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極楽の沙汰も金次第

我儘な子供を開眼させる魔法の言葉」を書いてから直ぐお袋は親父の所へ旅立ってしまった。よく言う年賀欠礼の喪中は一年だが一年間旅行は控えるのではなく、満中陰である四十九日を過ぎれば忌中明けで元の生活に戻っていいそうだ。せわしない商売の町である大阪ではそんなに待ってられないと三十五日だそうだ。親父が亡くなった時に忌中は意識してなかったと思う。

忌中は旅行どころか神社への参拝も避けないといけない。したがって正月の初詣もお預けとなった。親父は次男坊なので三回忌に合わせてお墓を立てての納骨となったが、お墓はお寺の管理なので今回は四十九日と同時に納骨も同じお寺にお世話になった。ちなみに勝手に納骨することはできず、お墓の管理者へ火葬場で出してもらう埋葬許可証を提出しないと死体遺棄になる。

海へ散骨するのも流行りだが勝手に撒いていいのかとふと疑問に思ったが、親父の骨はまだまだ残っていた。お墓を立ててもらった石屋さんに引き続きお袋の戒名を霊標に刻んでもらったら納骨の段取りもして頂いた。石屋さんの話では骨が土に返るのは百年単位らしい。しかし親が死ぬまで宗教を意識せずに、正月に神社へ参拝しクリスマスを祝う日本人のなんと多いことか。

神式で挙げたので大きな口で言えないが、結婚式の時だけクリスチャンだ。しかし、親がお墓を立てて仏壇を購入したらそのまま引き継ぐのが普通だ。「国道沿いの二階の部屋」に書いた通り、お袋と同居していた妹の勧めもあってお袋自身で実家終いは終わっている。お袋は親父の位牌だけ持って妹との同居を続け、仏壇は我が家で誇りを被っていたのだがいよいよ再登板だ。

仏壇を移動するのはもっての外とか、部屋を変えるだけでもお坊さんを呼んでの魂抜きや魂入れが必要とは後で知ったが、お袋は何も言わなかったので最初から魂入れはしていなかったことにしよう。位牌が故人そのものと思っていたら、盆にはお墓から家に帰ってくると言う。特に初盆は特別らしい。その後も一周忌とか何回忌とかの法要を続けるように仕組みができている。

法要のお布施は3万円とか5万円なのだが、戒名は一桁違ってくる。しかもお袋は親父の戒名を一つ上の位にしていた。「生まれもスダチも徳島」では当然のように真言宗だが、葬儀屋さんによると真言宗の戒名は高いそうだ。子供の頃おじさん達は遍路に行く気がしないと言っていたのに、皆還暦には結願していた。還暦を過ぎたが「人生100年時代」ではその気にならない。

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