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素敵なエッセイ読んだら、ふいに記憶がよみがえりました。

琲音さんが書かれた素敵なエッセイを読みました。

お人柄と優しさと感性がぐいぐいと伝わってきて、あったかい気持ちになりました。こんな振り返りができている琲音さんにもとっても魅力を感じます。

同時に、最近はわたし自身が昔なら気づけなかったことに気づく自分を発見しているので年齢を重ねるのも悪くないなって思っているのです。

若いころなら怒っていたこと、残念と思っていたことが、やっとそうじゃないって見方ができるようになっていたりすることありませんか?

わたしはここ最近、そんなことによく遭遇します。

今回もそうでした。

読んでいたら不思議なことに、これまでに一度も思い出したことがない記憶がよみがえってきたのです。少なくともここ何十年もわたしの記憶から忘れ去っていたことです。

それはわたしが小学校の1年生か2年生ぐらいの運動会の日のことでした。

昭和の高度成長期真っ只中のことでした。父は鉄工所を営んでいたのですが、当時の父は汚れた作業服に身を包んで汗だくで働いていた時代でした。そんな父が会社を抜け出してわたしの運動会を見に来てくれたのです。

運動会の競技が終わって、みんなのいるところに友だち数人と歩いていたところで父が背後から「見てたよ」とわたしに呼びかけたのですが、そのときのわたしはあまりに汚れた作業服の父が恥ずかしくて、他人のふりをしました。

いっしょにいた友だちに、父だとバレたくなかった。

その時に父の呼びかけを無視した自分の行為は、申し訳なかったような気持ちと、汚い格好で現れた父に対して不愉快な気持ちとが混じり、得体の知れない「残念感」がその後もずっと続いていたことがあったことを今さら思い出したのです。

不思議ですね。

その父は13年前に亡くなりましたが、生きているうちにあの日に無視したことをわたしは謝ることはありませんでした。

琲音さんの漬物屋さんの記事から、どうしてこの記憶がよみがえったのかはわかりませんけど、最後まで謝らなかったことが、わたしの心のどこかに今もわだかまりとして心にくすぶっていたのでしょう。 

それに気づいたので、ここに記しておくことにします。

琲音さんありがとう💗

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