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「テレビ離れ」という厄介な発想(2022/3)

久しぶりに境治さん主催の Media Border に投稿しました。多分これが僕の最後の投稿になるのではないかと思います。少しだけ筆を入れてこちらにも転載します。

境治さんを筆頭に、Media Border には錚々たる書き手がおられますので、メディアの話をたっぷり読みたい方はこちらに登録されては如何かと思います(今回は note版ではなく、Publishers版の URL を貼っておきます)。

「テレビ離れ」という厄介な発想

「テレビ離れ脱却論」の跋扈

インターネットと連携した形で展開する自社のスペシャル番組のリリース文を読んでいたら、「テレビ離れが進む若者に訴求するため」と書いてあって、少々げっそりした。

どうしてこんなことを書くんだろう?

こんなことを書くと、逆にテレビ離れしてしまった若者たちには最初から見透かされて、全く観てもらえないんじゃないかという気さえする。

そんなことを愚痴っていたら、今度は民放キー4局が同時配信を開始するという記事に「若者を中心にテレビ離れが進む中、視聴者を開拓するのが狙いで」という文言があって、とうとう頭に来た。

どうしてこんなことばかり書くんだろう? こういう「テレビ離れ挽回論」には辟易するばかりである。

観る側には何の関係もない

テレビ離れがなんたらかんたらと言うのは完全に送り手側であるテレビ局の内向きの論理と発想であって、観る側には何の関係もない。まるで、「バーに飲みに来なくなった客に家で飲む酒を買わせるぞ」と言っているようなものである。

ユーザ目線に立っていたらそんなことは言うはずがない。普通にオススメするのであれば、「お店でも家でも、好きなところで飲んでね」みたいな表現がふさわしいはずだ。

ウチの会社は設立時にはラジオ局だった。それがテレビ放送に乗り出す時、ラジオを聞かない人を取り込むとか取り込まないとか言っただろうか? そうじゃなかったはずだ。テレビという新しい媒体が出てきて、「これすごいよ! 面白いよ! やろうよ!」となったのではないか?

インターネットも同じだ。新しくて面白い媒体が出てきたからそこに広げてみたいというのが素直な感覚ではないだろうか? 現状の売上の実態がどうであれ、テレビに取り戻すとか、あくまでテレビがメインであるとかいう発想は全く不要である。

テレビ離れで目減りした分を取り返せるか取り返せないかは社内のクローズド・スペースで語れば良いのだ。もっぱら古くて硬い頭の持ち主である一部の役員の説得用のフレーズとして語れば良いのである。

観る側がテレビ離れしているかテレビにしがみついているかなんて、そう言われるほうにしてみたら全く余計なお世話だ。「当社はテレビでもインターネットでも番組をお届けします」で良いではないか。ユーザの利便性を第一に考えていたら必然的にそういう表現になるはずだ。

逆に言うと、そういう視座を持っていないから「テレビ離れ挽回論」が跋扈することになる。

スタート時の躓き

でも、上でも書いたように、ネットとの連携/融合を進めて行く中で、社内でどうしてもそういう表現を使わざるを得ないケース(と言うか時代)があったのも事実だ。かく言う僕もそんな言い方をしてしまったことがある。

ウチの会社は 2016 年12 月に自社サイトでの番組配信を開始したのだが、当時の役職の兼ね合いで、それを常勤役員会で説明したのは僕だった。

何かと言えば経費回収と利益確保のことばかり追及する上層部に「最初に一発かましといたろか」との思いから、僕は「最初に申し上げておきますが、これは儲かるからやるのではありません。今始めておかないと将来手遅れになってしまうから始めるのです。こんなものは暫く全く儲けにはなりません」と切り出した。

しかし、その説明の中で、「ネットで配信することによって番組の存在や面白さに気づいた視聴者がテレビに戻ってくる」という理屈は展開した。自分自身では、もちろん確かにそういう効果はあるにしても、長期的に大きな成果は得られないとはっきり思っていたのに。

でも、ここは古くて硬い頭の持ち主をその気にさせるために、どうしてもそういう甘言を弄せざるを得ない局面だったと思う。

だから、使いたくなかった「見逃し配信」という表現も使った。これも番組を観なかった人を「(本来テレビで観るはずのものを)見逃したのだ」と決めつける失礼な言い方だと思う。

あの時、そんな言い方をしてしまったことが、今に至って尾を引いているのかもしれない。そう考えると痛恨の極みである。

僕は「繋がって広がる」というフレーズが気に入っていて、当時からそれを多用していたが、「テレビに戻すのではなく、ネットに繋がって広がって行くのです」と言うべきだったのかもしれない。「あくまでテレビが本流だなんて発想ではダメです」とガツンッと言うべきだったのかもしれない。

でも、そんな論理展開で臨んだら、2016 年には配信を始められていなかったかもしれないと思う。

あれから何年

しかし、それにしても、あれからもう何年も経ったと思っているんだろう?

インターネットとテレビが繋がることの便利さや面白さを、僕らはユーザとしても身を以て体験してきたはずだ。もうそろそろ「テレビ離れ挽回論」から脱出しても良いのではないだろうか?

もっぱら古くて硬い頭の持ち主であった経営トップの多くがすでに身を引いたにもかかわらず、社内の若手までが依然としてテレビ離れをどうするとか言っているのは情けない気がする。

新しいことをやろうよ。面白いことをやろうよ。テレビってそういう感じで伸びてきたんじゃないか?

免許事業のテレビと違って、インターネットはすでに他の多くの人が手を付けてしまってから僕らが加わることになったけれど、いろんなものを取り込んで独自に面白いものを作り上げてきたのがテレビだったはずだ。そこにはテレビ局なりのやり方があるんじゃないだろうか?

僕らはある意味で、そろそろ自らテレビ離れをして行かなければいけないのである。かつてのラジオ局が今ではラジオとテレビをやっているように。

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