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【小説】名残の花に雨霞

サクラサク頃に

 空は晴天よりも、薄い雲がかかった方がよい。
 淡いピンクの花は曇り、ふわふわと綿のように柔らかい。
 ごく白に近いティントカラーと、ごく黒に近いシェードカラー。
 桜の白さとはかなさは、枝のアクセントがあればこそである。
 サクラを嫌いな理由は3つあるらしい。
 花びらが舞い散る景色は美しい。
 では、落ちた花びらはどうなるだろう。
 水に落ちれば花いかだ
 落ちた瞬間の美しさは息をのむほどだ。
 だが、踏み散らかされて風で飛び路肩に溜まる。
 桜色をしているだけで、落葉と何ら変わらない。
 掃除する人からすれば、わずらわしいだけであろう。
 そして花粉症。
 桜アレルギーの人は少なくない。
 直接的でなくても、花粉アレルギーの人全般にとって受難の時期を象徴している。
 桜咲くころに息苦しい思いをするのである。
 宴会も嫌われる理由の一つである。
 実は悶々としながら歩く卯月 春真うづき はるまは、花見の賑わいを味わおうとやってきた。
 誰も誘わず、一人である。
 黒い原付バイクを6キロほど飛ばして、駅近の名所をのんびり歩きながら端から端までねり歩いているのだ。
 普段は車が行き交う道路を、桜を見上げながらゆう々と歩く。
 桜の美しさは言うまでもないが、屋台の鮮やかな色、草むらの緑も花をひき立てている。
 春真は田園地帯に住んでいるので、わざわざ街中に来なくても桜を見るスポットがたくさんある。
 満開になっても人っ子一人いない木の下でぼんやりするのも好きだった。
 だが今年は駅に近い花見スポットに来てみたくなった。
 桜の下で行われるお祭りに興味があったからだ。
 それにしても人が多い。
 知り合いがいないか、視線を滑らせながら歩く。
「卯月!」
 すれ違いざまに声をかけられた。
「ああ、村山」
 高校の同級生だった。

名残の花

 春真が振り向いた。
「来年はどうするんだ」
 この3月に卒業したばかりで、それぞれの進路が一番の話題だった。
「俺は ───」
 良い淀んだことが、物語っていた。
「そうか。
 浪人だったっけ。
 悪かったね」
「いや、気を使わなくていい」
 志望校に落ちて、受験が1年先に伸ばされた。
 ずっと追い詰められていた気持ちが、桜のように柔らかく空に浮いていた。
 大学に合格できなかったら、先には何もないと思っていた。
 本当は浪人も視野に入れていたが、自分を追い込んでいたのだ。
 疲れた精神を癒すためには、一人になるより人混みにいた方がいい。
 自分が今まで遠ざけていた楽しみを、噛みしめて歩いていたのである。
「ミュージシャンになりたいんだったね」
「ああ」
「大学に行くものなのかな」
 胸にグサリと刺さった。
 ぼんやりした意識が少しザワつく。
「工学的な知識がいるし、DTMを深くやりたいからだよ」
「作曲とか演奏とかするのか?」
 言われてみれば、勉強しかしていない。
 黙り込んでしまった。
 村山は顔を覗き込んできた。
「ちょっと、土手の階段にでも落ちつこうぜ」
 じっくり話すつもりなのか、桜を眺めたいのか促されるままに土手に登った。
 カラシナとタンポポ、土筆つくしがびっしりと生えている。
 遠くから見ると緑の草が目についたが、座ってみると風景が変わった。
 桜の美しさは、周りとの対比である。
「音楽をやりたかったら、専門学校とかいろいろ選択肢があるんじゃないかな ───
 いや、単純に興味があってね。
 俺も楽器やろうかなと」
「何をやりたい?
 ギターとか、ドラムとか」
 今度は村山が黙り込んだ。
 視線は桜をまっすぐに向けている。
「何でもいいかな ───
 全然経験がないんだよな」

桜の花

 音楽に憧れを抱くティーンエイジャーは珍しくない。
 メロディと歌詞に込められたエネルギーを求めて、コンサートに行き配信サイトを探す。
 立ちあがった春真は、桜に近づいた。
 手を伸ばして低く広がった枝を指す。
「花を近くで見ると、形がいびつなんだよな ───」
 桜マークのように見事な正五角形に収まる形は見当たらなかった。
 1枚欠けている花。
 前後にズレた花びら。
 向きもまちまちである。
「音はたくさん種類がある。
 音の粒がリズムという枝に連なっていく ───」
「桜は音楽か ───」
 離れて見ればひとつの塊になる。
 近づいて見れば見え方が変わる。
「音を作るのか、音楽を作るのかで観点が変わるか ───」
「俺は、音楽を楽しむだけで終わりにしない」
「そうだろうな。
 絵に描いたようにバンドを組んでみんなで盛り上がって楽しむことも音楽だが、追及する行為は別のところにありそうだ」
「だから、大学に行って自分の切り口を見つけたいんだ」
 階段に戻って腰を下ろした。
 近くの桜は花の一粒一粒を認識できる。
 枝ぶりが、捻じれて分かれて広く高く広がっていく。
 桜の木を一本だけ見ても桜らしさがある。
 そして、遠くまで続く並木は薄ピンクの綿のようにふわりと柔らかい。
 土手沿いにまっすぐに伸びていく桜は、周囲の風景も取り込んで美しさの一部にしている。
 駅が近いため、人通りが多くて祭りの出店が集まってくる。
「音楽を、何のためにやるかって言われると答えられないかもな ───」

