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作り込んだ番組とライブ感溢れる番組の相克についてのわりとつまらない考察

僕の志望動機

僕がテレビ局に就職したのはドラマを作りたかったからだ(結局ドラマはおろか、いかなる番組も作らせてくれなかったけれど)。

僕は昔からドラマが好きで、ドラマのようなしっかり作り込んだ番組を好んでいた。つまり、しっかりとした台本(所謂「構成台本」などではなく)があって、みっちりとしたリハーサルの末に収録され、すっきりと編集されたコンテンツである。

例えばドラマ、お笑いであればコント、そしてスタジオにセットを組んだ音楽番組などなど。

ある意味その対極にあるのが今テレビでたくさんやっているワイドショーやバラエティだ。僕が入社したころには、今のようなバラエティはまだ数少なく、そして、こういう言い方が良いのかどうかは分からないが、少し地位が低かったような気がする。

ウチの会社は、僕が入社したころはドラマを作っていたのが制作第一部で、ワイドショーやバラエティを作っていたのが制作第二部だった。二部の人たちがやっかみ半分、冗談半分で「わしらは地位が低いんや。所詮2番手や」などと言っていたのを憶えている。

もう少し年数が過ぎて僕が新入社員の面接官に時々駆り出されるようになってから、その何年目かの面接の際に「私はバラエティが作りたいです」と言う学生がいて、僕は思わず「君はそんなもんが作りたいのか!」と言いそうになったことがある。

いや、別に僕はバラエティはレベルが低いとか内容がお粗末だとか言いたいのではない。ただ、自分があまりに作り込んだコンテンツが好きで、頭ではバラエティみたいなものもアリだとは思ってはいたものの、それを志向する学生がいることに思いを馳せることができなかったのだ。

出演者個人の“瞬発力”は馬鹿にならない

僕もテレビ局に勤めているからにはいろんな番組の収録に何度も立ち会ってきたし、当然そのうちの大部分は所謂バラエティだった。

そんな番組の収録風景をつぶさに見ていると、大物司会者やお笑いのスターが本当に見事にスタジオ内を引き回していて、と言うか、みんなを自由自在に振り回して、と言うか、ともかく個人の技量ひとつで番組はこんなに面白くなるのか!ということを実感してきたのも確かだ。

だから、バラエティを否定したりはしない。ただ僕は練り込まれた作りの番組が好きだというだけのことだ。それに対して、バラエティやワイドショーなどは、“作り込み”ではなく“ライブ感”を重視した番組作りなのだ。

ただ、昨今、そういう、タレントさんのアドリブ的な“瞬発力”に頼った番組が増えすぎている気はする。

バラエティが増えざるを得なかった本当の事情

放送局も僕らの先輩たちの時代ほど儲かる企業ではなくなってきて、さらに、ある意味野武士集団みたいな会社だったのが立派な「管理」をする企業に変わってきて、番組制作に野放図にお金をかけられなくなったことが大きいと思う。

何と言ってもドラマはお金がかかる。時代劇ならなおさらかかる。大規模な音楽番組もかなりの制作費になる。コントもリハと収録に時間と手間がかかり、その分バカにならない金額になってしまう。

もちろん、これは一般論であって、作り方によっては安上がりのドラマを作れないこともない(ただし、それをみんなが観たいと思ってくれるかどうかは別の話だ)。

一方で、こちらも企画内容にもよるが、バラエティならそこそこ安く上がる。それでバラエティが増えた。そして、幸か不幸か前世紀の終わりごろからバラエティ番組が何本も大ヒットしてしまったので、テレビはバラエティだらけになってしまった。

そして、生のワイドショーの横溢

そして、朝帯と昼帯では生のワイドショーだらけになった。これもライブ感を追い求めた結果だ。

僕が初めて本社のテレビ編成部に異動した時に、新しい午後ワイドができて、「これで○時から○時までの○時間がすべて生になった」と胸を張っている先輩がいたのだが、僕には何故それで胸を張るのかがさっぱり分からなかった。

それで訊いてみると、「生でスタジオを開いていると、大事件・大事故・大災害等が起きた時に即応でき、すぐに報道特別番組に移行することができるから」と言われて、なるほどなと思って返す言葉がなかった。

「大事件・大事故・大災害が起こったら今やってる番組をぶった切って、報道フロアから特別番組をやったら済むだけのことではないか。なんであれ、ある程度準備が整うまで特番には突入できないのだから」と後になって思ったが、そのときには反論できなかった。

でも、僕は、視聴者としては、やっぱり練り込まれて作り込まれた番組が好きで、ワイドショーなんかよりドラマの再放送のほうがよっぽど観たいのである。

「今を捉え、今を伝えるのがテレビの使命だ」なんて言う人もいるけど、僕はそれは大事件・大事故・大災害が起きたときだけで充分で、そうでないときには生放送よりも昔の作り込まれたコンテンツが観たいと、ずっと思ってきたし、今も思っている。

