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#47 京都大学を中退した医学部生が世界一周してみた

旅の第二交差点ーネパール④

振り返れば18歳の春、ぼくは現役で京都大学に入学していた。


中高一貫校に通い、高校二年生が終わるまでの5年間は、勉強などしたことがなかったのだが、高校三年生に上がると、大学進学のため必死になって勉強をするようになった。


もちろん、当時将来に対する展望などは何も持っていなかったが、ただただ京都大学に入りたい、という一心のみで、その後の10ヶ月を駆け抜け、見事に合格することが出来た。


入学してからの生活は、きっと薔薇色に彩られたものになると疑わなかったが、現実は全くその逆だった。


「大学進学」という大きな目標が、成功という形で消え、また将来の自分に対して何の希望も持たなかったぼくは、その瞬間にあらゆる行動意欲を失っていた。


 今ここで表現するなら、「燃え尽き症候群」というものだったのかもしれない。


それに加えて、新天地で新しく幅広い人間関係を築くことにも失敗していた。


ごくごく狭い繋がりの中に潜り込んでゆき、気が付けば大学の授業には全く通わない学生が出来上がっていたのだ。


その繋がりの一つというのは、先にも触れた祇園の花屋であるのだが(登山と亡き人ーマレーシア③)、もう一つ、当時京都大学の講堂地下には、大学のマイノリティ達が集まる、秘密基地のような場所があった。


普通の京大生になることを厭う京大生、或いは普通の京大生になれなかった京大生など、日が暮れれば、良くも悪くも一風変わった学生たちが、そこには集っていた。


夜な夜な誰彼となく集まれば、時に崇高で、時にひどく下卑た議論を交わし、その基地の中にいるだけで、「普通」という世界から一線を画した場所に身を置いているような、奇妙な安堵感を得たものだった。


その日々が、自分たちの何かを磨き上げたのかどうかは、わからない。


大学に行かず、そういった場所で多くの時間を過ごしていたことが、授業に出席する事と同等の何かをもたらしていたのか、と問われれば、回答に窮してしまうかもしれない。


しかし、そこには間違いなく一つの時代が存在していたのだ。


暗いようで時に明るく、また黒いようで時に青い、ぼくの青春時代のようなものが、間違いなくその場所で繰り広げられていたのである。


その時代の最中、ぼくは普通の京大生になることを厭い、また普通の京大生になろうとしてもなれない、世間を罵っているだけの大学生だった。


一つの些細な努力すらも出来なかったのだ。


「受験勉強」という、努力に対してすぐさま結果が訪れるものにしか注力出来ず、先の見えない「将来」ということに対しては、「授業に出る」という些細な精力すら注ぐことが出来なかった。


 それは、最大限に良く表現すれば、「潔癖体質」とも言えたが、平たく言えば、ただの「怠惰」という一言に尽きた。


 そんな状況に身を浸しながら、何とか現実世界に這い上がろうと、幾度となく決心もした。


 ―明日からは大学に行こう
 ―来週からで良いかな
 ―いや、来学期からは心を入れ替えて、しっかり出席しよう


 心の中で、どう扱っていいのかわからない、厄介な焦燥感と戦いながら、行く末について悩み抜いた。


様々な可能性が頭に浮かんでは、「どうせ自分には無理だろう」と、自虐的な考えで自分を痛めつけ、思考を停止させる言い訳にしていたのだ。


越冬のために穴倉に潜り込み、その冬の間もチラチラと外の様子を窺う、奇特な熊のような生活だった。

続く

第1話はこちら
https://note.mu/yamaikun/n/n8157184c5dc1


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