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顔が陰になってんねんって。

今日見た「音楽劇」への怒り、2記事目。照明について。

なぜか、普段用と思われる天井に埋め込まれているLED電球がほぼつけっぱなしだった。1灯ならまだしも舞台上をまんべんなく照らすように全てが煌々と点灯していた。暗転のとき以外では、冒頭の海中を思わせるシーン以外で点灯していなかった記憶がない(つまりそこ以外ずっとついていた気がする)。
そのせいで舞台全体の視覚として「普段(劇中でないとき)」と変わらない印象を受け、なんとなく公演を見ている気がしない時すらあった。
演者がかわいそうだったのはカーテンコール(終演後に舞台上から会釈したり挨拶したりするアレ)のときに、一番端にいたダンサーの顔が陰になっていたこと。前灯り(まえあかり。出演者の顔が陰になって観客に見えづらくなるのを防ぐために、舞台の前、すなわち観客側から舞台へ向けて照射される照明のこと)が設置してあったにもかかわらず、端の前灯りは点灯しておらず、しかも他の点灯しているものも多分全力ではなかったのだろう。そして天井のLEDは普通に点灯。天井LEDに前灯りが負けて、顔の上半分が陰になっていた(丁度ヘッダーのイラストのように)。

僕が思うに、光というのは舞台公演において(特に、上演中と上演以外を分ける要素として)最も重要と言っていい。光がものに反射して目に入ることで人は外界を見ることができる。光が変われば当然ものの見え方、そこから感じられる雰囲気も変わる。その会場で日常使いしている灯り(蛍光灯とか)が消えて、別の灯りが点灯し、それまでと全く違う光が発されるだけで、「始まった」と分かる。逆に一度暗転して日常の灯りにもどれば、「あ、終わったんだな」とそれだけでわかる。他方、例えば出演者が出てきて台詞を言い出しても、音楽が流れ出しても、灯りが切り替わらなければ「本番が始まったな」感は弱く、観客は舞台上を見ながらも「いつ照明は変わるのかな?」と思い続けることになるだろう。

今回の場合はむしろ、天井LEDは消したままにして前灯りのみでやったほうが、劇作品とさてクオリティが高いものになったと思う。
音楽のリサイタルでは、照明はあまり変わらない印象がある。歌や演奏を聞いてもらうのが主目的だからだろうか?とかくそのへんも演出担当は甘かったように思えてならない。

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