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21.08.31 緊急! 『古代戦士ハニワット』で昂る情熱を鎮めたまえ! 打ち切りを阻止せよ!

 こんばんは。八雲 辰毘古です。ふだんは『小説家になろう』や『カクヨム』でWeb小説を書いてるアマチュア物書きであります。

 ご無沙汰しております。ここんところ小説以外で物を書くのができておらず、noteの方はすっかり離れてしまってました。しかしいま、その経緯を説明するよりも前に、この場で書かねばならんことがあります。

 タイトル通りです。物凄い作品がいま、打ち切りの危機にあります。

 いまからぼくはその作品の魅力をこれでもかと言うぐらいに語ります。そしてその魅力に「おお」と思った方々は、ぜひこの作品の最新7巻を買って、打ち切りの未来を書き換えてください。
 ぼくは必死です。こんな凄い作品の続きが読めないなんて悔しくて仕方ないのです。だからどうか、協力してください。そして、良かったら作品の良さを共有し合いましょう!

 ちょっと本気モードに入るので、本論あたりから文体が変わります。ときどきある映画ファンサイトのガチレビューを読むような気分でお楽しみいただければありがたく思います。

古代戦士ハニワット(7) (アクションコミックス)   武富 健治 

序論.いったい何が起きたのか?

 そもそものきっかけは、岡田斗司夫ゼミの第408回のライブ配信です。この動画の14:52から紹介されたお便りがすべてのきっかけでした。

 ……『古代戦士ハニワット』? なにそれ。最初ぼくはそう思いました。たぶん皆さんも「全然知らなかった」と答えるかもしれません。ぼくもそうでした。だからある意味で、ぼくは昨日今日で作品の魅力に取り憑かれた、単なるニワカでしかありません。

 この動画の中で岡田先生があれこれ褒めちぎっていたのがちょっと興味の琴線に引っかかり、打ち切りにさせちゃいけないかも、という義務感・責任感のようなものでとにかく紙媒体と電子で全巻をまとめ買いしました。

 そして、読んだのです。その場で読み尽くしました。呑み込まれました。ただひたすらページをめくって、めくって、めくって、気がついたらその日のうちに最新刊の末尾までたどり着いたのです。

 ぼく自身、そこまで熱心な漫画マニアというわけではありません。ときどき文芸評論を読み、研究書を趣味的に漁っては、映画や漫画や小説をちょっと深く楽しむ。そういう楽しみが高じて時折Web小説を書いているわけですが、プロ作家にはまだ手も届かぬ身。日々未熟を痛感しながらあーでもない、こーでもないと苦労しております。

 絵を描くわけでもない。漫画の専門的な技術がわかるわけでもない。そんな自分でも、物凄い漫画って〝わかる〟瞬間があります。「わかる」というのがおこがましいなら、「圧倒される」というのが正しいでしょうか。作品に込められた途方もない何かに魅せられ、取り憑かれたようにページを捲るしかない、そういう絶対的な体験というものが、フィクションにはあるのです。

 そういう体験は、おそらく14歳の時に手にした作品に多く見られることかもしれません。『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』、『新世紀エヴァンゲリオン』の最初のテレビシリーズをオンエア当時で見つけてしまったときの衝撃とか、『進撃の巨人』の漫画連載、『魔法少女まどか☆マギカ』の第3話初回放送と出くわしてしまった慄きとか、そういうのにも近いかもしれません。言うなれば、「この作品は最後まで見ないと絶対後悔するぞ」と直観で理解する瞬間であり、そのどれもに通じるのは、「いままで見たことないようなものが見られるかもしれない」というゾクゾクするほどの期待と、不吉な予言が的中してしまったときみたいな甘酸っぱい恐怖心でしょうか。

