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「つまらない」とは何か 演劇編 #5 客観的な合理性と主観的な合理性 3
👇の続き
前回は客観的な合理性について、演劇の台詞を事例に検証しました。
じゃあ「主観的な合理性」とは?
例えばバスキアという画家のこちらの絵
人の顔だとは分かるが、世界広しと言えどこんなとりどりの色をしている人間は現実にはいないだろう。しかしこんな色に塗ったのは、画家本人なりの(直感も含めて)理由があったのではないだろうか。
あとムンクの『叫び』も好例だろう。
じっさいにこんな顔になる人がいるものか。しかしムンクには叫んでいる人間はこんな顔になる!という合理性があったのではないだろうか。そしてそれに共感されたからこそ今日ものすごい数の「叫びパロディ」ができるに至っているのだと思う。
そういう、個人個人の脳内や表現における「こうなるはずだ」「ここはこうするべきだ」という「主観的な合理性」が、特に表現の世界ではたくさんあるのだと思う。そしてそれはムンクの叫びのように、他の人にも受け入れられやすいものもあれば、そうでないものも、またごく一部の人間にだけ深く共感されるものも、あるのだと思う。
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