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「野宿をしながら自転車で日本を横断した話」 6/18(最終日) 水俣→鹿児島 85km

自転車旅・最終日!

朝7時半。目が覚める。野宿をここまで極めると、早朝4時半ごろの眩しい日差しに怯むことなく寝ることができるようになる。

さすがに時間も時間だから人気がないだろうと思っていたが、朝の散歩としてこの「エコパーク」に来る人も少なくないようだ。

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顔洗いと歯磨きを済ませ、誰もいない観光案内所で朝食をとることに。と言っても、昨日のうちにスーパーで買ったお弁当。

資料館が開くのは午前9時。外に出てみると海風が心地よく吹いているので、公園内をサイクリング

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公園内の地図で現在地を確認してみたが、ここまで広い公園を今までみたことがあっただろうか。竹林園、バラ園、池、運動場、森に海。ここまで充実した公園が家の近くにあったら運動スペースに全く困らなくて羨ましい。(写真出典:エコパーク水俣

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公園内を色々と散策していると、あっというまに午前9時。資料館が開館したはずなので向かうことに。受付を済ませて早速中へ。

水俣病については、その名前を教科書で学んだこと以来で、内容までは全く知らなかった。


水俣病とは何だったのか?

自転車旅とは全く関係なくなるが、「水俣病」について資料館で知ったことをここに書き留めておきたい。

水俣病は神経の感覚障害、言語障害、手足の震えなどの症状がある公害病。最悪の場合、意識不明や死亡に至るケースもあったそうだ。

主な原因は無処理のメチル水銀が「チッソ」という会社の工場から流れ出たために生活用水が汚染され、その地域に生息していた魚を食べたことで人体に被害が出たという。

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発生地域は水俣市のみに止まらず、不知火海に面した天草市や津奈木町など、鹿児島県にも被害が及んでいる。

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自らの健康に被害が出た人やその家族の悲しみは計り知れないものだったのだろう。工場の前で「」と記す旗を大きく掲げ、水俣闘病闘争が発生する。

この公害病が発生した当初、工場側が患者に対して小額の見舞金を払うだけで全く責任を取る姿勢を見せなかった。

水俣市民の意見が真っ二つになってしまったのも闘争激化の要因だ。健康被害を生んでしまった科学技術に反対する市民は工場の前に座り込み、「チッソ」で働くことで生計を立てている市民や移住者はそれに反対する立場を見せる。完全に泥沼の闘争だ。

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高度経済成長を遂げていた日本の裏側では、こういった形で苦しんでいた人たちがいた。技術が目まぐるしく進歩していく中、どうやって人々の生活と共存していくかが問われるだろう。

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昨日から寝泊りしていたこのエコパークも、汚染されてしまった海を埋め立てた土地に設置されたものだという。50年前のこの辺りの景色は、僕が今見ているものと全く違うものだったのだろう。


水俣は恋人の聖地?

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学ぶこと、感じることが多い資料館を見学し終わると、駐車場にくまモンのバスを見かける。この場所に団体で観光に来ている人もいるようだ。

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海沿いの方まで歩いてみると、「水俣病慰霊の碑」と書かれた石碑を見つける。立ち止まって手を合わせ、2度とあのような公害が人々を苦しめないように願う。

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対岸に見える「恋路(こいじ)島」が綺麗に見える場所には、「恋人の聖地」と題したオブジェがある。無人島なのかはわからないが、人気はあまりないように見える。

エコパークを十分見て回ったところで、今回の自転車旅の最終目的地である「鹿児島県」を目指して進み出す。

思えばスタート地点の東京を出たのは5月末。ここまでで既に26日間も日本を旅していることになる。振り返ってみれば本当にたくさんの「日本」を体験できた良い旅立ったと思う。

が、今の時点ではあまりうかうかしていられない。というのも、今日は合計100kmというそこそこの長い距離+1000m近くの山を登らなければいけない。

旅の最後にふさわしい難関と言っても過言ではないだろう。ここ最近も登り坂続きだったので、まだ足に疲れを感じている部分もある。

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水俣市は鹿児島県寄りの街ということもあり、10数kmも走れば熊本県を出るらしい。

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途中、工事現場でくまモン(?)を見つけたが、片目が取れてしまっているし薄汚い感じになってしまっている。デザイナーに使用量を払っているのかは気になるところ。

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ほぼ平坦な道を走り続け、遂に鹿児島県は「出水市」という街へ到達。ゴールの鹿児島市までは90kmほどあるのでまだまだなのだが、謎の達成感を感じる。

