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21.02.26 【週末の立ち読み・続 #3】さわる、ふれる、把握する──ジャン・ブラン『手と精神』中村文郎訳(法政大学出版局)を読む
手は人間らしい器官である──という命題は、別に手フェチでなくても、表現にこだわりを持つ人だったら、いつのまにか辿り着くことなのかもしれない。 僕たちはよく、物事をよくわかったと思うとき、「手に取るように」わかると言い、状況ですら「把握する」ことができる。仕事をするときは「手を動かす」し、行動の速さを指して、「先手」だ「後手」だと言う。生活手段という意味の「活計(たつき)」ということばは、「手付き」のことである……などなど、僕たちは、その常套句の中にさえ、手の影響下にあるざ
¥10021.02.05 【週末の立ち読み・続 #2】古代から連綿と続く権力者のイメージ戦略 〜ホルスト・ブレーデカンプ『泳ぐ権力者 カール大帝と形象政治』原研二・訳(産業図書)を読む〜
毛沢東はよく泳いだ。ムッソリーニも泳いだ。最近だとプーチンも極寒の沐浴を発表している。 政治家が遊泳・沐浴のパフォーマンスを披露するのは、何も自分の体力をアピールしたいからだけではない。こういう風習は、ヨーロッパでもフリードリッヒ・バルバロッサやカール大帝、そしてアウグストゥスも実践していた。いわゆるこれは形象政治なのである。 (※本文は筆者:八雲 辰毘古の個人的理解に基づいたものです。学術的な正確さにおいては担保できかねる部分があり、かつ個人的な推測・妄想を交えた内容