 それまでフィクションなんてこんなもんかとたかを括っていたところに放り込まれるダイナマイトのごとき衝撃。連鎖する興奮の炸裂と未知への恐怖が、好奇心とない交ぜになって、とにかく続きを読ませてくれと叫ばずにはいられなくしてしまう。この作品が描くものがいったいなんなのか解き明かさずにはいられなくなる。そういう呪いにも似た強烈な体験です。

 ぼくはこれを「面白い」と言います。「とにかく凄い」と表現します。「めちゃくちゃ面白い」と力説します。けれどもそれは自分が楽しむ他の漫画やアニメや小説とは一線を引いたところにある衝撃です。萌えとか推しとはちょっと別の次元に保存されてしまう物語体験です。しかも情けないことに、なにが凄いのか、最初は明確に言葉にすることはできないのです。
 それは幽霊を視た恐怖体験が、幽霊のディティール描写によってではなく、いかに恐ろしかったのかという当事者の内面に投影された物とその前後関係を描かなければ相手に伝わらないのと同様、本質的に解き明かしがたいものでもあるのだと思います。

 未知を知るという言葉の上では矛盾したことが起きる。一挙に押し寄せてくる謎と混乱とが快感にスライドする、エンタメにおける致命的なバグ。ぼくらが現実なんて、フィクションなんてと無意識に張ったセキュリティを掻い潜って、意識というプログラムを改ざんしてしまう恐ろしいウイルスこそが、まさにこれなのでした。

 こんな異例な作品を、これまで連載していた双葉社の『漫画アクション』ですが、実は2021年の5月にハニワットの打ち切りを決定しました。単行本の巻数でいうなら9巻目での完結。お話はまだまだ序盤の謎が展開し始めたころで、いわば『進撃の巨人』で言うなら女型の巨人が出始めたころ。そんな段階で作品を終わらせてしまったら、いくら『進撃の巨人』だってその真価を日の下に晒せずに歯痒い思いをしたものでしょう。

 それも仕方ないかもしれません。だって、読んだ側がこの凄さを共有するのが難しい。連載として追いかけてても、1話1話で何かがわかるわけではない。次から次へと息を吐かせぬ展開と謎に、読者の気持ちは解決することなく、引き伸ばされ、次はまだかと待つしかなくなる。こんな作品が連載し続けていることが、奇跡です。
 ただ、それはあくまでその日暮らしのエンタメとしての話で、これほどのスケールで展開する作品は、やはり連載という形でしか描けないのも確かなのです。長尺だからこそできる骨太の人間ドラマと、謎と魅力にあふれた世界観。こんな作品を見殺しになんてできないし、してはいけない。

 しかし、希望はまだあります。

 先日(8/26)発売された第7巻。この売れ行き次第では、打ち切りは撤回される可能性がある、ということが、作者Twitterから判明してます。

 つまり、これはピンチであり、チャンスなのです。

 もし、第7巻がなんらかの形で物凄く認知され、物凄く売り上げを伸ばすことができたら、この作品は首の皮一枚つながり、2020年代日本の大傑作として世の中を席巻するブームとして化けるかもしれない、と。
 ぼくは、できるならそのお手伝いをしたいと、ちょっと本気で思ってます。

 いまできるぼくの持ち物から、最大限できること。それは、この作品の魅力と内容とディティールを、できるだけ言語化し、記事にして、広めること。もちろん法には違反しない。それが、それこそが趣味創作的とはいえ文章を書いている人間としての、全力の応援になるはずだ、と。

 そう信じて、ぼくはこれから、本論を書いていきます。

 もしすでにこの段階で「おお」と思った方がいらっしゃるなら、まず7巻を買って、そのあとで1巻の最初から読んでいってください。
 オススメは、1〜4巻で一区切りするので、そこまではまとめ買いすることですね。そこまでは「第一部」と銘打たれており、『進撃の巨人』で言うならトロスト区奪還戦の完了、というレベルの大きなカタルシスまでが描かれております。

