さらばヤドカリ島の日々
一か月前、島から戻ってきた私は、年明けにはまた戻るつもりで、家主の友人の「戻ってもいい」の言葉に甘えて、衣類などを残して北海道に戻ってきた。
が、つい先日。
今宿借りしてる父の家の狭い玄関の二階の入り口の前が、積みあがるダンボールでふさがれている。
それは島から送り戻された荷物だった。
荷物を送ったのは、島でお世話になったお隣の人。
家主に代わって島の管理人だったらしい。
「だったらしい」というのは、私は友人夫婦がリフォーム中の古民家に今後来るゲストが住みやすいようにという住み込み管理人のつもりでいたし、以前、東京の友人一家が外国生活の間、留守番管理宿借り生活をしていた時と同じような感覚でいたから、どうも隣の「管理人」さんの立場をよく理解していなかったし、ご本人も明確にされていなかったように思う。
人が住まない家は荒れる。
例えば水道も水を出していなければ配管がダメになったりもするし、何より人が済まない家というのは人の気がなくなり、とにかく一気にダメになる。
私は自慢じゃないけど「元気」だし、私がいるところには人も来る。
島でも私に会いにいろんな人が泊まりで来てくれたりもした。
※宿主の許可は取っている。
それこそ東京ヤドカリ生活の時の宿主の友人もちょうど帰国したばかりでわざわざ島に来てくれた上に、整理整頓の才能を発揮して土間をきれいに使いやすくしてくれた。
滞在中は毎日朝ごはんを作ってくれたり、ドイツから帰ってきたばかりなこともありドイツ料理を作ってくれたりもした。
台風がくるっていうんで、急いで色々回ったけれど、幸いまだ崩れる直前。友人が撮影したこの写真の後、雨が降り始めたけれど
その友人が去った直後、別な友人も来てくれた。
その時は台風で閉じ込められて島から出れなくなったりもしたけれど、大量のおみやげと地酒で楽しく過ごした。
この友人も古民家の掃除をしていってくれたりした。
私は宿主の友人夫婦から「みんなで作る家」というようなことを聞いていたし、私がこれまで渡り歩いたゲストハウスみたいなのが頭に浮かんだ。
だから共有で使えるものとかも残してきた。
中国で知り合った岡山の一家が泊まりに来たときに買った男物のサンダルも、今後男性がここを利用した時に土間で使えるようにと買った。
私は土間では下駄を履いていたが、下駄に風情を感じる人もいるだろうとそれも残してきた。
虫に刺されたり、筋肉痛になったり、いざっていう時にあったほうがいいと切に思ったムヒや湿布も置いてきた。マスクも置いてきた。
さらに洗面所の物はほとんど共有と思っていた。
ドライヤーも宿主の友人が共有にと送ってくれたものだったし、ゲストのために買った洗面道具やコップもあった。
それら全部送り返されたけど、結局ここでは使わないのでほとんど捨てた。
あっという間に40ℓのゴミ袋一杯になり、足りなくなって袋を買いに行ったぐらいだ。
送り返された物の中には蚊帳もあった。
北海道じゃ絶対に使わない。
これは、私が勉強机の周りや友達が来た時の布団のところに設置したものだった。
思い出深い蚊帳も捨てた。
この机の上にある筆記用具とかマジックも送り返されてきた。
子どもなどが来た時に絵を描きたがったということもあり、そういうことが今後もあるかもと思って置いていったものだった。
写真のバランスボールも誰か運動不足の時に使えばいいと思って置いてきた。なぜならこの家にもバランスボールはあるからだ。これは捨ててないけれどしまい込んだ。
送り返されたものを一つ一つ捨てながら、なんだか悲しくなっていた。
思い出の一つ一つが失われていくようで……。
それと同時に物を捨てたがらない父の気持ちもよくわかった。ましてやそれを捨ててもいいかと私に聞かれて怒った気持ちも。
他人にとってはそれが不要なものでゴミかもしれないけれど、本人にとっては大事な思い出で、それを人にいらないもの扱いされることは、とても悲しいものなのだ。
もちろん、送り返してきた相手はゴミとは思ってないとは思う。それが証拠に一つ一つ丁寧に梱包してあった。ただその人にとって不要で邪魔なものだったというだけだろう。
私が捨てておいてくださいと伝えたものまでなぜか送り返された。
もともとその古民家にあったもので私のではないマグカップや服やタオルや洗濯ばさみまで送られてきた。
結局すべてが不要品ということで、私のだろうが私のじゃなかろうが同じということだろうか。
遠方に住む宿主の友人夫妻は私の拠点の一つになればと言ってくれていたが、もう長期滞在は難しそうだ。
まあ、わけのわからない宇宙人みたいのに隣に住みつかれたら嫌だろう。
年末は私と宿主の共通の友人が滞在することになっている。
その友人のために残してきたものも全部送り返されたので、今日これから
友人が直接受け取りに来ることになっている。
これだけははっきり言えるのは、私の島でのヤドカリ生活において、そのお隣さんには非常に世話になったということ。
車を貸してくれたり、現金がない時は食べ物を差し入れてくれたり、シロアリが発生した時にも色々助けてもらった。
できれば嫌われたくなかったが、まあ、私のこと苦手な人は苦手と思う。
ただ、ウルグアイ人の師匠や常連の奥さんや上のばーちゃんや整体の先生や絶対に帰ってきてと言ってくれてる人もいるだけに、やはり島には戻りたい。
でも師匠や畑のボスや上のばーちゃんが喜んで、また食べたいと言ってくれた、プリン名人直伝のプリンはもう作れないんだな……。
また戻ったらみんなに配ろうとせっせと集めたプリンの容器も全部送り返されてきた。送り返されてもここでは土間にあった立派なオーブンレンジみたいのがないのでプリンが作れない。
宿主である友達の好意に甘えてゲストがいない時に住み込み管理がてら拠点の一つになればと思ってきたけど、どうもそうはいかないらしい。
わしのヤドカリ生活……やはり、人には理解されぬ。
じゃあ、どこかに住処を作る?
