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「つまらない」とは何か 演劇編 #3 客観的な合理性と主観的な合理性 1
以前リアルで喋っていたことを文字化してみる。
発端となったのは、即興ダンスのイベントでご一緒したダンサーさんのこんな疑問だった。
「以前参加したワークショップで、講師の振付家が別の参加していたダンサーに『いまそこで足上げたのはなんで?合理性あった?』って聞いてたんだけど、この『足を上げるのに必要な合理性って、何かわかりますか?」
分かるわけ無いだろ……と直感で思ったのだが、そこで考えた「僕にはその振付家が言ってた「合理性」がわからない理由」をまとめます。
ざっくりいうと
おそらく「合理性」と一口に言っても、世の中には「客観的な合理性」と「主観的な合理性」があるのだ。
「客観的な合理性」は本人(ここで言う本人とは振付家)以外でも「合理性があるね/無いね」が判断できるが、「主観的な合理性」は本人以外には判断できない。そしてダンスにおける「そのタイミングで足をあげるかどうか」そして「そのタイミングでダンサーが足を上げたことに合理性があるかどうか」はかなり「主観的な合理性」の側面が大きい。ので、上記のエピソードにおける合理性については、それを聞いていた振付家に「その質問をするということはあなたには『そのタイミングで足を上げたことに合理性は無い』と判断されたんだと思いますが、その『合理性は無い』という判断はどういった点からくだされたんでしょうか?そもそもダンスにおけるあなたの『合理性』とはなんですか?」という、下手すると喧嘩売ってると思われかねない質問をするしか無いとおもう。
もっと詳しく、はまた次回
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