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テレビとネットの新しい時代(2021/3)

境治さんが主宰する Media Border に久しぶりに記事を書きましたので、こちらにも転載します。

いつも書いているように、こういう分野に興味があって、多少お金を払ってもそういう記事がお読みになりたい方は Media Border に登録されるのが良いかと思います。

最近では note 内にもミラーサイトができているので、今回はそのページへのリンクを張っておきます:

さて、以下が私の最近の偽らざる心境です。

新しい時代

毎日放送の山本と申します。私は一旦定年退職して、今は再雇用のシニアスタッフとして働いているのですが、最近とみに「あ、自分はもう必要とされていないのだなあ」と感じることが多くなりました。

いや、年寄りのひがみや愚痴じゃないんです。もう我々の、と言うか、自分の役割は終わったのだという、ある種達成感のようなものも含まれています。

思い起こせば私は、1990年代の後半辺りから、インターネットに関わる仕事をしたいという思いが日々強くなってきました。当時はテレビ編成部に所属していましたが、新しいもの好きのプロデューサーが勝手にホームページを作っていろんな展開をしたりするのを喜ばしく眺めていたものです。

そして、2006年にやっとのことで本社メディア局デジタルコンテンツ部長の職に就かせてもらった頃から、社内でずっと放送とインターネットの連携/融合の必要性や意義を訴えてきました。

当時の敵は「放送かインターネットか」という、二律背反、二項対立、二者択一の発想でした。

「そんなこと考える暇があるんなら、もっと番組の企画について考えろ」などと言われました。

あくまでテレビの番組作りが第一、インターネットなんて番宣手段のひとつでさえない、ただのオマケ、あるいはひどい場合は阻害要因だと考えられていたのです。

「インターネットを見るとテレビを見なくなるじゃないか」ともよく言われました。私は当時からそれは間違いだとずっと言い続けてきました。「もしそうであればお風呂もテレビの敵です。ラダイト運動みたいに日本中のお風呂を打ち壊さなければなりません」と反論しました。

繋がることで視聴は広がるはずなのです。

地デジ化でデータ放送が導入され、ネットと繋がるようになったときにも、「安心安全なテレビ」から魑魅魍魎の棲む「危ないインターネット」には、決してワンクリックでは飛べないようにしようという主張がありました。

「番組のホームページを作りませんか」とプロデューサーに提案したら、「俺は忙しいんや。余計な仕事を増やさんといてくれ」などと言われたこともありました。

そのプロデューサーは1年後には自分から「番組HP を作ってくれ」と言ってきましたが、「じゃあ、よろしく」と言って立ち去ろうとするので、「番組タイトルのロゴとか写真とか、毎回の内容紹介文章とかは誰が用意してくれるんですか?」と訊くと、「え? そんなんそっちでやってくれるんとちゃうんか」と極めて不満そうだったりもしました。

つまり、仕組みがまるで分かってなかったんですね(笑) 彼らは一様に無知でした。

報道局にニュースの動画を配信したいと持ちかけたら、「ネットにアップするのは良いけれど、1日か2日で削除したい」と言われました。

その理由は、「ごくまれに誤報である可能性もあるし、最初のニュースで死者2人と伝えていたものが、時間が経つごとに新たな状況が分かってきて死者が100人に増えたりするケースもある。そういう時に第一報を残しておきたくない」というワケの解らん理由でした。

私が「事件の経過が分かったほうが良いじゃないですか」と言っても頑として拒否されました。

彼らは一様に頑なでした。

私たちはそういう無知や頑なと闘ってきたわけです。

もっと最近の事例でいうと、TVer が始まる時に、クリッカブルCMは一切認めないと聞いて、「①どこからでも接続できる、②画面の至ることころにリンクが張ってある、というのがインターネットの特徴なのだから、その特徴を認めないのならやらないほうがマシだ」と噛みついたこともありました。

その時に聞いたのは、「自分の番組を観ていたユーザが、CM になった途端に画面をクリックして、スポンサーのサイトに行ってしまって戻ってこないことを嫌がるプロデューサーがいるから」という説明でした。

私は、「そこでスポンサーのサイトから戻ってこない視聴者は、どの道そこで見るのをやめる人だったのだ」と反論しましたが、取り合ってもらえませんでした。

今では(まだ一部の CMチャンスでではありますが)クリッカブルCM は認められ、導入されています。新しいことを始めるには時間が必要だということなのでしょうね。

そして、いま振り返ってみれば、私が、私たちが闘い、説きつけようとしていた人たちは、概ね私より役職も年齢も上の人たちでした。彼らはインターネットに慣れ親しんでこなかった世代なのです。

私は、インターネットに関しては、少なく見積もっても彼らの 1024倍の知識がありました。でも、それを誇らしいと感じるのではなく、その知識量の差を常にもどかしく思っていました。

しかし、そんな人たちが順番に会社からいなくなり(あるいは亡くなり)、私たちはいつの間にかもう誰とも闘う必要がなくなっていたのです。

何故ならば、私より下の世代は(もちろん人にもよりますが)私と同等以上の知識を持ち、何よりも様々なネット上のサービスやソーシャルメディアやアプリケーションについて、楽しく遊んだ経験値を、すでに私の 1024倍くらい溜め込んでいるからです。

彼らに対して私から言うことは何もありません。実際彼らは昔の人たちが越えるのに躊躇していたテレビとネットの垣根を、あっちからこっちへ、こっちからあっちへと軽々と飛び越え、日常的に行き来しています。

個人の twitterアカウント、番組公式 twitter、Instagram、自社サイトや YouTube でのライブやアーカイブ配信、Radiotalk、Clubhouse 等々──いろんな新しい試みを始めています。11,961人の視聴者が自分の動画投稿でリモート参加した昨年末の『1万人の第九』もそのひとつです。

テレビの世界にも漸くそういう人たちが数多く現れて、漸くそういう時代がやってきたのです。

私はお払い箱になりました。それを全く淋しくないとは言えば嘘になるかもしれません。でも、良い時代になったと、心からそう思っています。

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