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夢は枯野を駆け巡る?応神王朝は友ヶ島

やまとみずほの国に生まれて  第三十八話

第三十七話「国生みの淡島は眉山!?淤能碁呂島は渭山です」、仁徳天皇詠う国見歌、日本阿波から始まったと証明する。難波は「なみはや渦の潮四国から吉備へ行くのに淡路島へ渡らない。行幸先は岡山ではなく和歌山。第三話「桃太郎は木眉津彦か和歌岳彦か」、吉備は元々は和歌山も隠した。古事記は削除し忘れたけど、日本書紀応神天皇事績へ話をすり替える。

淡路島 いや二並び 小豆島 いや二並び 宜しき島々
誰か た去れ放ちし 吉備なる妹を 相見つるもの

難波大隅宮にて、妃の兄媛が故郷の父母を恋しがるので、里帰りを許したが大津から吉備に帰る兄媛を見送り、許したことを後悔した。淡路島を天皇、小豆島を妃になぞらえた名歌だ。春に里帰りし秋に天皇は吉備へ行幸する。 
わざわざ淡路島で狩りをし、小豆島を経由して吉備へ着く。迎えたのが兄媛の兄の御友別、一族総出の歓待に天皇は感激して、吉備を割譲して与える。

小説や物語を書く時に、一番悩ましいのが登場人物の名前だ。記紀はそんな悩みを解決する、素晴らしい発明をする。それは弟媛、姉が妃になった後に 妹も妃になったら弟媛。応神天皇皇后は中日売その妹の弟日売も妃になる。兄姫はその逆のパターン、御友別と兄姫のととさんは吉備武彦日本武尊の東征に従うが出自の記載がない。木眉津彦の子孫でないのは割譲から明白。

第三十一話「熊襲出雲東国平定し倭建は日本武尊へ」、日本武尊の東征には日本書紀には出自がある大伴武日も従軍する。古事記に出自の記載がなく、 大伴氏の遠祖みたいだが、応神天皇古事記和風諡号の大鞆和気命にちなみ、
御友別も「おともわけ」、登場人物の名に苦労の後が。さて弟媛は乙姫とも書き、兄姫は愛媛と書く伊予の顔。阿波の顔、大宜都比売のお姉ちゃんか。

応神天皇の吉備行幸も、日本武尊の東征も幻。そして難波大隅宮は、行幸した先の行宮。日本書紀は遷都したと書いてないから、神功皇后の磐余若桜宮のままのはずが、兄媛を大津から見送った。皇后先代は御夫婦の仲哀天皇、第三十二話「白鳥神社を特定したら倭の五王が出現」、仲哀天皇の皇居は、近江志賀高穴穂宮、磐余は奈良にあるから、神功皇后の若桜宮も幻になる。

見送った大津は難波津と解釈するけど、元々近江は淡海、鳴門大津の地名が残る。そして大隅宮は難波じゃなく、大津の大の隅。そして日本書紀ではもう一つ仁徳天皇の事績が、応神天皇に移されているのが武庫水門の火災。 日本書紀は、伊豆国に命じて造らせた船が軽く速く進むから「枯野」ではなく「軽野」が訛ったと記す。30mもあり、老朽化して塩を作る薪にした。

その塩を資金源に五百艘の船が造られ武庫水門に集結したが、新羅の使者の失火で多くの船が失われる。新羅王は謝罪として技術者を献上し、猪名部の祖先となるのは、新羅を屈服させたアピールか。そして焼け残りを琴にすると、その音が遠くまで響くが、古事記では、河内の菟寸河にあった大木を、「枯野」にしたと記す。大木の影は朝には淡路島を夕方には高安山を隠す。

日本書紀同様船になって、淡路島の寒泉を飲料水として運ぶけど、老朽化した後、塩を焼く薪になり、残りが琴になって鳴り響くのは同じも、その後の造船と失火の記載はない。大木が意味不明だけど、古事記は応神天皇の宮を軽島之明宮と記す。日本書紀はこれでは意味不明と「枯野」は「軽野」で、その大木は軽島之明宮にあったとヒントを与えた。ただし河内に島はない。

位置的には友ヶ島、島にはタカノス山がある。本標準時子午線最南端標柱の辺りなら、朝日の影は淡路島に届き、夕日の影はタカノス山を超える。でも友ヶ島は水不足だったから、淡路島から「枯野」に水を運ばせたのだろう。さすがにこれは不便なので仁徳天皇は、高島の港である高津、難波高津宮へ遷都した。淡島神社も不自由と、仁徳天皇は対岸の加太へ遷座させている。 

淡島神社の元宮も阿波にないはずがない。阿波神社大粟神社粟島神社

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