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【019】「畳を降りる」還暦のパラ柔道家・松本義和の決断(下)

■この記事には、前編(上)中編(中)があります。


■メダルへの戦い。「今の自分が一番強い」と信じていた。

 4大会(17年ぶり)3回目のパラリンピック。その畳に立った松本義和さんは大会前、「人生の最後に、東京大会まで、戦おう」と考えていたそうです。柔道の会場は、柔道家ならだれもが憧れる日本武道館。無観客だったとはいえ、妻、長女、長男からは「やり切ってきて」と送り出されていましたた。「まずは1勝」「今の自分が一番強い」と自分を信じて挑んだ17年ぶりのパラリンピックの結果は、初戦、敗者復活戦とも一本負け。試合後、コロナ禍でも戦えたうれしさを感じていたといいます。
 しかし、報道陣の取材中のことでした。練習場所や相手がなかなか見つからず、手伝ってくれた人たちへの思いが胸を突き上げてきたのです。思わず涙があふれてきました。
 「見えなくなった自分の復権のために」戦い、銅メダリストになった2000年のシドニー大会。大会前に結婚し、「妻のために」挑み、日本選手団の旗手を務めた2004年のアテネ大会。そして、その後に生まれた「長女と長男に戦う姿を見せたい」と狙い続け、その希望をかなえた2021年の東京大会。
 「柔道家・松本義和」は、選手として走り抜け、引退を決意したのでした。

■引退を撤回! 「いざ、パリへ!」

 ところが、転機が訪れます。全盲・弱視の区別なく体重別で戦った東京2020大会までのパラリンピックとは違い、パリ2024パラリンピックからは、全盲だけで戦うクラスができることになったのです。この時、松本さんは「パラリンピック出場はもちろん、シドニー以来のメダルも取れる!」と考え、引退を撤回することにしました。
 「パリへ」の思いの強さは、柔道家を強くしました。2022年12月の国際大会「東京国際オープントーナメント大会2022」で、松本さんは、国際大会での初めての優勝を果たします。
 「パリでのメダル獲得」に向け、順調に調整が進んでいました。この時のことは、パラスポーツを紹介するウェブサイトや、点字ジャーナル2024年7月号でも紹介されています。

 さらに、松本さんは2023年3月に、ニッポン放送のラジオ番組「ニッポンチャレンジドアスリート」に「還暦の星」として紹介されて登場し、パリに向けて、「(東京から)パリまでの3年間、頑張ってみようと思った」と話しています。
(※リンクは、松本さんが登場した時の番組アーカイブです!)


■パリ目前。襲った病

 実は、このインタビューを受けたころ、松本さんは、体調の異変を感じていました。検査を受けたところ、心臓の不調(心房粗動と心房細動)で、23年2月と3月に、計2度のカテーテル手術を受けることになったのです。
 さらに、肘、腰、膝と、スポーツ選手にとっては命にも匹敵する部分が、次々と激痛に襲われました。7月に医師から「心臓は完治した」と診断を受け、稽古のレベルを上げましたが、どうしても身体にパワーが戻りません。
 8月のバーミンガム、9月のアゼルバイジャン、10月の中国杭州、そして12月の東京グランプリと、国際大会の畳の上に立ち続けましたが、「どうあがいても、自分がイメージする身体のパワーが出ず、相手選手に圧倒されて負けてしまうことが繰り返された」と語ります。
 さらに、膝の脱臼もあり、「試合に出場すること自体が恐ろしくなってきた」と語ります。
 前年優勝していた東京グランプリでは、初戦の2回戦は勝ったものの、次の準々決勝に敗れ、敗者復活戦にも敗戦。その結果、パラリンピックに出場するための基準となるポイントを獲得することができず、「パリ出場」の可能性が、全くなくなってしまったのです。
 松本さんは2023年12月になり、応援してくれた人たちにメールやLINEで連絡をしました。
「今年になってからの体調不良の連続。さすがに歳には勝てませんでした」

■「楽しかった」。でも、「今後についてはまだ何も考えられない」

 メールの冒頭には「お世話になった人たちへ」。そのメールには、こんなことも書いてあります。(※~~~の間は、引用です)
~~~
これで現役選手としては引退です。
20歳で失明し、その直後から始めた柔道。41年間。
36歳から日本代表になってからでも25年間。
特にこの10年ほどは完全に柔道オンリーの日々でした。

これまで多方面で私の夢に対して支えてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
特に練習相手になってくれた人、また練習場所を提供してくれたひと、本当にありがとうございました。日々ものすごくうれしかったです。

今後についてはまだ何も考えられない状況です。
どのような環境になるかわかりませんが、また前に向いて進んでいきたいとおもいます。

これまでの自分の柔道人生に乾杯。

