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「つまらない」とは何か 演劇編 #4 客観的な合理性と主観的な合理性 2

👇の続き。

もっと詳しく:客観的な合理性とは

例えば演劇でテーブルにとらやの羊羹が置いてあるとする(これは実際に置いてあっても、実際には無くてパントマイムで表現するのでもいい)。そこに一人登場人物が通りかかり、

①「あ、これ、おばあちゃんが好きだったとらやの羊羹だ」

と言ったとすれば、どうだろう。要するに独り言ということになるが

「おまえ現実だったらそんなわざわざ言わないだろ」と思うのではないだろうか。

②「あ、この羊羹……」

だけでも「羊羹ってわざわざ言わないだろ」と思う人もいると思う。

上記①が(思う人によっては②も)、俗に言う「説明台詞」だ。過剰に状況を説明してしまっていて実際には口にしないであろう台詞のことを言う。

とらやの羊羹が置いてあるだけで誰も何も言っていない状況に戻る。同じように一人登場人物が通りかかり、

③「あ、これ……」

と呟き、手に取り見つめる(くるっと回して製造者の表記を観る、とか)。そこにもうひとり現れて、

④「どうしたの?」

と聞く。そこで最初の一人が

⑤「いやこれ、とらやの羊羹だけどさ、ばあちゃんが好きで良く買ってきてくれたんだよね」

と言ったとすると、それはすんなり受け入れられる観客が多いのではないだろうか。

この「受け入れられる/られない」の違いが「客観的な合理性」だと思う。要するに「生活のなかでの経験や、漠然と思っている社会通念に従って、言動が実際にありえるものかどうか判断できる」ということではないだろうか。

「主観的な合理性」については、また次回。

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