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『マトリックスレザレクションズ』 コルタード(切断)で繋がるトリニティとネオ 本編
レザレクションズにおける監督の立ち位置
前の記事で『マトリックス』トリロジーを振り返りました。トリロジーは、物語の内側でネオが人間対機械という二択にとらわれない選択をするという構図と、外側でウォシャウスキー監督たち自身が男性か女性かの二択にとらわれない性を選択するという構図が重なる形で作品が作られていました。この構図は『レザレクションズ』の前半でも、マトリックスというゲームとその制作者としての
『マトリックスレザレクションズ』 コルタード(切断)で繋がるトリニティーとネオ
私は本作を、監督が『マトリックス』トリロジー製作後に、様々な葛藤や苦悩や誤解を乗り越え、その中で自身の立ち位置がネオの側からトリニティーの側へと変わり、ようやく自由に4作目を作ることができるようになるまでを描いた物語として受け取りました。
序盤はかなり長い時間にわたってネオの苦悩が描かれていたので、エンディングで彼女が自由に飛びまわっている姿が見られて、本当によかったと感じました。
映画「君の膵臓をたべたい」 未完の共病文庫
「君の膵臓をたべたい」というメッセージをめぐる、恋人でも友達でもない二人の関係について、私なりの解釈を書こうと思います。
この作品に関する考察や感想を色々と読んだのですが、同じ視点の解釈は見つからなかったので、もしかしたら私の勘違いかもしれませんし、この作品を好きな方に不快な表現をしてしまうかもしれません。
ご了承のうえでお付き合いいただければ幸いです。
最初の「君の膵臓をたべたい」
「君
『桜のような僕の恋人』 花咲く季節だけが桜なのか
一度目はただただ号泣し、少し経って二度目を観て、受け取り方が変わり、より深く感動しながらも泣くことができなくなってしまいました。三度目を観たいまは、また少し違った印象を抱いています。観るたびに違う体験をさせてくれる、そんな素敵な作品でした。
タイトルが示す「桜」とは、花咲く季節の桜なのか、それとも、季節とともに変化していく桜なのか、そんなことを考えながらこの文章を書いています。
・変わる魔