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岡田有希子40周年☆奏者&歌手ユッコトリビュート②〜
アメブロとXには、ダイジェスト映像と寄稿を
させて頂いたが、ユッコsongトリビュート②は、
シャンソン歌手 大輔さんが、弾き語りにて次の
4曲を歌唱して下さったのであります。
M1 憧れ
M2 ロンサム・シーズン
M3 ファースト・デイト
M4 - Dreaming Girl- 恋、はじめまして
ユッコちゃんの曲をカラオケで歌唱して
おられるという大輔さんは、プロ歌手の歌声で
素敵にユッコs
岡田有希子40周年☆奏者&歌手ユッコトリビュート
岡田有希子デビュー40周年イヤーの筆者企画
第1弾としてデビュー月の4月より1か月早く
2024年3月21日(木)に スタート致しました
「岡田有希子デビュー40周年☆奏者&歌手
ユッコトリビュート」これは、ユッコちゃんと
同じくプロ歌手(ジャンル拘らず)とプロ奏者が、
岡田有希子オリジナル楽曲を演奏又は歌唱する
企画なのであります。筆者のアメブロ及び
X(旧Twitter)アカウントでは、既に演
白いイチゴとユッコちゃん
ある方に白いイチゴを戴いた。白いイチゴには、
ユッコちゃんとの不思議な関わりがあるのだ。
イチゴが大好きなユッコちゃんは、デビュー前
から描いていたスケッチブックに動物や植物など
多くの絵を描きためていた。まだ世に出ていない
ユッコちゃんのスケッチブックに1985年に書かれた
白いイチゴがある。この写真のような絵なのだ。
世の中に白いイチゴが、現れたのは2009年頃だ。
しかし、その品種改良には、
40周年のユッコちゃんの4つ
22本目の岡田有希子(以下 ユッコちゃん)寄稿です。
真実でない金儲けの妄想YouTubeを配信している
ユッコちゃんを知らない年代のYouTuberに
見られたくない為に敢えて無料ではないnoteに
して寄稿してきました。購読して頂けた分は、
全てユッコちゃんのお花代にしており購読数は、
ユッコちゃん本を出す出版社のリサーチにして
きましたが、今は1本の寄稿に対してお一人の
熱心なファンの方が
名古屋のお勧めをユッコちゃんから
事務所を退社しフリーになってからも頻繁に
事務所の先輩スタッフに何かと用事があり
事務所に立ち寄っていた筆者だった。すると…
かなりの確率で、岡田有希子(以下 ユッコちゃん)が、筆者が、立ち寄っていた課に笑顔で
現れていた 1984年の初夏のことだった。
その時代(80年代)に名古屋にあった中日劇場の
話しになり…中日劇場のビル内にもあった
山本屋で、味噌煮込みうどんを食べるのが、
好きとの筆者発
長島温泉の楽屋でのユッコちゃん
スター歌手の豪華なステージを巨大な宴会場で
観れる「グランスパー長島温泉」は、58年の
歴史ある場所だ。演歌歌手ばかりでなく時代の
アイドル歌手も多数出演していて筆者在籍中は、
桜田淳子、松田聖子、早見優、岡田有希子(以下
ユッコちゃん)も看板ショウとして呼ばれていた。
ショーではなくショウとされているのは、
今でも変わらない地域の個性なのである。
長島温泉は、三重県桑名市にあるのだが、
出演スタ
渥美清さんから告げられた不思議な言葉〜完結編
渥美清さんが旅立たれて今年で28年になる。
映画 「男はつらいよ」 の寅さんと重ね合わせ
渥美清さんは、長い旅に出たままなのだと
イメージしている人も少なくないはずだ。
この寄稿は、かつて大船にあった撮影所にて
筆者が、渥美清さんから告げられたお言葉で
異空間を実体験したことの完結編である。
(令和3年に配信された記事とは異なります)
電車の窓から見える 大船観音寺の白衣観音像が、
幼少期から気
ユッコちゃんが歓喜したジャッキーチェンとの対面
コロナ禍の母体出版社運営事情で一旦消えて
しまったが、昨年オファー頂きWEB記事に
寄稿させて頂いたジャッキー・チェンの記事。
筆者が、写真家時代の1984年12月18日(火)
昼過ぎにパトリックノパクン氏から「これから
直ぐに武道館に来てジャッキーを撮影してくれ」
と電話がかかってきたのだ。筆者がサンミュージック時代から面識のあったパトリックノパクン氏は、
マイケルジャクソン通訳や夜のヒットスタ
ユッコちゃんの市田柿1984
来年のユッコちゃん40周年記念サプライズに
向けて今年は、幾度も筆者しか知り得えない
ユッコちゃんの良きエピソード寄稿してきた。
18歳でユッコちゃんが旅立ち37年が経過した、
現役歌手だったユッコちゃんと仕事をしていた
人間は筆者を含めて還暦を過ぎているのである。
ユッコちゃんと接した事の無いであろう若者が、
事実無根な卑劣な妄想をYouTubeをアップする
事を辛く感じる人が多いと知り筆者は寄
中島みゆきさんとの再会場所
2021年4月及び2022年3月に頂いたオファーを
お受けして 中島みゆきさんを寄稿させて頂いた。
母体が大手出版社の異色WEB記事だったのだが、
コロナ禍出版社事情から一旦削除されている。
中島みゆきさんのライブとしては、唯一無二の
伝説となった今は無き東京厚生年金会館(新宿)の
一日目は大ホールで、二日目が小ホーム公演という
今では考えられない公演と筆者が、高校生時代に
執筆家だった亡父の仕
作詞家 三浦徳子さんとユッコちゃん
三浦徳子さんへの追悼をこめて…80年代筆者が、
仕事で見てきた未寄稿の岡田有希子(以下 ユッコ
ちゃん)と三浦徳子さん(以下 三浦さん)の
ホッコリする知られざるエピソードを紐解き
寄稿させて頂こうと思います。ユッコちゃんが、
ユッコCM秘話プレビュー①
40周年に向けて執筆中のプレビューになります。
時代が流れ岡田有希子(以下ユッコちゃん)の
backyard エピソードを寄稿できる唯一の筆者
がユッコちゃんと初めて会ったのは、デビュー
前の事務所(筆者は既にフリーになり事務所に
立ち寄った時)でしたが、既にその瞬間に
筆者は、ユッコちゃんのCM出演姿を垣間見て
いたのです。その日のユッコちゃんは、
ユーミン 城ホール ビデオ撮影秘話1991
付き添い看護で旧友の病室にいると様々な
Xアカウントを見る気無しに見てしまう。
その中にフォロワーでない人が、筆者の
アメブロ記載の情報を我物顔でヲタ調べし
拾い画像と共にポストしていたので、noteに
寄稿する気持ちになったのであります。
今から31年前に大阪城ホールにて当時はまだ
レーザーディスクとビデオテープ発売だった
ライブ映像撮影の世に出ていない秘話とは、