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没イチ母娘が語り合う時間【日本滞在レポート#4】

日本滞在中、でかけるとき以外はほぼ母と二人で過ごしていました。今回の帰国から母娘そろって没イチの身です。

以前、母のエピソードを取り上げたことがありました。

生前の我がままな父に手を焼き、娘のわたしにしょっちゅう愚痴をこぼしていたというのに、他界後も父と生き続けています。なにしろ亡くなって13年も経つというのに、毎朝、父の仏壇に「おはようございます。今日も1日よろしくお願いします。チーン」と挨拶したあと、朝ごはん(卵や鮭付き)をあげるところから1日が始まる献身ぶりです。

何を買ってきても、仏壇にいる父にあげてから自分が食べるといった具合ですから、わたしのように信仰心のない者から見ると、薄気味悪いぐらいです。母も、もともと信仰心のある人間ではなかったのですが、父が亡くなってからは「仏壇の中に引っ越した父」と共に生きているように仲良くしています。

by yahoi

母と二人でワイン🍷タイムを楽しんでいるときに、父が亡くなってから13年にもなるのにまだ献身的に朝ごはんをあげたり、仏壇の父に話しかけているってスゴイねっ。生きていたころはあんなに愚痴ってばかりいたのに、いつまで父と仲良くするつもり?

と問いかけました。

ふたりともほろ酔いで母娘水入らずの楽しい会話が、だんだん没イチの生き方についての話題になりました。

生前の夫が母を見ては「思い出はたいせつにしても、死んだ人と生きなくてもいいのに。歳のわりにとってもきれいだし、女力も家事力も高いのに残りの人生を独りで過ごすってなんだかもったいない。その気になればいくらでも爺さんより素敵な男性がみつかっただろうに」ってことをよく言っていたんだよって教えてあげました。

母は仏壇横においてある夫の写真に向かって、

「あら〜そんなこと言ってくれてたの?もっと早く直接私に言ってくれればよかったのに〜!!」と照れくさそうに笑いました。

父はひとりで笑っている遺影だけど、なぜか夫はわたしといっしょに笑っている

「義母にむかってあなたは綺麗だとか女力が高いとか言えるわけないでしょう!😂」と返すと、「それもそうだわねぇ」と言って大笑いしました。

「今は人生が長くなったから没イチだって昭和な枠をとっぱらった人生をやり直してもよかったよね」

「振り返ればそうかもねぇ〜」としみじみ。

さすがに今の母は85歳なので体力的にもちょっと無理があるかもしれませんが、父が亡くなってすぐのころに転換することができていたなら、新たな生き方を楽しめたかもと、今は母も思っているようです。

そして母は言いました。

「あんたはまだ若いんだから、いつまでもくよくよしていないで頑張りなさいね」と。

「わかっているわよ。そのために夫婦でそういう会話もちゃんとしていたし、彼はそれを望んでいることを生前に伝えてくれたので、そうすることが夫への供養だとさえ思えているの。それにもういい候補をみつけてあるから心配しないで」

すると、

「は〜?もういるの?ウッソー。え〜。ほんと?どうやって〜」

と酔いが覚めたように85歳が興奮!!😆

そして、笑えるのは翌日の仏壇の朝ごはんです。

母は夫の発言がすっかり気に入ったようで、翌日の朝ごはんがいつもよりあきらかに豪華でした。😆

ちなみに、母はほんとうに自分流に亡くなった人と向き合っています。

父のいる仏壇の横にわたしたち夫婦で写っている写真(わたしはまだ生きているんですけど……😅)を飾っているのは、夫がひとりぼっちだとかわいそうだからだそうです。じゃあなぜ父の遺影は一人ぼっちなんだろ?

と、ツッコミどころたっぷりです。

少し前まで父のお姉さんや、5年前に亡くなった母の妹の写真も置いていたのですが、人が増えてきてご飯の用意が大変なのでもうやめたそうです。

不思議なのはどうせ食べないのだから、ご飯をやめればいいのに、写真を取り下げているのはなぜ?😂

何年か前に父のお姉さんのお供えにうっかり鶏肉を置いてしまい、

「あ〜しまった!!お姉さん鶏肉が食べられないのにうっかり置いちゃった〜」と叫んだ母にマジで爆笑したことをわたしは覚えています。

わたしは目の前に父の仏壇があっても、そこに向かって手を合わせない娘です。日本に住み、日本の伝統文化の中だけで生きている方々にとっては、「仏さまに手を合わせないなんて……」と思われるかもしれませんが、信仰のないわたしにとっては、立ったり座ったりしながら1日に5回アラーの神に拝むのも、チーンとやって仏を拝むのも、十字を切ってアーメンというのもみな同じ違和感を感じてしまうのです。

生前の父も信仰心を持たなくて手を合わせない人でした。

わたしにとっては、父も夫もわたしの心の中でいつでも生きています。偶像崇拝も死者にご飯も要りません。それぞれが自分の納得いくかたちで偲べばいいことでしょう。母は仏壇やお墓の前で拝まない娘に成り代わり、父のついでに、わたしの分まで夫を弔い偲んでくれているようです。

ワインボトルがなくなるころには、母がたいせつにしているアルバムを二人で眺める時間に変わっていました。次の帰国でもこんなふうに母娘で過ごせることを願っています。



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