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生まれるのがもう 15年遅かったら──インターネットとの関わりを振り返って

僕も随分年を取ってしまったが、だからと言って高校時代に戻りたいとか、社会人一年目からもう一度やりなおしたいなどとは思ったことはない。むしろ、もう一回やるなんてまっぴらごめんである。

ただ、「自分が生まれるのがもう 15年ぐらい遅かったらなあ」とは思う。それは「自分が今、もうちょっと若かったら」という思いとは全く異質のものである。

それは今ある環境にもっと若い年齢で対応したいということではなく、かつてあった環境にもうちょっと若い年齢で対処できていたら、という果たせぬ願望だ。

その環境とは何かと言えば、コンピュータとインターネットである。

僕はコンピュータやインターネットが本当に、心から大好きだが、僕の人生にコンピュータが現れるのはあまりに遅すぎた。

考えてみれば、生まれてから何十年間かは個人で使うコンピュータなんてなかったのだ。もちろん携帯電話もなかった。さすがに電話は家や会社にはあったが、コードで壁の穴と繋がっており、それを持って歩くことさえできない、そんな環境で育ってきたのだ。

僕が初めて PC を買ったのは 37歳のときだ。ブームが来て皆が買い始める少し前だったから、タイミングとしては遅くはない。だが、コンピュータを始めるには 37歳という年齢はいささか遅かった。

あれが 22歳だったら、もっともっとコンピュータに習熟して、ひょっとしたら何か資格も取得して、今とは違う人生のフェーズに立っていたのではないかと思うと無念でならない。

社内で希望が叶って僕がインターネット関連のセクションに異動したのは 49歳の時だった。すでに部長である。せっかくホームページや携帯サイトを構築する部署に移っても、管理職では面白いことも何もない。

あれが 34歳の時だったら、もっともっと、バリバリ仕事を、つまり現場の実務をこなして楽しかっただろうと思う。

僕が勤めていた放送局が番組配信を本格的に開始したのは僕が定年間近の 59歳の時だった。すでに役職定年で局長を退いた後である。あれがサラリーマンとして脂の乗り切った(まだ部長にもなっていなかった)44歳の時だったら、もっともっと自分の知識や経験や考えを反映できたかもしれない…。

などと考え始めるときりがない。きりがないし、仕方がない。でも、インターネットが好きで、30代の後半から、途切れることなくずっとコンピュータやスマートフォンと接してきた自分を振り返ってみると、なんかやっぱり残念なのである。

「自分がもう 15年遅く生まれていたなら」と言うよりも、むしろ「コンピュータやインターネットがもう 15年早く登場していてくれたら」という思いである。もし、そうだったら自分の人生も恐らく随分違ったものになっていたはずだ。

ただ、同年代の他の人たちよりも少しだけ早く、そして、彼らよりもかなり深くコンピュータやインターネットとつきあってきたおかげで、年を取っても IT 時代に取り残されるようなことにはならずに済んでいるとは思う。

今後新しい技術がどんどん出てきても、まあ、認知症にならない限りはそんなに苦労しない気がする。

それが長いこと接してきたせめてものご褒美なのかな。いや、嫌々接してきたのではなく楽しんで接して来られた賜なのかもしれない。

なんであれ、インターネットは愉しい。それだけは確かである。

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