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世の中の「ナシ」が「アリ」に変わってきている


生まれた感動を否定する偏見

後藤輝樹さんの東京都知事選挙の政見放送を見ました。これまで、過激な下ネタや思想ネタを盛り込んだ演説をしてきた彼は、ネット民の間では「ネタ枠」的なポジションに位置づけられていて、エンターテインメントとして親しまれていたように思います。有名な方なので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

独特なラップ調ではありますが、今回の彼が語っている言葉自体は至極真っ当で、個人的には心に響きました。

しかし、掲載されていた原稿内容に、"氣"や"和多志"などいわゆる「スピ系」や「陰謀論系」と言われる人たちが使う言葉が使われているのを見た途端に、「生まれた感動をイケナイものとして否定する偏見」が自分の中にあることに気付きました。

YouTubeのコメント欄には演説を称賛する声や、応援の声が溢れていて「あれ?多様性とは言うけれど、世の中って、こんなに寛容だったっけ?」とも思いました。

「どんな肩書きや経歴を持っているか」や「どんな表現方法なのか」が重視される今までの価値観ではなく「過去は関係なく現時点の在り方やバイブス、その奥に垣間見える真意や熱意」が全てであり、それらはもはやいい意味でも悪い意味でも、隠し立てする事ができないのかもしれない。

大人が、敬語が出来ない若者を見直す時のような、"自分の中の「ナシ」が「アリ」に変わった感覚"がしました。

世の中の「ナシ」が「アリ」に変わってきている

有名な"普通の"インフルエンサーが神社参拝や占い、浄化など、今までは如何わしいものとして小馬鹿にされ、語ることが憚られてきたものを公言するようになってきていたり、アーティストが"インディゴチルドレン"や"ホツマツタヱ"などオカルトや陰謀論などでよく聞くワードが盛り込まれた歌詞を書いているのを最近目にしたり、耳にします。

個人の内面においても、社会においてもこれまでタブーとされてきたものや忌み嫌われてきたものが少しずつ、「アリ」なものに変わってきている。

目に見えない小さな革命が至るところで起こっていて、世の中の「ナシ」が「アリ」にどんどんと変わってきている。

こう感じるのは、自分だけでしょうか?

革命は民草の意識の変容から始まる。
改めて、産業革命やフランス革命のような大きな時代の変革期、革命の最中にいるのではないかと考えさせられます。

主語が大きくなるのは満たされていない時

一方で、世の中を良くしたい、貧困をなくしたい、戦争をするあの国が悪い、政治家が悪いなど、ベクトルが外に向いて「主語が大きくなっているときは、自分の日常が満たされていない時」が多いです。

自分に変えられるもの、変えられないものをきちんと見定めて自分と周りの人の幸せをまずは満たせるように毎日を過ごしたいなとも思います。

分断が進み、混沌さを増していくこの時代を生きる上で、

小馬鹿にしていたものや「ナシ」だったものを「アリ」に変えていく柔軟さを持つこと

100%正解も100%間違いもないという視点でグレーを許容し、情報収集先を分散させること

・自分の救世主願望に気付いて、善悪の二元論を抜けること

を大切に、バランス感覚を持って生きていきたいなとも思いました。
読んでいただきありがとうございました!

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