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『マトリックスレザレクションズ』 コルタード(切断)で繋がるトリニティーとネオ


 私は本作を、監督が『マトリックス』トリロジー製作後に、様々な葛藤や苦悩や誤解を乗り越え、その中で自身の立ち位置がネオの側からトリニティーの側へと変わり、ようやく自由に4作目を作ることができるようになるまでを描いた物語として受け取りました。

 
 序盤はかなり長い時間にわたってネオの苦悩が描かれていたので、エンディングで彼女が自由に飛びまわっている姿が見られて、本当によかったと感じました。



 本作の内容に入る前に簡単にトリロジーを振り返ってみたいと思います。なお、ウォシャウスキー監督はのちに、マトリックスはトランスジェンダーとして生きることを描いた物語だと公言しているので、その観点も含めて振り返りたいと思います。

 まず、マトリックスとはなにか。モーフィアスの言葉によれば“支配”です。それは機械が人間から電気エネルギーを得るための支配です。そして、その支配を継続させるために、機械は人間の意識を“人間にとって理想的な環境”として設計されたマトリックスに閉じ込めています。


 マトリックスはコンピュータープログラムによって作られた仮想現実なので、その世界は0と1、または電気信号のオンとオフという二種類の要素によって構成されていることになります。最終的にこの世界を設計するものは一つなのか二つなのか、それとも複数あるのか、文化圏によって異なるこの解釈が、私たちの価値観にかなり深く根を張っています。マトリックスは“二つ”の世界観のなかで、トリニティー(三位一体)たち“三つ(複数)”の世界観を持つ人々が、二つの世界観に飲み込まれないよう、自分たちの居場所を守るために戦う三部作になっています。


 物語の主人公ネオは、モーフィアスの手引きでマトリックスから解放されます。そして、マトリックスは現実の世界ではなく、プラグを通じて脳に送られる電気刺激が生み出した仮想現実であると聞かされます。さらに、マトリックス内では現実の重力や筋力なども関係ないので、物理法則は無視することも破ることもできることも教えられます。
 「思い込みから解放されろ」というメッセージを受け取ったネオは、速さの限界や、エージェントには勝てないという思い込みから解放され、1作目の終盤にはマトリックス内の物理法則からも完全に自由になります。
 また2作目の終盤、アーキテクトから、現実だと思い込んでいたザイオンも彼らによって設計されたものだと聞かされたことで、ネオはマトリックスの外でも物理法則を無視した力を使えるようになります。


 では、ネオたちが本当に解放されなければいけない最大の思い込みはなんなのか。それは「選択肢が2つしかない」という思い込みです。物語では、三部作を通していたるところでネオが2つの選択肢を提示されるという場面が描かれています。この思い込みはとても強力で、会社の上司、ネブカデネザルの船員、ザイオンの人々、エージェント、それだけでなく、モーフィアスやアーキテクトでさえもこの思い込みにとらわれています。

「大切なのは選択だ」

 アーキテクトとの会話でそのことに気付いたネオは、彼らの想定にない選択をすることで、彼らの予測できなかった未来を実現するようになっていきます。


 マトリックスの物語は、機械と人間という二つの陣営の対立を軸に進行していきます。しかし、この対立軸自体が実は虚構であることが2作目で明かされているのです。2作目の序盤、ザイオンに戻ったネオの元を議長が訪れ、ザイオンの最下層を案内する場面があります。ここで議長は、機械のおかげでザイオンが機能していることをネオに伝えます。

「この機械のおかげで街は機能している。我々を生かす一方で別の機械が殺しに来る」

「この機械を見ているとマトリックスにつながれた人々を思う。ある意味我々もつながれている気がする」

それを聞いたネオは、この機械は我々の支配下にあると反論します。議長はそれに対し“支配”とはなにかと問います。ネオは機械を止められることだと答えます。議長は同意しつつ言います。

「その通りだ。それが支配だ。望めば粉々に破壊もできる。だが破壊したら電気が消えて困るな」


 モーフィアスは1作目で、マトリックスは“支配”であり、それがなんのための支配であるかをネオに教えます。しかし、“支配”そのものがなんであるかには言及していません。ここで議長は、“支配”とは、“依存しあっている相手”との関係を一方的に終わらせる権利を持っていることだと伝えています。


 1作目では、支配する機械陣営とそれにあらがう人類陣営、悪と善という構図がはっきりしていましたが、ここで、どちらの陣営も機械と人間/人間と機械という組み合わせになっていることが明かされます。それを強調するかのように、3作目の終盤では、機械を標的にするEMPによってザイオンが危機に陥り、人間を標的にするスミスによってマシンシティが危機に陥る様子が描かれています。そのことに気付いたネオが、人間と機械のどちらが生き残るかという虚構の選択肢から解放され、共存するという選択をすることで物語はエンディングをむかえます。


 ところで、2つしかない選択肢から自由になるというストーリーを通じてウォシャウスキー監督が一番気付いて欲しいメッセージはなんだったのでしょう。現在から振り返ると明らかですが、それは、当時は性別の選択肢が2つしかなく、彼ら(当時)はどちらでもない選択をしたかったということです。

 ネオにマトリックスの正体について説明したあと、モーフィアスは最初にマトリックスから解放された人物の話をします。

「マトリックスができた時、一人の男が生まれた。彼はマトリックスを正しい姿に変える力を持っていた。初めて我々を解き放ち、真実を教えたのも彼だ」

 私たちが使っている「暦」ができた時に生まれたとされるある人物は、人類誕生の物語を書き変える力を持っていました。彼は処女だった女性から生まれたとされているので、彼の誕生に男性は必要なく、必要なのは子宮だけでした。ちなみにマトリックスという言葉には“子宮”という意味も含まれています。彼は生涯独身で妻も子供もいなかったと伝えられています。しかしその後の歴史では、父親と母親がいて子供をつくるという形態が正しいこととされ、それ以外は異常(アノマリー)とされてきました。機械がエネルギーを得るために人間を栽培するように、食料生産、軍事、税などさまざまな意味で“生産力”が必要だからです。
 

 作中では、そのような支配から自由になるために、男性のネオが女性のシンボルカラーの赤いピルを選ぶ場面が描かれています。また、1作目のエンドロールの直前、ネオが公衆電話から電話をかける場面で、コンピューターの画面に“SYSTEM FAILURE”という表示が現れます。そして、MとFの間にあるスペースに向かってカメラがフォーカスしていき、そこにネオのセリフが重なります。

「この電話の後、人々に本当の世界を見せる。お前たちが支配しない世界を。どんな規則も束縛もない世界を。全てが可能な世界を」

 

 『レザレクションズ』を観ると、このメッセージが人々に届くまでにずいぶん時間がかかったことがわかります。そして私自身がこのメッセージを受け取るまでにもずいぶんと時間が必要でした。ちなみに、この経験が、私が映画に関する文章を書こうと思ったきっかけの一つでもあります。

 
 ここまで読んでいただきありがとうございます。トリロジーを簡単に振り返るつもりが長くなってしまったので、本編に関しては次の記事で書こうと思います。近日中に投稿したいと思いますので、読んでいただけたら幸いです。

 
マトリックスに関するリリー・ウォシャウスキー監督の発言をまとめた記事
https://eiga.com/news/20200812/6/



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