部屋。インテリアや置かれている小物などから、おそらく若い女性の部屋だろうと思われた。この部屋にあるものはすべて処分していいということだった。数人の社員に混ざり、手当たりしだいゴミ袋に入れていく。捨てる前に、本当に捨てていいのか確認を取るものがいくつかある。たとえば、写真。引き出しや衣装ケースなど、あちこちから見つかり、そのつど依頼主に確認をとる。だが、長年放置されていたため、写真もべたべたにくっついていることがほとんどで、そういう場合には「もう捨ててください」と言われることが多かった。そのほかには小銭やアクセサリーなども同じように確認を取る。このとき、私の中で特に印象に残ったのがシャネルの空き箱。1つではなく、大小いくつかの空き箱がきれいなまま出てきた。ここに住んでいた人が好きだったブランドで、中に何かを入れるわけでもなく保管していたのだろう。顔も知らない、話したこともないこの部屋の住人の輪郭が見えた気がした。そして、ここに暮らしていた人は今どこでどんな思いをしているのだろうか。もし事故がなければ今もこの部屋に住んでいたのだろうか。今この部屋を東電社員たちが片づけることについてどう思っているのだろうか。いくつもの疑問が浮かんできた。

 また別の日のこと。この日の依頼は、庭の草むしり。依頼主は20代の男性で、叔父と叔母が暮らしていた家だという。まだ新しさを感じる立派な住宅で、バスケットボールができそうなほどの広い庭があった。庭の一角は、特に雑草が生い茂っており、それは人の背丈を超えるほどの高さになっていた。さっそく、そのなかを分け入って草を刈っていると、軍手をしているにもかかわらずチクリと痛みを覚えた。思わず手を離した雑草を見ると、バラの枝で、そのトゲが刺さったようだった。雑草に覆われて隠れていた部分をよく見ると、ほかにもいろんな花が植えられていたであろうことに気づいた。特に雑草が伸びていたこの一角は、ガーデニングのための場所だった。一方、膝上ぐらいの雑草がきれいに生えそろったところを刈っていくと、枯れた芝と砂地が地面から見えてきた。砂地はバンカーで、ゴルフの練習場所として作られていたことがわかった。徐々にかつての姿を取り戻していく庭。半分はゴルフの練習場所で、もう半分は植物を育てる庭園。ここで暮らす夫婦が大切にしていたものが雑草のなかから見えてきた。夕方、作業を終了する時に、私は依頼者に質問をしてみた。
「ここに住まわれていた夫婦は、ゴルフや園芸が趣味だったんですか?」
「そうですね。退職した叔父が、叔母と一緒にのんびり暮らせるところをっていうんで移住してきたんですよ。ここに住み始めて1年ぐらいたったときかな、原発事故が起きて避難することになって」
「それじゃあ、避難指示が解除されたら戻ってこられるんですか?」
「いや、どうかな。去年、叔母は病気で亡くなってしまって。叔父1人では戻ってこないんじゃないかなぁ。だからといって荒れ果てたままにはできないし。」
「そうなんですね」
隣にいた東電社員は黙って男性の言葉に耳を傾けていた。

 復興推進活動に何度も同行するうちにわかったことがあった。それは、この活動が避難者たちが失ったものを社員たちに突きつける現場になっているということ。避難指示が出されたことによって静まりかえる町、家々の外観からではどんな人がどんな生活を送っていたにのか、さっぱりわからない。しかし、その1軒1軒を訪ねて清掃作業を行うと、東京電力が奪ったその家の日常が見えてくる。そして、それはもう取り戻すことができない日常だ。子どもは成長し、親は老いる。草を刈ろうが、室内を片づけようが、失われたものは失われたまま。原発事故が奪った日常を突きつけられる東電社員たちはいったいどんな思いでこの活動に従事しているのだろうか。一人ひとりの本音を聞き出したい。楢葉町グループに所属する社員全員に個別の取材をお願いできないか、私は広報のKさんに相談を持ちかけた。


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