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地方に関する独り言①~テレビドラマのオワコン化、集団就職時代から続く上京幻想への違和感~

テレビドラマに染みつくキラキラ東京モデルへの違和感

今回は気軽な形で独り言と題して気づいたことをつぶやいてみたいと思います。今後も気づきがあればこのシリーズで記載していきます。

さて、私の妻はドラマが好きで、夜になるとよく一緒にテレビドラマを見ることがあるのですが、最近ものすごく違和感を感じることがあるんですよね。それが、未だに「キラキラな東京に出ていく」とか「地方の過剰な劣位演出」です。

皆さんもそう言われて気づくことってありませんか?

例えば、ラブコメディとかでバリバリの都会生まれの主人公が地方出身の恋人と付き合い、いよいよ結婚の挨拶に向かうと、そこはボロボロないかにも農家、というよりも中世の農奴のような恰好をした両親が出てきて、「いやぁ、都会の人がこんな娘っ子もらってぐれんならありがてぇ」と言い、夜には謎にダサい服を着た田舎の人が集まって酒盛りをはじめ、親族のノーデリカシーな質問にもうまくいなしながら酒を飲みまくり、最後は「おめぇはもう村の一員だぁ!」といって大はしゃぎするような演出。

別にいいんですけどね、フィクションなので。

でもね、そろそろこういうのっていい加減に見直した方がいいと思うんですよ。私自身、過度な反差別とかに傾倒するつもりはなく、表現の自由はあってしかるべきだとは思いますが、こうした現状を憂慮しています。若いアイドルが出ていたりすると地方の子供たちもそのドラマを見て自ずと「地方は恥ずかしい、東京はすごい、地方はダサい、東京には夢がある」という短絡的な発想になりがちだと思います。

大学卒業までずっと首都圏で生まれ育ち、社会人になって初めて地方の良さを知った私だからこそ、それは違うと強く思うのです。


集団就職時代から続く東京優位モデル

昭和の集団就職時代には、地方が労働供給元となり、我が国経済の成長を支えました。長男以外は東京に上京し、高度経済成長の恩恵を地方に還元するといういわば集団就職時代の東京優位モデルは今は昔。

地方はもはや人がいません。バブル期のようなドラマを作ろうと思っても感情移入できないのですよ。時代背景も違うし、経済構造も何もかも違うから。

そしてその地方の現状は、日本全体の将来像。そこを直視しないことは自分たちの将来を直視しないことと同義ではないでしょうか。


自己肯定感を高めること

ちょっと前には港区女子とかが話題になりましたけど、正直、自分の出自に誇りを持てないことがもっとも恥ずべきことだと思います。地方出身を恥ずかしがるべきではないし、むしろ誇りを持つべきでしょう。

日経新聞の私の履歴書では、3月から東急の野本会長の連載が始まりました。彼の出自は福岡県の行橋市であるほか、東急の大経営者五島慶太が長野県の片田舎である青木村出身であることも触れていらっしゃいます。

昔は地方から日本を席巻するようなアントレプレナーがたくさん輩出されました。自分の地元に誇りが持てない人は、郷土の名士の功績に触れるのもいいかもしれません。


「地元を褒められると自分の過去まで肯定された」、高木新平さんのメッセージ

NEWPEACE CEOの高木新平さんのポッドキャスト「インサイドビジョン」を拝聴していたところ、高木さんは久しぶりに家族と帰郷したご自身の地元(富山県新湊市)についてこう語っています

※ 筆者要約につき、詳細は”【番外編】地方と関わって気づいた、幸せを満たす人生の選択肢|CAMPFIRE 代表取締役 家入一真 × 高木新平”をぜひお聞きください。

「自分が住んでいたころにはただ寂れた街だと思っていた自分の地元が、移住者の手によって少しずつおしゃれになっていき、久しぶりに帰郷したら周りからめっちゃ素敵な街だねと言われた。それを聞いて自分の過去まで肯定された気持ちになり、自己肯定感が上がった」

自分の地元に誇りを持つことは、自分の過去を肯定すること。ただ地方を卑下するドラマを見るよりも、ずっと素敵なメッセージではないでしょうか。

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