デスヨネー
そもそも私が家に固執したくないってなったのは、家庭環境が背景にある。「お家」が人を縛り付けて、自由を奪うという観念があるのだ。家にしがみつくとろくなことがないことを知っている。
大体、「普通はこうだから」とか「みんなこうしているから」とかの観念は私にはないし、その限られた範囲で「正しい」とされていることを常識として、正しいことをするのが正しさで、正しいことをしている自分を示すことが正しく生きることだなんて、私はちっとも思わない。
大事なのは自分がどう生きたいか、それだけだ。
ただ、そこを居直り切れない豆腐メンタルだから、やっぱり時々は凹む。
そんな時、昔、じゃがいも農家にヤドカリしていた時にお世話になった家のおばさんから突然LINEに連絡がきた!
え?なんで?なんで連絡先知ってんの!!!!
しかも、私は島でおばさんのことをよう思い出していた。
友達が日本一の男爵と呼ばれるそこの農家のじゃがいもを私に送ってくれて、私は島のお世話になった人に配ることができたのだ。
あの農家でのヤドカリ生活忘れない。
星の王子様の髪色みたいな黄金の稲穂を眺めながら、ただ塩で握っただけの新米のおにぎりを食べた。
世界一おいしいごちそうと思った。
赤いトンボが秋の青空に跳んていた。
世界一幸せだと思った。
島でみる夕日もきれいだったけど、だだっ広い北海道の畑の山の向こうに沈んでいく夕日もきれいだった。
空の向こうで日が暮れて夜が始まるのだけど、反対側はまだ昼で青空が広がっている。
北海道の空は広い。
あの頃も自分はよそもので、壊れた日傘をさしながら、おにぎりをもって畑をふらふら散歩したりしていたものだから、裸の大将みたいだってことで、女清と呼ばれていた。
あの時も、「よそ者の変わり者」だった私だけれど、私が風呂入るから水道代がかかるようになって、水道管漏れかと業者の人が見に来た時に
「家族が一人増えたんだ」
とおばさんが言ってくれたのがうれしかった。
「ここにずっといたいなら、仕事紹介してやるぞ」
と農家の人たちに言われてちょっと困っていた時も、
「この子は一か所にいるような子じゃないべさ、女清だもんなぁ」
と笑って言ってくれた。
そのおばさんが「どこにいるの?」と探してくれた。
最後に会ったのは元旦那を紹介しに連れて行った八年前か。
それから中国に行って、コロナになって、しばらく会っていなかったし、おばさんがLINEやってるのも知らんかった。
島から送り返された荷物で悲しくなっていたので、この連絡は嬉しかった! 絶対会いに行こう!と思った。
「待つてるよ」(「つ」が大文字だったw)
よし、北海道戻ってきたんだし、おばさんに会いにいくかぁ!
なんつーか、荷物全部送り返されたことも、「次の場所に行きなさい」って天のメッセージかもしれん。
で、最近、ほんと過去の縁あった人と再び繋がりだしたのも、今のうちに会っておけってことなのかもしれん。
だって実際、また一つ居場所がなくなった気がして、荷物送り返されてきてからというもの、私は次の行き(生き)場所を探し始めたからな。
まあ、でもその前に島には戻りたい。
やり残したことはやっておきたい。
それにしても、ほんとヤドカリは一瞬の夢だな。
友達が整理してまとめた土間のものも送り返されたし、自分でせっせと作った蚊帳スペースもなくなったし、ほんと砂のお城だな。
あ、なんか子どもの頃聴いたなつかしい歌の歌詞思い出した。
愛は~まるで砂の城ね~
できた途端、波がさらう~
少し悲しいけど 想い出という名の 光る砂が残るわ
みたいな歌詞だったかな。
そう、私には想い出と縁がある。
黄金の稲穂の海と同じぐらい、島の海もきっといつでも思い出せる。
黄昏時の心地よい孤独を感じた空と海のグラデーション。
夢幻の世界と繋がる瞬間。
また戻りたいな、あの場所に。
でもその時には私はもう次のヤドカリ場所を目指しているだろう。
そこへと押し出してくれたことを感謝できる日がきっと来る。
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