 ……しかし、これほどまでの作品が厳しいというと、よくも『進撃の巨人』が連載し続けてきたなあとも思ってしまいます。ほんとにいまある作品は掲載されていることが、連載し続けていることが奇跡みたいなもんですよ。応援したくなった作品は応援するのが吉です。ほんとに

 さて、いよいよ本論です。ちょっと漫画から一部画像を抜粋しながらその面白さを評論っぽくレビューしてみます。あくまでレビューのつもりです。宜しくお願い致します。

本論.何かがおかしくなっている。何かが壊れてしまっている。決定的なものが欠けている。それはわかってる。わかってるんだが理解できないんだ。けれども戦わなければならないんだ。

 破壊音。角が砕けたビルに歪んだ灯籠のごときかたちの街頭。怪獣のような足音の残響。怯える機動隊の表情がアップになり、ブゥゥゥン、ブゥゥゥンという振動音に引っ張られながら、逆三角形の土器(かわらけ)の仮面が接近する。

 長野県、長野善光寺市門前通り──
 すでに異変は起こっている。

 破壊された街を背景に、見開き2ページ分のタイトルコールが、すでにあった惨劇と、これから起こりうるであろう激戦を予感させる。右のページが過去を示すならば、左のページは未来を指し示す。それはすなわち、破壊されてきた街並みと、まだ小綺麗に整理された街並みとが、一つの画面の中に同居し、ゆっくりと異変の中心にある異形の存在が、怯える機動隊に取り囲まれながらも、これから何かを仕出かそうと、不気味な予感を湛えている。

 さながら、嵐の前の凪。

 ページをめくれば、その予感がより実体化したかのように、下から睨めあげる一コマが、異形の存在を──「仮面の女神」にも似た土偶のごとき怪物の、圧倒的な存在感を立証する。
 この物語は嘘じゃない。荒唐無稽だが浮ついた戯言じゃない。嘘みたいな現実なのだ。

 この4ページが、まさにそうした作者の宣言に他ならない。

 あとでわかるが、すでにこの異変は始まってから27時間が経過している。驚き慄く機動隊員に、その同僚が説明するところに拠れば、33人が死亡するという被害すら出ている。
 一見すると2メートル強ほどのサイズに見える異形の存在だが、まだ歩くことしかしていない。そんなヤツに33人が殺せるか? いや、そもそも背景で壊れたビルや信号機はいったい? セリフだけでは収まらない歪な状況が、無意識のうちに読者の内側に謎を刷り込む。

 しかし、それはまだ序ノ口なのだ。

 なにせ5ページ目に差し掛かったとき、迎え撃つものの正体が明らかになる。怪物が向かう先にある、機動隊とはまた別の人だかりが、まるでタイムスリップでもしてきた平安貴族のような、場違いなものに見えてしまう。
 ページをめくると彼らが冗談ではないことがわかってくる。神輿に衣冠束帯をまとった神職、弓を携えた男たち、それから、巫女装束の女たち。

 その背後には、全身を布でまとった男と、その傍らで膝を立てて待ち受ける男。ふたりは兄弟みたいに似た顔をしている。けれども兄弟ではないかもしれない。

 しかも、近くのトラックの助手席にはメガネの女子大生が、両手をフロントガラスに張り付けて、これから起こることをじいっと見つめているのである。これからなにが行われるのか、演目は知っていてもまだ見たことのない能や神楽を見るかのように、興味と不安が混じったまなざしが、読者代表のように、こちら側を覗く。

 そして、角笛が鳴った。
 衣冠束帯の神職(権宮司 ごんぐうじ)が吹いた角笛をきっかけに、居並ぶ男たちは弓を鳴らす。戸惑う機動隊。しかしその音に気づいた怪物は、足を止める。

 目配せがあり、巫女たちが舞い始める。

 弓が鳴り響き、鈴が轟く。漫画ならではの擬音表現がそこかしこに飛び散り、画面を波動状に横切りながら、まるで怪物と人との間を仕切るように、音のバリアを張るように、異形の空間をセッティングしていく。
 そう、すでにここは人界ではないのだ。

