見出し画像

「つまらない」とは何か 演劇編 #8 「全体として」どのように見せたいのか?を考えているか

「この戯曲を、全体としてどのように見せたいのか?」

以前拝見した作品を思い返して、これを考えていかないと行けないのだと思った。

その戯曲はやりようによって全力コメディにも自然な演技でのシリアスにもなり得るものだった。ただ出演者の演技はそのどちらに、あるいはその他の「どのように見せたいのか」が示されていないように感じた。

喧嘩のシーンでは鬼気迫らせて本当に怖くするでもなく、大袈裟なイントネーションで笑いを誘うでもない。ただ戯曲に書いてある通りに発音しているだけにも見えた。

これは戯曲全体ないしシーンごとに「これをどのような作品として観客にみてもらいたいのか」を考えていないからではないか?それを考えることもなく、出演者全員や演出家も交えて「見ている人にどのように感じてもらいたいのか」を話し合わず、個人個人で「こういう芝居だろう」(しかもそれは戯曲のジャンルや主旨ではなくあくまで自分の、そういう言葉を言う役が現実にいたらどう言うか?という観点だけになりがちだと思う)というものだけで、演出家の「じゃ、とりあえずやってみよっか」で演じて、演じたものスタートで「ここはこうしてみて」などと「演出」が付けられていく。

それでいいのだろうか?まずシーンの稽古をして見る前に、「この戯曲、どう思った?その役が実際にそんなイントネーションで言うかどうか、とかは置いておいて、作品全体として、見ている間、そして見た後にどんな気持ちになって欲しいと思った?」と話し合って、そのゴールを設定してから始めたほうが、手っ取り早いかもしれない。そして演技もそこに向かってより素早く上達していくのではないか?

そんなことを考えていた。

ちょっと読みづらいかも。またまとめ直そう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?