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仏壇不要/神も仏も信じてないもの【仏壇じゃなく、ヒゲダンでもなく幹壇】

長男夫婦と犬二匹と住みはじめて約3週間が過ぎた。まだまだ片付けで忙しいけど、ワンコたちはかわいいし、ニューライフは快適だ。

この週末、次男夫婦と末息子がガールフレンドとシャム猫のスシも連れて来てくれた。3人の息子が揃ったのは半年ぶりだ。みんなワクチン接種が済みようやくこうして集まれるようになった。うれしい。

昨年の暮れ、借りていた家を出なくてはいけなくて引っ越しを手伝ってもらって以来、建築中だった新しい家を見ていなかったので、完成した新居を見るのは今回がはじめて。

次男と末息子は大工仕事が得意なので来てくれてほんとうに助かった。次男は画家として美大で絵を教えている。三男はミュージシャンで、プロデューサー、マルチ演奏家、サウンドエンジニアもフィールド内なので、家のライティングや音響を整えてくれた。おかげでわたしの持つ電子楽器やコンピューターの音が巨大スピーカーからいい音で出てくるようになった。😊

そして、次男は絵を描いて持ってきてくれた。一枚は玄関用の風景画。もう一枚はカリビアンビーチを背景にしたわたしと夫の絵だ。さっそくわたしがいつも居る場所がよく見えるところに飾った。孤独に映る写真よりも、実の息子が描いてくれたふたりの絵のほうが、ずっといい感じ!!と夫も喜んでいると思う。

夫は長男だったので、日本に帰れば本来入るべくお墓も仏壇もある。そこには夫の両親がすでに眠っているが、わたしたちが米国で暮らしているのに自分だけそこに入れられると知ったら、まちがいなく飛び上がって逃げ出してくることだろう。

我が家はだれも特定の宗教を信じていない。夫は宗教自体に懐疑的な人でもあった。どんな宗教にもすばらしい教えがあることに異論はないし、信教の自由は心からリスペクトする。人が生きるうえで拠り所になる宗教はあっていいし、それで救われる人がいるのも事実。ただ、今のところ我が家の誰も信仰心はない。死後の世界があるとも思っていないので、天国や地獄、あの世とか来世も信じてはいない。夫もそうだった。

神も仏も信じてはいないというのに、亡くなったからといって突然「仏壇に向かって」手を合わせるという行為に違和感を感じてしまう。正直、お墓もどうでもいい。もっともお墓に納骨しようにも米国で火葬してしまったので、お骨はない。米国では全て灰になってしまうからだ。

信仰心がないからといって、スピリチャルという概念を全否定するものではない。亡くなった人の魂は記憶がある限り、わたしの心の中で生き続けているのだと思っているし、わたしも子どもたちも夫といっしょに過ごした日々の多大な影響をうけてできあがっているヒューマンなのだから、「存在の大きさ」は消しようもないのだ。

人がそうするからとか、それがフツーだからと見せかけに手を合わせることは、自分に嘘をついているようですっきりしない。仏に手を合わせるのなら、心からそうしたい人がすればいい。そんな感覚、外国暮らしが長いということにも関係はあるのかもしれないけど、我が家では世間の常識よりも自分の心に従う自分流をだいじにしてきたということが大きいのだと思う。

愛した亡き人には、いつでも好きなときに心の中で話しかければいいのだから、線香を炊いたり、チーンとしたりする必要性をわたしは感じないだけのこと。

夫が仏になったと思っていないのだから、夫の仏壇は要らないし、お坊さんにお経を読んでもらう必要もない。なんてったって仏壇に手を合わせて話しかける代わりに「noteのつぶやき」を利用しているぐらいだ😅

夫は亡くなる直前まで、自分の設計したドリーム・ホームの完成を夢見て逝ったのだから、わたしが生きている限り、彼の居場所は仏壇やお墓じゃなくてこの家だ。線香の香りよりも、わたしが毎日焼くパンの匂いのがうれしいだろうし、朝になればわたしが淹れるコーヒーの香りが漂う場所に居たいに決まっている。

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さて、そんなわけで次男が描いてくれた絵をかけて、その下に夫がだいじにしていたアンティークボックスに詰めた遺灰を起き、夫が生前に記した著作を生きた証として飾った。

仏壇ならぬ、幹壇のできあがり〜。(夫はMikiと呼ばれていた)我が家では、この一角を夫のメモリアルスペースとし、夫の魂に笑顔の絶えない日々を見せてあげようと思っている。本来ならこの家をいちばん楽しみにしていた夫がここにはもういないことが、やるせないほど悔しい。未だ、悔しさと悲しみと感謝が混ざったわけのわからない涙がふわっと溢れる瞬間が襲う。

人生って、ときにほんとうに残酷だ。それでも現実を受け止めて前に進むしかないのだから、「思い切り感謝して楽しもうよ💗」と自分に言い聞かせる。

引っ越して3週間が過ぎ、かなり片付いてはきたものの、完全なるセットアップにはまだ先は長い状況だ。でも、記していかないと忘れてしまうので6月になったら夫のドリーム・ホームにまつわるストーリーを書いておこうと思っている。


⬇こんな感覚が身についているのも関係しているのかも⬇

⬇夫が亡くなったあとの引っ越しと遺品整理のエッセイ⬇



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