自分の家をもたなくて、いつも私はヤドカリ生活。 どこかの海が呼んでる気がして、砂浜をずっと移動中。 ここ10年のヤドカリ生活はというと、8年前、友人一家が一年間仕事でドイツに行く間、東京留守番宿借り生活。 当時エスペラント語の作家として期待されていた私は、そこで新作を一本書くこと、部屋の換気を条件に、家賃光熱費無料、食料一部宅配付きでの一軒家生活。 そこに一家の留守を知らない家主の友人(ハンガリー人女子)がやってきて、彼女の友人だという日本人年下男子と出会う。 出会っ
2023年を振り返る 突然だが、私は今中国にいる。 去年の元旦は北海道にいた。 ロシア人にもらったタラバガニの足を食べ、お向かいさんの家で金箔の入った日本酒を飲んでいた。 去年の今頃はキンプリの解散を惜しんでいたのに一年後はNewJeans可愛い~とか言ってるんだから、本当に一年は早い。 1月 ・お向かいさんちで無国籍料理三昧。 ・瀬戸内海島生活の時出会ったウルグアイ人マッサージ師匠が遊びに来る。 ・友だちの犬猫預かる。突然猫好きになる。 2月 ・モルカーの雪像
もうほんとどこかに吐き出したいからここに書くし、誰も読まなくてもいいんだけれど、ほんとつらい。 私は中国の大学で日本語を教えている日本語教師だ。 といっても、コロナになってから、2020年から今に至るまでずっと日本からオンライン授業をしている。 オンライン授業のいいところは、どこにいても授業ができること。 だからこの三年間は、瀬戸内海の島の古民家から授業したり、地元北海道で授業したり、大阪行ったり、合間にどっかでバイトしたり、本当に自由だった。 でももうつらい! 顔も
私が試験を受けたわけ 私は中国の大学の日本語科の日本人専任教師だが、実は資格も経験もまったくなかった。 一応、日本語教師として雇われるには、資格や経験がいるようだけど、とりあえず四年生大学出てればなれることもあるようで、私の場合は「仕事くれ」と直談判。縁やツテを活かすのもまた自分次第。 実際420時間講座の日本語教師の資格を持って採用されても使い物にならんなんてこともあり、資格がそのまま教師の能力とは言い切れないし、「教える能力」はまた別の話。 それに中国の大学
師匠夫婦が遺したもの 「年寄りは若者のために生きねばならない」 これは今は亡き我がエスペラント語師匠でアイヌ語研究者だった切替英雄氏が私に遺した言葉だ。 コロナ下で会えないうちに師匠が亡くなったと人から伝え聞いたが、今日もご自宅に電話しても繋がらない。もう家に行くしかないか……。 師匠より先に亡くなった奥さんの眞智子さんの言葉も私にはずっと残っていて、日本語教師として「先生」と呼ばれるようになってからはいつも 「今日、自分の言葉が学生の人生に大きな影響を与え
瀬戸内海の島から北海道に戻ってきて約二か月……。 冬はやはり寒い!アーンド今いる住処は湯舟浸かれないし寒いのがつらい。 で、どうしてるかというと、銭湯仲間のオタクと銭湯通いで仲良く背中の流しあっこをしている。 食事に関しては、島にいる時のように三食きっちり作ってないが、料理上手なお向かいさんちにお呼ばれして、各国料理をいただくことが多い。 お向かいさんは、イギリスに20年近く暮らしていて、世界各国旅行し、そこで食べた味を再現するほどの料理上手だ。 北海道に戻ってきて
かなり昔、ともだちの旦那さんがleccaの「おたくgirlsの宴」がまるで私みたいだと言ったのがきっかけで聞き始めたlecca。 確かに昔からマニアックなものに惹かれる性質でそんなことやって何になるの?と言われるようなことばかり熱中してやってきたっけ。 チェロケースをスーツケース代わりにして、北から南は沖縄まで旅してたしな。 もう「スタートライン」なんて私のテーマ曲だったね。 まさに自分も紙芝居師やったりもしてたので俺感半端ない。 この動画の3分47秒あ
一か月前、島から戻ってきた私は、年明けにはまた戻るつもりで、家主の友人の「戻ってもいい」の言葉に甘えて、衣類などを残して北海道に戻ってきた。 が、つい先日。 今宿借りしてる父の家の狭い玄関の二階の入り口の前が、積みあがるダンボールでふさがれている。 それは島から送り戻された荷物だった。 荷物を送ったのは、島でお世話になったお隣の人。 家主に代わって島の管理人だったらしい。 「だったらしい」というのは、私は友人夫婦がリフォーム中の古民家に今後来るゲストが住み