そして最近、同じような感覚の視聴者も少なからずいるのではないかな思う。夕方の時間帯がワイドショーばかりになって学生や生徒が学校から帰ってきて見るものがない──それがテレビ離れを助長したとのだ、という説もあるのだ。

昔のようにドラマの再放送や、『夕やけニャンニャン』とか、関西だとダウンタウンの出世作『4時ですよ~だ』(これらはバラエティだが)のような、それこそバラエティに富んだ編成をしないと、若者はますます離れて行くばかりだ、と。

NETFLIX と YouTuber

そういうことを考えると、今隆盛を極めつつある NETFLIX は、(今後方針が変わることもあるかもしれないが、少なくとも現状では)明らかに“作り込んだ”コンテンツを重点的に投入している。テレビで作り込んだコンテンツをやっていない時間帯には、ユーザが NETFLIX などの SVODサービスに流れていくのも仕方がないのだ。

しかし、必ずしも世の中すべてがそちらの方向に雪崩を打って転換し始めているわけでもない。

NETFLIX との対比で YouTube を例に採ると、YouTube 自体にはさまざまな、ありとあらゆるジャンルや形態のコンテンツが並んでいるが、その中の YouTuber たちに光を当てると、彼らは作り込み派ではなくライブ派だと言えるのではないだろうか?

もちろん練りに練って作り込んだコンテンツを流している YouTuber もいる。だが、そんな彼らにしても、動画の中での表現はむしろ自分のタレント性を生かした、ライブ感溢れる瞬発力の勝負をしているようには見えないだろうか?

その YouTuber たちの動画がこれだけ回っていることを考えると、ユーザは作り込んだコンテンツだけを求めているのではない。作り込み派もいればライブ派もいるし、ひとりの人間がどちらか片方だけを観るわけでもない。

要するに両方が必要なのである。

編集の害悪とメリット

昨今テレビが悪評を被っていることのひとつにニュースの編集がある。若者たちは本当に編集が嫌いだとも聞いた。局が恣意的に、自分たちにとって都合の悪いところを削除して都合の良いところだけを繋いで世論を誘導しようとしている、という見方をするのだそうだ。

局で働いている人間としては決してそんなことはないと思う。報道マンたちは一面ではなく必ず両面を報道するように、賛否があれば両論を伝えるように教育を受けている。

それがうまく行っていないケースもあるかもしれない。でも、それほど極端にはなっていないはずだと、僕らは思っている。

それに、何かの方向に会社ぐるみで誘導するなんて、それはありえないと思う。僕らの会社はそれほど一枚岩ではない。もういろんなことを考えていろんなことをやってしまう人たちがぐちゃっと集まった場なのである。

こういう言い方をすると語弊があるかもしれないが、僕らの会社はそこまで成熟していない。社長が大号令をかけても全然言うことを聞かない社員だって(昔ほどではないにしても)まだ残っている。

もちろん、編集をしなければ偏りは発生しないのかもしれない。でも、無編集の素材を本当に視聴者は最初から最後まで見てくれるのだろうか? 一部を見てやめてしまうのであれば、それは編集したものを観るのと同じだ。いや、場合によってはそれより歪んでいる。

編集した素材を見てもらうことによって、事実は整理された形で伝わる(少なくとも局側はそう考えている)し、観る側にとっても時間の節約になるのだ。そういうメリットを棄てても、ユーザは自分の目ですべての編集前素材を確かめたいのだろうか?

それに無編集の素材を流したら、いくら時間があっても足りないのだ。

それは、1チャンネル(場合によってはSDで2チャンネル)×24時間という有限のスペースにすべてのコンテンツを詰め込まなければならないテレビというものの、明らかな弱点である。

だから、ネットに動画を置くようには行かないのだ。そして、だからこそテレビからネットに逃げて行くユーザがいるのも必然ではある。

しかし、これについても、結論としては両方が必要だということではないだろうか? ──しっかりとした企画意図によってみっちりと編集され作り込まれだ報道映像と、その時その場所をそのまま伝えたライブ感溢れる映像と。

テレビのニュースとは違った形で、記者会見を垂れ流しするメディアが出てきたことは社会全体にとってとても良いことだと思うし、それはきっとテレビ局にとっても必要な存在なのではないかとも思う。

さて、結論としてはつまらないかもしれないが…

僕が作り込んだコンテンツを好きだというのは変わらない。だが、そうでない人もいるし、そうでない番組の面白さもある。エンタテインメントであれ報道であれ、社会としてはその両方がバランス良くあったほうが良いに決まっているのだ。

つまらない結論だと思われるかもしれない。でも、僕らは常にバランスを考えなければならないのではないだろうか?

局の中でのバランスと、社会の中での局としてのバランスと。今僕らの中で一番欠けている部分はそういう感覚なのかもしれない。

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