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放送とインターネット

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放送局に勤めていたので、たまに放送のことも書いていました。ま、内輪向きの文章が多いので、ここにはたまにしか載せませんでしたが。いずれにしても定年退職しちゃったので、今後はこのテー…
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#インターネット

人を動かすのが人の仕事

聞いて、考えて、語り継ぐ会社の後輩が修士論文を送ってきました。前にここに書いた H君です。 僕に相談に来たときには、彼の関心事は ということでした。そこから少し変わってきた部分もあるのですが、彼は社員に対するさまざまなインタビューを実行し、そこで得たさまざまな発言について分析を重ねて、「新しいアイデアが実行に移されて、仕事として立ち上がってくるのはどういう状況であって、その障害となるのはどういうものか」ということを、まことに学術論文らしい筆致でまとめ上げてありました。

荒れるソーシャル・メディアを考える──あなたはそこに行ったことがあるか?

僕は2009年に twitter を始めましたが、そのころの、言わば日本における黎明期の twitter は、嫌なことをつぶやく人がほとんどいない、とても快適な空間でした。 たまに嫌なこと、攻撃的なことを書く人が現れても、皆でそれをガードしようという雰囲気さえありました。 例えば、あれはアカウントを作って2年目ぐらいだったかな、僕に対して所謂クソリプをぶつけてきた人がいて、僕が「けったくそ悪いツイートを読みたくないので、そのツイートが早くタイムラインの下のほうまで行って視

テレビとネットの統合広告指標と「考える社員」

テレビCM とインターネット広告の統合指標を作る必要があるというような記事を読むと果たしてそうだろうかと思ってしまいます。 確かにテレビはデータの面ではずっと遅れたまま、と言うか、歩みを止めてきた感さえあります。世帯視聴率という“目の粗い”単一の指標でいつまでも引っ張りすぎたと思います。それはひとえに「面倒くさいことはしたくない」という怠惰な思いと「このままでも大丈夫」という勘違いと奢りの裏返しだったんじゃないでしょうか。 でも、それではダメだと漸く気づいて、この 10年

テレビが何故こんなに力を失ったかを考える

ここ数年、配信やインターネット上のいろいろなコンテンツに視聴者を奪われて、テレビの売上がいよいよ下がってきたとか、テレビの影響力がますますなくなってきたとか、いろんなことが指摘され、議論されています。 でも、そういう傾向は昨日今日始まったのではありません。その萌芽はずっと前からあって、「このままではテレビは危ないぞ」みたいなことは、すでに 20年近く前から言われ始めていたのです。そう、それはテレビがアナログからデジタルに転換(所謂「地デジ化」)するころの話です。 テレビは

どういう場合は引用しても大丈夫なのか

ウェブ上に(著作権者の許諾を得て)いろんな曲の歌詞を掲載したサイトはたくさんありますが、その多くは歌詞の一部さえコピーできない設定になっています。 著作権保護の観点からやっているということはよく分かるのですが、僕のように時々音楽関係の文章なんかも書いていて、自分のサイトに歌詞を引用しようとすると非常に不便に思います。 そう、誰かが書いた歌詞は一切コピペしてはいけないわけではなくて、著作権法で規定されている「引用」であれば、それは著作権法上適用除外となるのです。なのに一切コ

「視聴者には分からない」時代ではない

TBS『アトムの童』が残り1回の放送というところまで来て、いよいよ盛り上がってきました。けれども僕はここまで毎週この番組を見てきて非常に大きな危機感を覚えています。 ゲーム開発、インターネット、経済関係の法律、株主総会の進行、検察や警察の動きなどなど、素人目で見ても「それはないやろ」と思うことが多すぎませんか? いや、設定が甘い、あるいは不正確なドラマはこれまでもありましたし今現在もあります。調べずにうっかり書いてしまったのではなく、意図した設定の場合もあります。SF的な

生まれるのがもう 15年遅かったら──インターネットとの関わりを振り返って

僕も随分年を取ってしまったが、だからと言って高校時代に戻りたいとか、社会人一年目からもう一度やりなおしたいなどとは思ったことはない。むしろ、もう一回やるなんてまっぴらごめんである。 ただ、「自分が生まれるのがもう 15年ぐらい遅かったらなあ」とは思う。それは「自分が今、もうちょっと若かったら」という思いとは全く異質のものである。 それは今ある環境にもっと若い年齢で対応したいということではなく、かつてあった環境にもうちょっと若い年齢で対処できていたら、という果たせぬ願望だ。