LINEの切れ目が縁の切れ目 私のLINEの返信は超早い。 仕事柄携帯で学生や卒業生の課題や質問対応をすることが多いし、合間には漫画読んだり携帯をいじっている時間が長いし、すぐ返さないと忘れちゃうのでとにかく早く返す癖がついている。 さらには中国の場合、基本即レスが基本。ちょっと返事できなかったら電話がきたり、こっちが怒っているとかんちがいされたこともある。 だから日本人のLINEの遅さには本当にびっくりした。 特に若い子。 「なるほど」とかたった一言に一
今回島には4月から10月18日までいた。 今回滞在の目的は、10月23日の日本語教育能力検定試験のための勉強。それが一番だった。 だがしかし、その間、中国の大学の給料が振り込まれている銀行口座が凍結されたことで給料入らなくなったり、そのためにバイト探したり、その一環で始めたぽこちゃで稼ぐどころかメンタル病んだり、恋してフラれたり、ウルグアイ人のマッサージの弟子になったり、まあ、色々あった。 実質勉強期間四カ月、無課金独学、初挑戦。 それでも現役日本語教師の意
先日ウルグアイ人の師匠の愛と平和のマッサージ修業に行ったら、同業者の偉そうなおっさんが来た。 はっきりいって私は偉そうな人間が嫌いだ。しかも弟子の私の前で師匠を馬鹿にするような態度だったので私は怒り心頭。 師匠は誰に対しても愛を持って接しなさいと言うけれど、 「自分を偉く見せようとする人間がイキッて周り巻き込んで戦争起こすんだよ!!!!!!」 とキレ散らかした。 そしてそれと同時に師匠の偉大さも再確認。だてに「愛」「愛」言ってないというか、師匠は一人一人に敬
マッサージLESSON初回 ウルグアイ人のマッサージの師匠からマッサージを教わり始めた。 その初日、自衛官の青年が来て、30分希望していたが、私の練習台になってくれるということで、教わりながらなので結局2時間半。 人の体に触れる機会などなかなかないし、最初は緊張していたけれど、体は多くのことを語っている。 触れるだけでその人の生き方が垣間見えてくる感じだ。それは体と体の会話で、言語化することが得意な私でもなかなかそれを言い表すのは難しいし、それに体の対話には
昨日は私の誕生日であった。 日付またぎで仲良しのポジさん(ポーランド人のおじさん)とドイツ人女性の友人にメールを書いていたので、ポジさんにチャットアプリのほうに「メール書いたから見といてくれよ」と送り、ついでに誕生日だと告げると、おしゃべり属性のポジさんの勢いが止まらず怒涛のチャットメッセージに加えてポーランドの誕生日の歌を歌ってくれた。私もポジさんの誕生日には毎年歌ってるのでお返しだろう。 で、その時の会話の内容が「豚は幸運を連れてくる」ってもので、まあ豚というか
誕生日の前後一か月ぐらい?不調になるというのがあるらしく、それは誕生日クライシスというらしい。 そういえば昔通っていたアジア雑貨の店の店主の女性がある時骨折していて、「誕生日が近くなると毎年怪我をする」という話をしていた。 怪我に限らずメンタル的にも不調になったりするのが誕生日クライシスというものらしく、年に一度のエネルギー調整みたいなものらしい。誕生日近くは大きな出来事が起こったり、新しく生まれ変わるための調整期間になるようだ。 私の誕生日は7月だけど、確かに
一月本来夏だけいるはずの島の古民家に居ついて年まで越してしまった。 古民家の主である友人一家も年末に来て、一家だんらんの年越しの混ぜてもらう。 元旦は徒歩数分のところにある海がちょうど引き潮で、緑苔むす岩場をどこまでも歩いた。 それ以来、今も、夕方の散歩コースとして定着している。 冬の古民家は寒いと散々聞いていたけれども、北海道に比べたらやはり大したことはなく、虫もいないのでむしろ快適に過ごす。 まあそれでも寒いことは寒いので、朝起きたらまず風呂。 土間でマツケンサンバ
朝起きてすぐ見たLINEで、元旦那が勤務先の大学の契約更新をしないことを知った。 もともと私は五年前、元旦那について中国に行き、ついでに仕事くれよという感じで、初等教育学部の絵の先生→観光学部の日本語の先生→日本語科の先生→日本語科の専任とポジションが変わってきた。 離婚した時点で、もう元旦那のいる大学は辞めようと思ったらコロナになり、外に出ないでできるオンライン授業は好都合だったので日本でずっと授業を続けてきた。同時に転職についてもずっと考えてきた。 しかし元