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夢=理想の日常が続くだけ

みなさんは、夢がありますか?
僕はあまりこれといった夢を持ったことがないかもしれません。

子供の頃から、「将来の夢は何?」と聞かれて育つ僕たちは、お医者さんや画家やミュージシャンなど特定の職業に就くことが夢だと、思い込んでいた気がします。

どこかで読んだ本には、「夢とは何になりたいかではなく、どう在りたいか」とも書いてありました。うーん。夢、って難しい。

AIの台頭で、ホワイトカラーはもちろん音楽や絵などアートの分野も含め、ほとんどの仕事がなくなっていくと騒がれています。改めて、人間として生きる自分の「夢とはなんだろう?」と、考えてみました。


クリエーターズマーケットに行ってきた話


今日は、ポートメッセ名古屋で開催されていたクリエーターズマーケットに行ってきました。たくさんのクリエイターの方々が絵や、服やハンドメイドのアクセサリーなどの素敵な作品を展示・販売していました。

美術館の展示など、世間が既に「これは素晴らしいものですよ、という太鼓判を押した」アート作品を教養のために見に行くことはあっても、それはどこか教科書の中のような遠い世界の話のようで。

SNSのタイムラインにも、いろいろな人の作品がひっきりなしに流れてきますが、今回クリエイターとして活動している人たちを目の当たりにして、「自分と同じ時代を生きている人たちの中にこんなにも表現を楽しんでいる人がいるんだ」って再認識して単純に感動したのと、少しの劣等感と羨望が入り混じったような感情と、自分も何か創り出したいという意欲が湧いてきました。

夢=理想の日常が続くだけ

今回クリエーターズマーケットに行ってみようと思ったのは、坂口恭平さんの著書『生きのびるための事務』を読んだ影響もあるかもしれません。

『生きのびるための事務』の中で、坂口さんがこのようなことを言っていました。

アーティストになるということは、毎日作品を作っているという日常があるはずで。
ミュージシャンになるということは、毎日作曲したり歌を歌っているという日常があるはずで。
作家になるということは、毎日文章を書いているという日常があるはずで。

人は夢とか理想の未来とかを、「アーティストになる、ミュージシャンになる、作家になる」と漠然と思い描くけれど、理想の未来の日常があるだけであり、やるべきは今の日常をどうやったらそこに近づけて行けるかということだ、と。

人や世間の評価は、移ろいやすいものなのでそこに振り回されるのではなく、たんたんと理想の日常を積み上げていく

クリエイター、クリエイティブなことに関してどこか崇高で近寄りがたいものという印象があって自分と無関係なものとして今まで生きてきましたが、家事、料理を作ること、会話、文字を書くこと…などそもそも日常=生きること=クリエイティブなことなのかもと思いました。それを、どうパッケージングして社会に送り出していくかは別の話として。

まさに、今日出会ったクリエイターの方々はこうした理想の日常を実践している人たちでありとても刺激を受けました。

AIと未来

ChatGPTを最近やっと触り始め、人間が行ったら何時間も掛かるであろう画像生成や文章や動画の作成などをものの数秒で完成させてしまうAIの仕事っぷりを見て、昔はSFだと思っていたような世界が目の前に現れ始めていて、本当に時代の転換期にいるのだなと感じます。

ヌーソロジー提唱者である半田広宣さんが、これからは"データ主義中心の物質的世界観から、人間性そのものに価値を見る霊性中心の世界観への変容が起こる"と仰っていますが、AIの登場で人類総クリエイターの時代がやってくるとも考えられるなとも思いました。

ここで言うクリエイターというのは、世間や社会的に認められた価値がある一握りのアーティストという今までのようなものではなくて、人間一人ひとりがそれぞれの人生=日常をクリエイティブな一つの作品として捉え、それ自身に価値を見出し始めるような

効率ではAIに勝つことはできないけど、絵を描くことも、歌を歌うことも、文章を書くことも料理を作ることも「やりたいという衝動」は人間からしか生まれない。体験したいから、する。やりたいから、やる。AIは勝ち/負け、有能/無能というその場限りの「点」だけど、人間は人生は、日常の積み重ねであり体験の連続という「線」。失敗も成功も関係ない。

お金を貰えなくても、やっていたいと思うことで日常を埋め尽くしていくこと。やりたくないことをいかに任せていけるか。それがこれからの時代を迎えるにあたって大切なことなんじゃないかな、なんて。

そんなことを考えた1日でした。
読んでいただいてありがとうございました。


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