このあと note に何を書くか

先月一杯でむやみに長かった会社員生活も終わり、それで終わるに際して述べたことをまとめて note にアップし、 facebook にもその記事を貼ったところ、結構な数(と言っても他の人のと比べると大したことはないが、それでも普段の何倍か)のエンゲージメントがあった。 そもそも僕はあまり人に好かれないタチらしく、普段は何を書いても「いいね!」や「スキ」は数えるほどしかつかないのだが、これはまさしく“失職バブル”である(笑) 「いや、それは好かれる/好かれないの問題ではなく

たとえテレビ番組であってもインターネットの商品はインターネットのルールで売る

(すんません、以下の文章はちょっと専門的すぎて、一般の方には分かりにくいかもしれません) 先日、とある同時配信関連のウェビナーに参加しました。 登壇者は端的に言って「同時配信やるべし」の人たちばかりでしたが、それは今となっては当然だと思います。 私はテレビ番組のインターネット常時同時配信については、かつて社内で一貫して反対の立場を取っていましたが、それは同時配信を行ったら害があるとか、同時配信はやるべきではないということではありません。 私が言いたかったのは、同時配信

「テレビ離れ」という厄介な発想(2022/3)

久しぶりに境治さん主催の Media Border に投稿しました。多分これが僕の最後の投稿になるのではないかと思います。少しだけ筆を入れてこちらにも転載します。 境治さんを筆頭に、Media Border には錚々たる書き手がおられますので、メディアの話をたっぷり読みたい方はこちらに登録されては如何かと思います(今回は note版ではなく、Publishers版の URL を貼っておきます)。 「テレビ離れ」という厄介な発想「テレビ離れ脱却論」の跋扈 インターネットと

続・テレビの中の固定観念──テレビ受像機の多機能化とテレビ番組の同時配信

前に「テレビの中の固定観念──商品名と裏番組」という記事を書きました。 今回も似たようなことを書いてみようと思います。僕がいろいろ言っても、却々ちゃんと受け止めてもらえなかったことを2つほど: テレビ受像機の多機能化に対する抵抗インターネットの登場直後から、とまでは言いませんが、僕は割合早くからテレビとインターネットが繋がって行くべきだと考えて、社内でもそんな風に主張し始めていました。 一連のキー局買収騒動もあって、上のほうからは「“インターネットとの融合”と言うな。“

作り込んだ番組とライブ感溢れる番組の相克についてのわりとつまらない考察

僕の志望動機僕がテレビ局に就職したのはドラマを作りたかったからだ(結局ドラマはおろか、いかなる番組も作らせてくれなかったけれど)。 僕は昔からドラマが好きで、ドラマのようなしっかり作り込んだ番組を好んでいた。つまり、しっかりとした台本(所謂「構成台本」などではなく)があって、みっちりとしたリハーサルの末に収録され、すっきりと編集されたコンテンツである。 例えばドラマ、お笑いであればコント、そしてスタジオにセットを組んだ音楽番組などなど。 ある意味その対極にあるのが今テレ

ネットは変わって行く

ネット上のルールやエチケットは変わる今は例えば note の記事には必ず見出し画像をつけるのが常識ですが、1990年代中頃には、ホームページにはできるだけ画像を置かないように、みたいなことが言われていました。 若い人はウソでしょ?と思うかもしれませんが本当です。 もちろん画像があったほうがインパクトが強くて、読者に読む気を起こさせるのは今も昔も同じです。ただ、昔は圧倒的にネットが遅かったのです。 インターネットの黎明期には、画像は(ピクセル1行ごとなのか3行ごとなのか詳

テレビとネットの新しい時代(2021/3)

境治さんが主宰する Media Border に久しぶりに記事を書きましたので、こちらにも転載します。 いつも書いているように、こういう分野に興味があって、多少お金を払ってもそういう記事がお読みになりたい方は Media Border に登録されるのが良いかと思います。 最近では note 内にもミラーサイトができているので、今回はそのページへのリンクを張っておきます: さて、以下が私の最近の偽らざる心境です。 新しい時代毎日放送の山本と申します。私は一旦定年退職して