余談だが、「出水」は「いずみ」と読むらしい。「しみず」だと思っていたが、どうやら勘違いだったようだ。


山道 + 雨 = 悲劇 

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小腹が空いてきたので、スーパーに立ち寄ってパンを購入。口に加えながら走っていると、なにかが降ってくる。どうやら天気予報は正しかったらしい。小雨が降ってきてしまった。本降りになってくれるなと祈りながら進み続ける。

出水市街を抜けると、いよいよ山道が広がる。麓は緩い坂が続き、徐々に体力を奪っていく。

結局雨も本降りになってしまう。Tシャツに雨がしみこんでしまうと風邪をひいてしまうかも知れないので、坂の途中で一旦止まって撥水性のジャンパーを上から切ることに。湿度が高い中での上着なのでかなり蒸し暑い。

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トンネルが数カ所に分かれてあるので、雨で滑りそうになりながらも全力で出口まで漕ぎ続ける。間違っても、ゴール直前で事故になんて遭いたくない。

山の中にもコンビニはあるだろう、と思っていた自分はなんて愚かなのだろうか。お昼2時を過ぎた頃、パン1個で誤魔化していたお腹が鳴り出す。と言っても、周りを見渡す限り山、山、山

この4週間の旅でここまで空腹を感じたこともなかっただろう。水筒もそこが見えてきて、嫌気が差してくる。まさか旅の最終日がこんな悲劇に見舞われる日になってしまうとは。


4週間自転車を漕ぎ続け....ついに!

道路もかなり濡れてしまって、どんよりした空気の中走っていると、奇跡的に自販機を道路沿いに見つける。あったかいお汁粉の缶があればベストだったのだが、この際そんなわがままは言ってられない。

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砂糖でエネルギーをつけれそうなソーダを買い、一気に飲み干す。蒸し暑さに弱っている体に炭酸がしみこんでくる。犯罪的。強炭酸のドリンクなのでまるで体力が湧いてくるかのようだ。とりあえず空腹を紛らわすことはできそうだ。

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下り坂を進むと、どうやら最初の山は超えたようだ。向こう側にガソリンスタンドが見えるだけで文明的だと感じる。空も機嫌を良くしたのか、さっきまでの小雨もすっかり止んでしまった。

その後の1時間は、おそらくこの旅で最後の登り坂。登れば登るほど傾斜がきつくなり、何度か自転車を降りて歩いてしまおうとも思った。が、どうしても最後の山はペダルを漕いで踏破したかったので、ゆっくりながらも確実に前へ進む。

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牧場の看板が見えてきた辺りで、急に登り坂がゆるやかになる。

前の方を良く見てみると、見慣れた横書きの看板。

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鹿児島市

思わず叫びそうになってしまう。福岡から九州に上陸してから約1週間。とうとう、九州本島の南の果てまで到達してしまった。

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自転車を漕ぎ続けて4週間。終わりが見えないとやる気を削がれた日もあったが、まさかここまで来れたとは。

今までここまでの達成感を感じたことがあっただろうか。アメリカに留学して1年経った時に感じた「やっと英語が話せるようになった」と思った時以来。いや、それ以上の達成感かもしれない。

雨で風邪を引いてしまう前に市街地に入りたいので下山。

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山の向こう側は厚い雲に覆われているが、確かに街のような景色は広がっている。

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車道をただただ下る。後ろからスピードを出して下山してくる車が多いので、安全にはかなり気を付けながら進み続ける。

鹿児島市内に入っても、しばらくは田舎道が続く。福岡から繋がっている国道3号線を走っていればもっとお店があったのだろうが、今通っている幹線道路は全くと言っていいほどない。あってもコンビニが数軒という程度。

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途中で国道3号線と合流し、ひたすら直線を進む。「鹿児島市街」と書かれた看板を目にし、小路に入って数km。目的地到着。

鹿児島中央駅

言葉で言い表すことのできない満足感。走馬灯のように旅の一部始終が映像のように脳内で流れる。すっかり疲れてしまったので、自転車を押して散策することに。

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60万都市の主要駅なのにも関わらず、思っていたよりも栄えていない。

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と思っていたら、どうやらメインは駅の反対側らしい。


「鹿児島名物」といえばこれ

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駅構内を少し散策してみると、早くも鹿児島らしい光景が。駅に隣接する食事処には、「黒豚」を使ったメニューをちらほら目にする。