 カミとヒトとが同じ足場に集う舞台。人垣で境界を定められたその空間では、もはや人界の常識や倫理は無効となる。
 あるのはただ、カミとヒト。このふたつのみ。

 そしてついに、布をまとった男がその姿を変形させる。萎縮し、背を丸め、布に包まれて、そのまま面を挙げると、またしても土器(かわらけ)の仮面となり、布が外されたとたん、その姿は日の下に晒される。
 まるで埴輪の如き、甲冑の戦士だったのだ。

(Kindle版第1巻 位置No.18/199より引用)

 その戦士が姿勢を改め、全く唐突に蹲踞(そんきょ)の姿勢を取ると、怪物はその意味を察したかのように、みずからも変形する。

(Kindle版第1巻 位置No.20/199より引用)

 そして互いに蹲踞の姿勢を取る。
 ここで勘の良い読者はアッと気づく。これは、これではまるで──

 これが、『古代戦士ハニワット』第一話の冒頭のシーンであり、第一部のラストで繰り広げられるクライマックスの前触れでもある。

 謎が多く、複雑で異形の物語だが、その本質はいたって簡単なお話──つまり、現代日本に現れた土偶の形をしたモンスターを、埴輪をモチーフにした変身ヒーローが退治するという、特撮系の変身ヒーロー物なのだ。
 それは、『機動戦士ガンダム』が戦争という複雑な状況を舞台としていても飽くまでジオン公国をやっつける勧善懲悪型のロボットアニメとしての〝お約束〟を守っているという意味で、まったくもって正当な、王道のストーリーなのである。

 そのフォーマットは紛れもない特撮変身ヒーロー物のそれであると同時に、ヒーローたる異能者の周囲を支えるキャラクターが大掛かりな舞台装置を運営するという点で、『ガンダム』以来のロボットアニメ的な群像劇の側面も持っている。
 しかしそれ以上に驚くのは、そのフォーマットを抑えつつも、枠を食い破って出ていこうとさえするイマジネーションの数々だ。いや、シミュレーションと言ったほうがいいかもしれない。とにかく「地に足が付いている」という感じが拭えない。あんなに冒頭が〝ありえない〟ことの連続にも関わらず、それを力づくでうんと納得させられる。それが、ことの始まりから積み重ねていくことで、文句が言えなくなってしまう。

 ただ、ただ、魅せられよ。
 いまよりあなたは文明以前の時間に還るのだ。

 ここから一気に時間が巻き戻り、ことの始まりがいかにして起こったのかの描写に入る。それは善光寺にお参りする一般市民の描写から詳らかにされ、冒頭のクライマックスに居合わせた人々の日常風景と交差しながら、進んでいく。

 なにせ冒頭でありクライマックスがこうなのである。いかにしてそうなったのか? どうしてそうなったのか? いったい何が起こったのか? とにかく無数の疑問符が読者の見る紙面に貼り付けられ、そこで描かれるあまりにも普通の日常の景色が、すでに歪に見えてしまってならない。
 すでにここまで読んでしまえば、われらは作者の術中にハマったようなものなのだ。

 そんな中、ついに善光寺から神々しく昇りゆく霊光が異変の発端だった。

 いきなり高さ二メートル強の「仮面の女神」そっくりの土偶の巨体が、のっそ、のっそと歩き出す。その様子は当初予定外の出し物のようにさえ見えたと言う。
 大衆は呑気にスマホで写真を撮る。しかし、なぜか輪郭が歪んで、正確に映らない。
 子供たちは着ぐるみと思って近づく。しかし突如としてヒトならざる気を察して怖がる。
 巨体は山門を出ようとする。両手のような突起物が、柱にぶつかるのだが、容赦なく柱をへし折って、なおも進む。

