ゆう

日々の気づきや学び、読書記録などアウトプットしています。よろしくお願いします。

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最近の記事

世の中の「ナシ」が「アリ」に変わってきている

生まれた感動を否定する偏見 後藤輝樹さんの東京都知事選挙の政見放送を見ました。これまで、過激な下ネタや思想ネタを盛り込んだ演説をしてきた彼は、ネット民の間では「ネタ枠」的なポジションに位置づけられていて、エンターテインメントとして親しまれていたように思います。有名な方なので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。 独特なラップ調ではありますが、今回の彼が語っている言葉自体は至極真っ当で、個人的には心に響きました。 しかし、掲載されていた原稿内容に、"氣"や"和多志"など

    • 「お客様は神さま」問題とHSP

      お守りとしての言葉が人を傷つける HSP(Highly Sensitive Person)、繊細で感受性の高い人を表す言葉はここ2.3年で誰もが知る言葉になりました。 最近、これに関してSNSで目にとまったエピソードにこんなものがあります。 新入社員として入ってきた女の子を、教育係として指導している女性がいました。こんなご時世なので傷つけないよう割れ物にさわるように、言動に注意して接していたけれどあまりに勤務態度が悪いので、「このようにした方が社会人として、きっとあなた

      • 受け取り上手は「借りをつくる」耐性が高い

        人からありがとうと言われて、「そんな!とんでもない!」と謙虚なフリをして好意を受け取らずに全力で相手に押し返してしまうことありませんか? 僕は昔から、人からモノやお金、感謝の言葉を受け取ることにすごく抵抗がありました。みなさんは、どうでしょう?受け取り上手ですか? 今日は「受け取る」ということについて考えてみました。 おにいちゃんの受難僕は、長男で下に妹と弟がいたので小さい頃から「お兄ちゃんなんだから」と言われて、勝ちを譲ったり欲しいものを我慢したりすることが多かったよ

        • 夢=理想の日常が続くだけ

          クリエーターズマーケットに行ってきた話 今日は、ポートメッセ名古屋で開催されていたクリエーターズマーケットに行ってきました。たくさんのクリエイターの方々が絵や、服やハンドメイドのアクセサリーなどの素敵な作品を展示・販売していました。 美術館の展示など、世間が既に「これは素晴らしいものですよ、という太鼓判を押した」アート作品を教養のために見に行くことはあっても、それはどこか教科書の中のような遠い世界の話のようで。 SNSのタイムラインにも、いろいろな人の作品がひっきりなし

        世の中の「ナシ」が「アリ」に変わってきている

          最後まで自分の味方でいる覚悟

          伊勢神宮へ参拝に行ってきました。 来週には、夏越の大祓が行われると聞いて、2024年も後半戦を迎えようとしているんだなと時の早さを感じます。 今日は山羊座の満月。 西洋占星術では、半年前の1月に起こった山羊座の新月から始まったテーマが終わりを迎えるタイミングと言われています。上半期の振り返りと下半期の目標を立てるには、ぴったりの時期ですね。 この半年を振り返ると個人的には、「自己愛」が一つのテーマだったように思いました。 今回は「自己愛」についての学びと気づきをシェ

          最後まで自分の味方でいる覚悟

          人を許せないのは自分を許せていないから

          今日は夏至でした。こういう節目のタイミングはイライラやモヤモヤなどの感情が湧いてきやすいことと思います。今回は人を許せないとき、について深堀ってみました。 人を許せないのは自分を許せていないから他人の許せない部分は、「自分自身の内側にもあるけれど認められず受容できていない」ところ。そもそも、関心がないことは心に引っかかりません。 心理学的には、シャドー(影)といってそれを他者に投影することで許せないという感情を引き起こすといいます。 不真面目な同僚をみてイライラするのは

          人を許せないのは自分を許せていないから

          本当の自分なんていない

          同じ相手なのに状況によってうまく話せなくなる ①友人と一対一で楽しく会話をしていたのに、そこへ別の知り合いが現れた途端バツが悪くなって、空回りしてしまった。 ②3人の仲良しグループで遊んでいて、楽しく会話が弾んでいたのに一人が席を外した途端に無言になり、気まずい沈黙が流れた。 そんな経験がありませんか?? 最近、自分自身の身に起きたことです。 何故だろうと考えた時に、小説家である平野啓一郎さんの "私とは何か「個人」から「分人」へ" という書籍を思い出しました。

          本当の自分なんていない

          GiveのフリをしたTake

          アドバイスが人間関係を壊しかねない脳科学者の中野信子さんの動画をYouTubeで見ていたら、その中に「アドバイスが人間関係を壊しかねない」というお話があってとても興味深かったのでシェアしたいと思います。 社会的・世間的に、与えること/教えること/アドバイスすることは疑いようのない「善」で素晴らしいことのように考えられているのではないでしょうか? けれど、中野さんが言うには、人が人に対してアドバイスを行う時、両者の間には『教える人⇨教わる人』という無意識下での主従関係の認

          GiveのフリをしたTake

          悲劇のヒーローでありたいという欲求

          善意の奥にも「満たしたい感情」がある 必要以上に頑張ったり、他人の仕事まで奪って自己犠牲的に「いい人」を演じてしまうことがよくあります。 本当は、楽をしたいし辛いのは嫌なのに、ついつい自分にとって不幸な方/辛い方/損な役回りを選んでしまうことってありませんか? 世のため人のために身を削って働くことこそ、素晴らしいことだと日本では美談のように語られ、自己犠牲信仰のようなものがあるようにも感じます。 ただ、人間の「どんなに清く正しい行い」や「どんな善意」の奥にも必ず満たした

          悲劇のヒーローでありたいという欲求