達成感に満ち溢れていると、なんだか寝転がって休みたくなる。旅の終わり記念ということで予約していたゲストハウスへ向かう。

二段ベッドがいくつも並んでいる相部屋に通される。服を着替えたかったので、とりあえずシャワーを浴びてベッドに寝転がる。数日ぶりのベッドはふかふかじゃなくても気持ちが良い。

さっきまであんなにお腹が空いていたのに、今はそうでもない。ベッドでゆっくりした夕方を過ごす。

すっかり日も暮れてしまった夜8時。空腹を感じたところで夕食を食べに向かう。

いつもはドンキやスーパーの食べ物で済ませているのだが、今回は「日本横断達成記念」ということで、鹿児島名物の「黒豚」を使ったとんかつを食べに行こうと思う。

再び駅へ向かい、栄えている方の出口へ向かう。駅構内を出ると、

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ゆくさおさいじゃったもした!

と書かれた電光掲示板と「西郷隆盛」のゆるキャラ。おそらく「よく来てくれたね」的なことが書かれているのだと勝手に解釈。

九州は博多弁や長崎弁はよそ者でも理解できるが、鹿児島弁は未知数。

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駅を正面から見えると、やはりこちら側の方が栄えている。駅ビルの上には観覧車、そして駅の向かい側にはイオンがある。

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そこから5分ほど離れた場所にある「黒かつ亭」というお店にお邪魔する。時間も既に夜8時半だということもあり、店内は数組ほどしかいない。

旅1番の奮発はここだ、ということで「上ロースかつ定食」を注文。

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待っている間に雑誌を読んでいると、地元のラーメン屋「長尾中華そば」の記事が出ている。どうやら東京の神田にお店を出したらしい。青森が領土を拡大していくのは地元民として嬉しい。ただ、空腹が限界に達していたのでこれ以上雑誌を見るのは止めておく。

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15分ほどすると、目の前に注文した料理が運ばれてくる。ごはんに山盛りのキャベツ、味噌汁に一品料理。それから中央には堂々ととんかつが盛られている。

あまりとんかつが好みだったことはなかったが、これは見るだけでわかる美味しいやつだ。食リポなどはもちろんしたことないので大層なことは言えないが、甘味があって美味しいお肉だ。

一品料理で茶碗一杯のお米を平らげ、とんかつで更に二杯。キャベツも1回おかわりをいただき、久しぶりに満腹まで食べる。お腹いっぱいになる時、生きていると実感するのは僕だけじゃないはず。


旅の最後に。

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お店を後にし、再び駅の方へ戻る。既に夜9時を過ぎていたが、駅にはまだ人が多い。そのままゲストハウスに戻り、ベッドに入る。

この旅の最中に記した日記をもう一度見直して、眠りに着く。


最後になるが、我ながらよくこんな旅をしようと思ったと感心する。


次は北海道、北陸、山陰、四国....



どこへ行こうか。



P.S. ここからはエンドロール的なやつです

日数:29日(27日+鹿児島観光2日)

走行距離:1600km


訪れた都道府県:18

東京・神奈川・静岡・愛知・岐阜・滋賀・京都・奈良・大阪・兵庫・岡山・広島・山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島


訪れた世界遺産

「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」(静岡:三保の松原)

「古都京都の文化財」(清水寺・鹿苑寺・慈照寺・西本願寺)

「姫路城」(兵庫県)

「原爆ドーム」

「厳島神社(宮島)」

「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(大浦天主堂)

「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(旧グラバー住宅)


おすすめの観光地

神奈川県:小田原城

静岡県:三保の松原 久能山東照宮 浜松城

愛知県:名古屋城

京都府:銀閣 伏見稲荷神社 本能寺

兵庫県:姫路城 甲子園球場

岡山県:岡山城 倉敷美観地区

広島県:原爆ドーム 厳島神社

山口県:錦帯橋 回天記念館 日清講和記念館(春帆楼)

福岡県:門司港 中洲の屋台 大濠公園 太宰府天満宮

長崎県:浦上天主堂 出島 平和祈念像 眼鏡橋 亀山社中記念館

熊本県:熊本城 水俣病資料館

鹿児島県:城山公園


おすすめの名物

びわ(西日本)

きしめん(名古屋)

お茶(京都 一保堂)

お好み焼き with うどん(広島)

たこ焼き(大阪)

トルコライス(長崎)

シシリアンライス(佐賀)

黒豚のとんかつ(鹿児島)

白熊(鹿児島)