 このゆっくりと何かが壊れ始めていく恐怖を、読者は体験する。作中の大衆でさえ、あまりにも唐突にそれが起きたがために、ヘンだと思っても、本質で理解しきれてない。
 ついに腰が抜けた老夫婦を庇って、お坊さんがその存在に踏みつけられてしまう。さながら数トンもある鉄槌を、鳩尾に振り落とされたかのように、彼は血を噴き圧死する。こうなると、もう事態は止まらない。

 パニックが、感染症のように広まった。

 この推移の何気ない、しかし圧倒的な見応えは、過去に何度か知られたスリルだ。例えば『シン・ゴジラ』の冒頭。海底トンネルを突き崩した異変から、東京湾上に噴き上がる水蒸気まで、何か予想もつかないことが起ころうとしていると予感するあの連続した場面──
 事態が変化し、訳知り顔のキャラクターたちがわらわらと臨戦体制を敷いていくまでのサスペンスは、『シン・ゴジラ』的であると同時に、テレビアニメ版『新世紀エヴァンゲリオン』の、なんの前触れもなく使徒が都市を進撃し、戦略自衛隊が交戦体制を敷く、あの説明抜きに見せられていくカッコいいシーンの連続を見てる気分になる。

 何かが世界を壊している。
 何かが壊れ始めようとしている。
 抗おうとする人々がいる。
 戦おうとする人々がいる。
 戸惑う人がいる。
 嘆き悲しむ人がいる。
 知っているけど話せない人がいる。
 勘違いする人もいる。
 怒り叫ぶ人がいる。
 それでも戦おうとする人が、いる。

 ぼくらはその連続に魅せられる。世界から欠けた何かを求めて、フィクションに顔を覗かせる。それがヒトの踏み込んではならない世界だと、心のどこかで知ってはいても──
 覗かずには、いられない。

 コードネーム:ドグーン。
 ヤツらはそう呼ばれている。

 いわば土偶の化け物。人によっては蚩尤(しゆう)と言われるが、細かいことはいずれわかる。とはいえヤツらはどこから来たのか、なぜ来たのか、どういう目的があるのか。
 読者にはわからない。考えなければならない。

 謎が、謎を呼ぶ。
 ひとつの謎がみっつの謎に増えていく。

 この謎は、ひょっとするといまの世界を覆う混乱に答えを与えてくれるかもしれない。それぐらいの迫真が、物語の節々から漂っている。
 けれども、だとすれば、ぼくたちはこの混乱を読む前からどこかで知っていたということにはならないだろうか?

 然り。然り。おそらくそうなのだ。きっとそうなのだ。ぼくらはどこかで知っていた。かつて『進撃の巨人』の中で、残酷な巨人と壁で囲まれた世界をそれでも美しいと思えてしまったかのように、この、ドグーンが闊歩するだけで徐々に崩壊していく日常の、壊れてしまった世界というものを、きちんと知っているのだ。
 ただ、忘れようとしただけで、思い出せなくなってしまっただけなのであって──

 それはもしかすると、ぼくらが心の奥底で信仰していたモノの世界ではなかったのか?

 ハニワットの叙述が象る神道的な世界観は、まさにそうした記憶を疼かせる。埴輪なのか、土偶なのか。特殊祭祀とは何なのか。蚩尤とは。そしてそれに対処することの本質とは──
 あえて言魂にするのは野暮というものだろう。その答えは、わざわざぼくが書かなくても、そろそろわかっているはずだ。そしてその答えこそが、いまこの物語を読まなければならない理由にはならないだろうか?

 少なくとも、ぼくはそう信じてる。

結論.まあ、とにかく買い支えて続きを読ませてほしいのですよ。

 しつこいかもしんないですけど、ぼくはこの作品の続きが読みたいし、作者の構想をフルで描き切ってもらいたいのです。だから、繰り返しになりますが、まず最新7巻を買ってその売り上げに貢献し、それから1〜4巻を買って一気読みです。

 特撮好き、怪獣好きにはマストですけど、それには留まらない魅力なので、とにかく全員買って読んでくれ。頼む。


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