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「つまらない」とは何か

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表現作品で「つまらない」と思った要素について記します。
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記事一覧

その頑張りは無駄だったと思う。

先週拝見した音楽劇について、更に。 劇中で歌われる歌の殆どが外国語(ドイツ語?)の歌だっ…

顔が陰になってんねんって。

今日見た「音楽劇」への怒り、2記事目。照明について。 なぜか、普段用と思われる天井に埋め…

劇作品を作る際の視座が低すぎる

終始ヘッダーにさせてもらった絵のお犬様のようなしかめっ面で拝見してしまった。そして久しぶ…

「つまらない」とは何か 演劇編 #8 「全体として」どのように見せたいのか?を考えて…

「この戯曲を、全体としてどのように見せたいのか?」 以前拝見した作品を思い返して、これを…

「つまらない」とは何か 演劇編 #7 作品と一人ひとりの芝居の“リアル度合い”が違う

最近ようやく「台詞の行間を読む」とか、「台詞が言えない、と感じるとき」というのがどういう…

「つまらない」とは何か 演劇編 #6 客観的な合理性と主観的な合理性 4(まとめ)

これまで何回か、客観的な合理性と主観的な合理性について考えてきた。 それで言うと表現の、…

「つまらない」とは何か 演劇編 #5 客観的な合理性と主観的な合理性 3

👇の続き 前回は客観的な合理性について、演劇の台詞を事例に検証しました。 じゃあ「主観的な合理性」とは? 例えばバスキアという画家のこちらの絵 人の顔だとは分かるが、世界広しと言えどこんなとりどりの色をしている人間は現実にはいないだろう。しかしこんな色に塗ったのは、画家本人なりの(直感も含めて)理由があったのではないだろうか。 あとムンクの『叫び』も好例だろう。 じっさいにこんな顔になる人がいるものか。しかしムンクには叫んでいる人間はこんな顔になる!という合理性が

「つまらない」とは何か 演劇編 #4 客観的な合理性と主観的な合理性 2

👇の続き。 もっと詳しく:客観的な合理性とは 例えば演劇でテーブルにとらやの羊羹が置いて…

「つまらない」とは何か 演劇編 #3 客観的な合理性と主観的な合理性 1

以前リアルで喋っていたことを文字化してみる。 発端となったのは、即興ダンスのイベントでご…

「つまらない」とは何か 演劇編 #2 感じている事を言う・続き

こちらの記事の続き 「悲しい」と台詞として喋らせてしまうと、「『悲しい』と言える程度の悲…

「つまらない」とは何か 演劇編 #1 感じてることを言う

「私は怒っている!」「悲しい」「嬉しい!」…… そういう、感情、特に「そのとき感じている…