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愛する努力と愛される努力について

先回の記事で、婚活小説読んだことを書きました。

いつものようにツラツラと思うことを気ままに記していたら

結婚には覚悟が要りますが、覚悟と同時に愛情がなければ幸せは感じられませんから。

人は愛し、愛されるために生まれてきたし、幸せになるためには、愛する努力と愛される努力が必要です。

by yahoi

コメントでながいコーチが予期しないところにひっかかってくれました。

愛する努力と愛される努力。
オレ、してるかなあ。。。。😥

byながいコーチ

わたしは「愛する努力と愛される努力」とは「心身共に愛しあっている状態」を継続させることを意識してこの言葉を記しました。

人の幸せは、目的を達成したときや、欲望が満たされたときなどいろんな場面で感じられますが、わたし的には「愛情を感じられるとき」はとても幸せです。もちろん、愛の形はいろいろあって良しですが……。

なので、「お互いに愛情を確かめ合う行為」はたいせつにしたいと思うようになりました。

かれこれ5年前にこんな本を読みました。著者の夏樹さんは友人です。

夏樹さんは日本で生まれ育ちましたが、若いころにフランスに渡り、フランスでオトナのオンナになったような方です。フランス人の夫を持ち、息子さんはフランスで育て上げました。

初めて息子さんが"オトナ"になるときのエピソードも記されていたり、日仏の性にまつわる歴史や比較がデータと共に示されていて、彼女の目をとおしての両国間の性に対する感覚のズレが浮き彫りにされています。

性教育の在り方や社会的な性に対する意識や感覚などは、両国とも歴史とともに変化してきたわけですから、どっちが正しいというものではないでしょうが、とことんタブーな日本と、オープンなフランスのちがいはとってもおもしろいです。

日本って性的な話題は極端に閉鎖的なのに性風俗はお盛んって不思議な国です。でもって夫婦やカップルはセックスレスが急増中。ますます少子化も進む(もちろんいろんな理由がありますが)。日本の二十代男性の7割が彼女がいない、4割がデート経験すらない日本です。

これで、何かがおかしいと思わなくてはそれこそ国家滅亡、お先真っ暗です。そもそも人間の恋愛感情や性欲など自然なことのはずなのに、性をタブー視している場合ではないと思うし、親が家庭内で子どもや若者に恋愛の素晴らしさを伝えていないのも問題かもしれません。

本によるとフランスではセックスレスのカップルは1.9パーセントで、日本は44.6パーセントというのだからその大差に驚きます。つまり、フランスでは心身共に愛し合わないのならば、カップルでいる意味もないのです。

日本では半数近いカップルがないのだから、なくてもうちは普通!と考える人も多いのかもしれませんけど、世界的にみればあまり普通ではありませんって!!それって、心身共に満たされようがないのでは?という話です。😆

これでは、愛を感じたり受け止めるチャンスがないということなので、鬱が多いのも、幸福度が低いのも、自死が多いのも当たり前?いやいや、このためとは言い切れませんが、ある程度関係していると想像できます。

もっとも、たまごが先かにわとりが先かってのもありますが……。

もちろんカップルの繋がり方の形は本人同士が満足、納得しているのなら外野がとやかくいう必要もなくどうでもいいわけですが、日本に帰るたびに多くの友人、知人たちから夫に対する愚痴や罵詈雑言を耳にする機会が多いのは、このことにも影響しているのかと勝手な推察をしてしまいます。

わたしも根っからの昭和オンナなので日本語で性について語ることは、めちゃくちゃ恥ずかしいのですが、夫婦やカップルが愛し合う行為は卑猥でも恥ずかしいことでもなく美しいことだと理解しています。

亡き夫がわざわざ「信頼できる人をみつけてセカンドライフを楽しめ」と言い遺してくれた裏には、愛し合える人の存在の重要性を誰よりも理解していたからだと思っています。心だけでなく身体的に誰かと結ばれることは人間の心身に数々の重要なメリットがあることは科学的にわかっているからです。

なので、仲良し夫婦がお互いをレスペクトしあうためには心身ともに愛する、愛される“努力”を怠らないのはたいせつなことだと思っています。

条件がいくらよくても「愛したい、愛されたい」という欲望がわいてこなければ、満たされる機会もなく愛情を感じられる幸せなカップルにはなれません。

ただしセツクスだいじという意味ではありません。暮らしのなかにカップルだからこそのお互いに愛し合っていると確認し合える"振る舞い"があるかということです。

手を繋ぐ、挨拶のキス、背中や髪をなぜる、お尻を触る……など外で他人にすれば逮捕されるかもしれないことだけど、夫婦やカップルの間でなら愛情表現です。お互いが愛の確認行為を怠らない努力をしているかは仲良しカップルでいるために意識すべきたいせつなことだと思うからです。

わたしが「愛する努力と愛される努力」と記したことには、これも含んだことを意図してました。

夫を失ったときのいちばんの悲しみと喪失感は、この世では唯一無二精神的繋がりのあった夫の肉体に二度と触れられないことでした。

愛したい、愛されたいと思うことは自然であり素敵なことです。年齢も関係ありません。QPさんと出会えた今は、心身共にとても充実した幸福感を得られているので、愛する努力と愛される努力をこの先も続けます。


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