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神として生きた女性

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中山みきという人の伝記を書こうとしています。
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#とみ新蔵

「まんが おやさま」を読み直す 8/48 人だすけの逸話1

「まんが おやさま」を読み直す 8/48 人だすけの逸話1

1983年10月に「リトルマガジン天理少年」に掲載された、「まんが おやさま」の第8回。前回までの「おかのさん」のエピソードとも合わせ、中山みきという人は本当に「何でも許してくれる人」だったのだな、というイメージが、子どもだった私の中にも深く刻みつけられたことを覚えている。しかしながら、史実を正確に検証しようと思うなら、庄屋の役こそ務めていても「辛うじて自作農」と言える程度の家だったという当時の中

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「まんが おやさま」を読み直す 7/48 「かの」の話 後編

「まんが おやさま」を読み直す 7/48 「かの」の話 後編

「アッ!おかのがみきの食事に毒を!!」ではないだろうと思った。おかのさんがどうしてそこまでのことをしなければならなかったのか、5歳だった私には全く理解できなかった。「池の鯉が苦しそうにもがいて死んだ」という冷酷な描写が、ものすごく怖かった。「みきが死ぬことに比べたら、鯉が死ぬことなど取るに足らないこと」というのは、多分オトナの感覚なのだろう。子どもだった私には、そうは思えなかった。生き物の命がひと

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「まんが おやさま」を読み直す 6/48 「かの」の話 前編

「まんが おやさま」を読み直す 6/48 「かの」の話 前編

最初に書いておくのだけれど、今回から2回に渡って展開される「おかの」という少女をめぐるエピソードは、「何から何まで作り話」である可能性が極めて高い逸話である。初出はおそらく、中山みきという人の外孫で、彼女の死後に神道天理教会の管長に就任し、「初代真柱」と呼ばれた中山眞之亮氏が「明治31年」の日付で書き残した「教祖様御伝」と呼ばれる文書であり、その内容があまりにドラマチックであるためだろうか、渡辺霞

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「まんが おやさま」を読み直す 5/48 「はたらく=傍楽」の逸話など

「まんが おやさま」を読み直す 5/48 「はたらく=傍楽」の逸話など

「まんが おやさま」の第5回。後に世のため人のために無償で「ひのきしん」にいそしむ信者さんたちの姿に触れて、「天理教はスゴい」と感銘を受けた松下幸之助という人が、自分の言葉のように折に触れて引用していた「働くとは傍々の人を楽にさせること」という有名な言葉が、この回では早くも登場している。もっとも、「経営の神様」と呼ばれていた松下氏のような人の視点からするならば、「周りの人が幸せになってくれるなら給

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「まんが おやさま」を読み直す 4/48 中山家のこと

「まんが おやさま」を読み直す 4/48 中山家のこと

1983年6月発行の「天理少年7月号」に掲載された「まんが おやさま」第4回では、前川家から中山家に嫁いだ当初の中山みきという人の姿が描かれている。(ただし史実としては、文化3年のこの時の時点では両家とも苗字を名乗ることを正式には許されていないので、「前川家」「中山家」は便宜的な表記となる)。「稿本教祖伝」ではこの頃のことが

…といった風に、ひたすら「教祖中山みき」へのお追従のような言葉でのみ語

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「まんが おやさま」を読み返す 3/48 嫁入り

「まんが おやさま」を読み返す 3/48 嫁入り

1983年3月に「自分と同じ年頃の女の子」として私の前に現れた中山みきという人が、2ヶ月後の5月にはもう「お嫁入り」である。読んでいた私は4歳のままだったわけだが、当時の自分に流れていた時間は、オトナになった今とは比べ物にならないぐらい、ゆっくりしていた。マンガの中の「みきちゃん」が物凄い勢いで年をとっていくことにも、特に違和感は感じていなかったように思う。母の実家にいた私のイトコの姉ちゃんが、そ

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「まんが おやさま」を読み返す 2/48 「慈悲の少女」

「まんが おやさま」を読み返す 2/48 「慈悲の少女」

「リトルマガジン 天理少年」1983年5月号に掲載された、とみ新蔵さん作画の「まんが おやさま」の2回目。ちょうどNHKの連続テレビ小説で「おしん」が始まり、東京ディズニーランド開園のニュースが賑やかだった頃に私はこれを読んでいたのだな、ということを、Wikipediaの「1983年の日本」の項目を読んで、今さらのように再確認させられている。「天理少年」が手元に届く時にはいつも実際の日付より1ヶ月

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「まんが おやさま」を読み直す 1/48 誕生

「まんが おやさま」を読み直す 1/48 誕生

前回の記事で予告した通り、今回からは1983年春から1987年の初旬にかけて、天理教少年会の機関誌「リトルマガジン 天理少年」に連載されていた、とみ新蔵さん作画の「まんが おやさま」を読み返すことを通して、中山みきという人が通った「道すがら」を再検証してゆく作業に入って行くことにしたい。

今回紹介させて頂いた第1回が「天理少年」に掲載されたのは私が4歳だった時のことで、これを読んだ時のことは、割

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「まんが おやさま」と「教祖絵伝」

「まんが おやさま」と「教祖絵伝」

中山みきという人の「公式」な伝記としては、天理教本部から出されている「稿本天理教教祖伝」がある。が、正直に申し上げて、全く心に響いてくるところのない本である。この本を読んでも、中山みきという人が「どんな人」だったのかというイメージは、一向に湧いてこない。

読み物として面白くなくても、そこに「事実」が書かれているのであれば、「史料」としての意味はあると言えるだろう。だが、初めからいろいろ細かいこと

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中山みきという人の顔を想像する

中山みきという人の顔を想像する

私のイメージの中にある「中山みきという人」は、こんな顔をしている。天理教少年会の機関誌「リトルマガジン天理少年」に、1983年から1987年にかけて漫画家のとみ新蔵さんが連載していた、「まんが おやさま」の中に描かれていた顔である。私が中山みきという人と出会ったのは、このマンガを通じてのことだった。幼稚園から小学校にかけての頃のことで、40年前の天理教本部が組織の総力をあげて取り組んでいた「教祖1

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