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その頑張りは無駄だったと思う。

先週拝見した音楽劇について、更に。

劇中で歌われる歌の殆どが外国語(ドイツ語?)の歌だった。他のオペラ作品や、声楽でポピュラーな歌なのかもしれない。

しかしだからこそ、日本語の音楽劇でそれらの歌を選曲したのは意味がわからなかった。「なんとなく雰囲気は合わせてある」くらいにしか思えなかった。例えば二人の主役のうち、より自由な発想を持ち元気がありそうなほうが成長したことを表すシーンで『ジプシーの歌』という明るい曲調の歌を歌っていたりだとか。
ただその歌がどのようなときに歌われてきた歌なのか、全くわからない身としては、「そこでジプシーの歌を選曲した理由は、まさに明るい雰囲気で合いそうだから、くらいにしか思えなかった。

「外国語の歌だから、物語の雰囲気に合う曲調の歌を選んでおけば納得するだろう」くらいに思われているような気すらした。「けむに巻いてんじゃねえぞ」と。

ここはやはり日本語の歌を作曲するべきだったように思う。「劇」中で歌う時点で、そこで歌われる言葉の意味も気になる。それを外国語でわからなくされたのではたまったもんじゃない。
むしろ「ここで選んだ曲すらわからないような人なら見に来てもらわなくて結構よ」ということだったのかもしれない。そういうことが教養として嗜まれている富裕層のみをターゲットにするというのなら、とてもムカつくが「観に行った私も悪うござんした」と言おう。まあそんな外国の歌の歌詞の邦訳や歌の意味がわかっている人なんて何人いるのだろう?と思うが。

出演者のフェイスブック投稿を目にしたところ、何やら「もともと歌の曲ではないものを歌の曲に編曲する」という「すごいこと」がなされていたそうだが、それでも日本語ではないからやはり「なんでそこでその曲なのか?」は歌詞の意味的にも作品の脈絡としても意味がわからなかった。
そんなところに時間と労力を割くなら、作詞家と作曲家を雇ってオリジナル曲を作ってもらうべきだったと思う。

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