~~~

■それからの松本さん

 しかし、松本さんの活躍は、留まることを知りませんでした。「引退する」と聞いて、長居障がい者スポーツセンターに近いご自宅に話を聞きに行ったら、「前からこれ、ほしかったんです!」と言って、ポケットトランペットを見せてくれました。ほかにも、オカリナやハーモニカなどなど。子どものころから好きだったという「南海ホークス」の応援歌も演奏してくれました。「長居公園で吹いて練習しようかな」って! 「今後についてはまだ何も考えられない」とメールを送ってこられたのは、どなたでしたかな⁉

ポケットトランペットを演奏する松本義和さん=2024年1月

 それだけではありません。2024年4月から5月には、視覚障害者向けラジオ、JBS日本福祉放送「竹田と山口のときどき役立ちラジオ」で、松本さんのインタビューが流れました。上にリンクを張った「ニッポンチャレンジドアスリート」は、(わずか)18分弱のインタビューでしたが、JBSの放送は前後編の2回で、1回あたり40分の長尺!w
 そこで披露される、さらなる挑戦や野望を、ぜひお聞きください!

第194回 ゲスト:パラリンピック柔道・元日本代表 松本義和さん<前編>
第195回 ゲスト:パラリンピック柔道・元日本代表 松本義和さん<後編>

■24年夏には、初級パラスポーツ指導員の資格も取得!

 トランペットを見せてもらった頃のことです。松本さんから「パラスポーツ指導員の資格が取りたい」というお話がありました。パラスポーツ指導者資格には6種類あります日本スポーツ協会の公認指導員や、中学・高校の保健体育教員免許所有者、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)であれば、初級を飛ばして中級指導員から養成講習会を受けることができますが、松本さんはそういった資格をお持ちではないので、制度上、初級から受けることになります。パラリンピックでメダルを獲得したとしても、例外はありません。そこで、私たちの職場が事務局となった今年7月の講習会の受講を勧めました。
 3日間(計21時間)の講習を受けて、松本さんは無事に初級パラスポーツ指導員になったのですが、実は、私たち講習会事務局員にも、学びの多い機会となりました。
 例えば、松本さんのように、全く見えない方が受講生にいる時には、配布する資料をどうしたらいいのか。また、通常だと、「見えることが前提」でする実技では、どういった工夫が必要なのか。あるいは、どうしても、写真や絵でしか伝えられないものは、どう伝えたらいいのか。
 私たちの職場では、過去にそういった経験もある日本パラスポーツ協会の担当者などに相談し、事前にこれまでの方法を聞くなどしました。例えば、冊子になっている教科書や、教室で表示するパワーポイントの資料をPDFやテキストで作り、事前に松本さんにお渡しするなどでした。
 一例として、当日の実技の様子を映像に撮りましたので、こちらをご覧ください。

■これからも、きっと活躍する「となりの人間国宝さん」

 関西にお住まいの方なら、きっとご存じだと思います。関西テレビ(フジテレビ系列)の朝の情報番組「よ~いドン!」。この番組の人気コーナー「となりの人間国宝さん」に、松本さんは認定されています。このnoteのトップ写真が、その認定証です。
 柔道で現役を引退したと思ったら、長居障がい者スポーツセンターの公認スポーツクラブで、ブラインドマラソンの「長居わーわーず」の代表になったとか、松本さん? この辺りまで書き始めると、「体重100キロで100キロマラソン」を走ったことなど、話がどんどん広がるので、上に紹介した「ニッポンチャレンジドアスリート」の登場回や、JBS日本福祉放送でのインタビュー
第194回 ゲスト:パラリンピック柔道・元日本代表 松本義和さん<前編>
第195回 ゲスト:パラリンピック柔道・元日本代表 松本義和さん<後編>を、ぜひ、お聞きください!
 一つだけ言えるのは、松本さんは、これからも、私たちの「となりの人間国宝さん」として、ずっと活躍していくはずだということです。

■と、ここまで書いたら、松本さんから連絡が!

 と、ここまで書いたら、松本さんから連絡があって、「電話で話したい」。
 かけてみると、手話の指文字の五十音を覚えたって。理由を聞くと、「40年前に長居のスポーツセンターに僕が通い始めた時、一緒に柔道を稽古した聴覚障害の人と、話したくて。その人も長居のスポーツセンターに今も来ているんだけど、40年前から知っているのに、まだ話したことがないから」。やっぱり、すごい方だなあ!
 さて、見えない人と、聞こえない人の会話はうまく行ったのか? この辺りは、ご自身がFacebookで公開されていますので、リンクを張っておきます!

手話と柔道と長居のセンターと40年 先月、初級パラスポーツ指導員の口座を受講した。 受講中何気なく「全盲の自分がいったい何ができるだろうか?」とかんがえてた。 3日間の受講した翌日のわーわーずの練習会で手話のスペシャリストガイドの「はっ...

Posted by 松本義和 on Monday, August 19, 2024

■おまけ