桜とカエル

 緑のアマガエルが、草むらにまぎれて跳ね上がる。
「カエルと桜みたいなものかな ───」
 草の間を覗き込むようにして頭を沈めた。
「天井と床の恋愛か」
「なんだそれ」
 村山の言葉は不可解だった。
「手を伸ばしても届かない。
 届かないから恋焦がれる。
 夢を見ることの比喩だよ」
「なるほどな。
 でも、アマガエルは桜を見ていない」
「結びつけるのは、傍で見ている人間だ ───」
 桜を見ていて飽きないのは、遠景と前景で見え方が変わるせいかもしれない。
 カエルは桜に関心がない。
 見えていても美を感じていないはずだ。
 そのカエルが、桜に飛びつこうとしている。
「フロッガーって知ってるか」
「いいや」
 春真の心には、メラメラと炎が揺らめていていた。
「ちょっと歩こうぜ」
 2人は立ちあがり、駅へ向かって歩きだした。
 土手から駅まで500メートルほどの道路が伸びている。
 片側1車線。
 歩道には水色のフェンスがあって、アスファルトの中央に点字ブロックもある。
 車はあまり通らない。
 人通りが多いせいかもしれない。
 交差点にさしかかった。
 直交する大通りには、トラックや乗用車がたくさん連なっていた。
「ゲームだよ」
「どんな?」
「カエルが大通りを超えて、大きな川を越えていくんだ」
 ちょうど、目の前の光景だった。
 カエルはちっぽけである。
 車から認知もされずに踏みつぶされてしまう。
 雨上がりの道で、車に轢かれたアマガエルを見る。
 カエルは自分で避けなければ、すぐに殺されてしまうのだ。
 ゲームデザイナーがカエルの弱さに着目したかは分からないが、人間ではなくカエルをモチーフにしたところにイメージの広がりがある。
 その先には流れが速い川が待っている。
 太い木や亀が流れてくるので、その上に飛び乗って対岸まで渡る。
 普通はそんなに都合よく流木があるはずはない。
 ゲームだからと言えばそれまでだが、ビジュアルが絶妙にカエルの小ささと弱さを際立たせるのだ。

カエルの心

 家に帰ってからも、心のザワつきが収まらなかった。
 自転車に乗ったところまでは覚えているが、ぼんやりとしながら部屋に籠ってしまった。
 冷たい床に寝転がり、頭の後ろで手を組んだ。
 白い天井には、縦横の筋が入っている。
 眼には映らないが、青空が広がり雲が浮かぶ。
 そして宇宙が果てしなく広がる。
「俺は、ちっぽけなカエルだな ───」
 音楽に賭けてみようと思ったはいいが、具体的に何をするのかビジョンがなかった。
 音は宇宙の波動のようなもの。
 見えないし、消えていく存在だ。
 自分自身の肉体のように。
 考えてみれば、カエルと人間にどれほど違いがあるだろうか。
 時代は流れている。
 DTMに眼をつけて、深く学びたい気持ちは変わらなかったが音楽とのかかわり方は加速度的に変化する。
 スマートフォンのアプリでも、手軽に作曲できる時代が来ている。
 そして、音楽を発表する場は、ライブハウスやマスコミばかりではない。
 個人で音楽を配信することができるし、継続すればかなりの集客も可能である。
「どうしろってんだ」
 村山の問いが、頭の中でずっと響いていた。
 プランがなければ人生に失敗するかもしれない。
 音楽を楽しんでいても先がないし、だからと言って飯を食うことばかり考えていては情熱を失うだろう。
 要はバランスである。
 自分なりの落としどころを探って生きていくものなのだ。
 頭は冴えて、眼がギラつくのがわかった。
 足を伸ばしたまま起こし、上半身を丸めていく。
 息を調節しながら腹筋を始めた。
 自分を高め続け、走ることだけが人生である。
 少なくとも春真は夢を追う人生を選んだ。
 何でも吸収して行くしかないのだ。

春だからこそ

 桜が散った。
 春真に春は来なかった。
 桜をきれいだと、心の底から言えないのは春が来ないせいである。
 次の試験まであと9か月ほどである。
 桜のせいで時間を無駄にしたような気もする。
 焦りがネガティブにしていた。
 音楽を勉強するために教養も必要なはずである。
 バンドを組んだりして演奏に没頭するのはまだ先の話だ。
 花見に出かけたお陰で、やるべきことが整理された。
「俺はカエルだ ───
 巨大な車を避け、川を渡って向こう岸に行く」
 薄暗い部屋に、デスクライトの眩しい光が灯る。
 一歩一歩踏みしめて歩くしかなかった。


この物語はフィクションです


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