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オンライン授業つらい

もうほんとどこかに吐き出したいからここに書くし、誰も読まなくてもいいんだけれど、ほんとつらい。

私は中国の大学で日本語を教えている日本語教師だ。
といっても、コロナになってから、2020年から今に至るまでずっと日本からオンライン授業をしている。

オンライン授業のいいところは、どこにいても授業ができること。
だからこの三年間は、瀬戸内海の島の古民家から授業したり、地元北海道で授業したり、大阪行ったり、合間にどっかでバイトしたり、本当に自由だった。

でももうつらい!

顔も見えない授業つらい。
相手の反応がわからなくてつらい。
学生との距離が遠くてつらい。

会えないのがめっちゃつらい。

彼女はかつての日本人留学生

今年になってやっと中国に戻っていいと許可が出た。
しかし、私のビザ申請が札幌領事館ということもあり、なかなかうまくいかず、そして今に至る。※これに関しては中国noteのほうに書いてある。
中国ビザがとれない!!!!!!|lunzi (note.com)
札幌領事館で中国ビザを取る方法|lunzi (note.com)

大学が完全にロックダウンですべてオンライン授業の時はまだよかった。
みんなもまだ私の授業だけは楽しんでくれていた。

でも、今やオンライン授業しているのは日本にいる私ぐらい。
当然、対面授業とは差が出てくる。

もはや四年生も一度も私の授業を経験することなく授業が終わった。

私の授業は参加型授業であり、教えるというよりは楽しむ。
授業はエンタメ、楽しくみんなで作り上げる内容。
だから教案も基本ざっくり。
その場の流れ、空気、学生が求めているものを察知しつつ、どんどん変えていく。
飽きさせない、寝させない、学生が主体、共に創造する授業。

そのために時には机も教科書も必要とせず、体で体感する。
他クラスも巻き込んだ授業内借り物競争、突撃インタビュー、大規模ゲーム大会、模擬フリマ、創作カルタ大会、本当にアイディアで色々やってきた。

その効果もあってか、私は全学部対象一万人が選ぶ授業評価ランキングで、外人教師第一位、中国人教師含めた総合ランキングでも二位だった。
(※一位は舞踏学部の先生で、踊る教師に負けた……)

でも、もういまやかつての人気も凋落したと感じている。
何より、今の学生は私の対面授業を知らない。
ネット授業には限界がある。
学生たちと交流することをモットーとしていた私のやり方が通用しない。
本当につらい。

在りし日のクリスマス授業。なぜか内容はトイレ笑

私生活でもほとんど一緒だった。

かつての入り浸りメンバー

この頃の学生は、今も家族同然で、今年とかもわざわざ東京での仕事のついでに私に会いに来た男子もいるし、いまやお母さんとなった学生も毎回娘の写真を送ってくれる。

私は日本語専攻の学生以外も教えているし、私が教えたことをきっかけに日本語の道に進んだ学生も何人かいる。

そんな彼らもやはりみんな実際に対面授業をした学生ばかりで、たった一学期しかないような授業でもみんな私を忘れない。

ところが今はどうだろう。

ネット授業になってからは本当に学生が遠い。
毎回無人島で「いますかー?」「聞こえますかー?」と叫んでいるような授業の虚しさ。

私が戻ることを待っていたたった半年だけ対面授業した学生たちももう卒業した。

卒業の時には必ず何人かの学生からお礼があるが、もはやもうそれすらもなくなるだろうってぐらい、いまや私の存在は希薄と感じる。

ある日突然教壇にケーキがあった頃

今、日本語のオンライン教師もどんどん増えていると聞く。
もちろん私のように毎回30人ぐらいの顔も見えない学生を教えているわけではないんだろうし、やりやすさもちがうとは思うけれど、楽しいのか?

私も個人的にネットで教えたことはあるけれど、対面授業で味わった充実感とは比べ物にならない。

まだ言葉もわからない時、いきなり日本語なんてまったくできない50人の前で授業させられたこともあった。

全学部対象の選択授業では、漫画オタクの本領を発揮し、他校から聴講生も合わせて100人近くになることもあった。

その時、日本語科の学生たちが私の優秀者通訳として手伝ってくれて、そこからさらに日本語力を伸ばし、卒業後に通訳の仕事に就く者も出た。
(当時の私がよく言った日本語は「日本語科なら私を助けろ!」だ笑)

観光学部の学生たちも、私と交流するために熱心に日本語をがんばった。彼らは先生が変わった時点で日本語に対する興味を失ったが、それでも今でも私を思い出し連絡をくれる学生もいる。どんなに日中関係が悪化しても、私と過ごした日々は色あせることはないという。

ああ、もういいんじゃないかな。

それだけでも、私が中国で日本語教師やった意味もあったんじゃないだろうか。

もう本当につらい。

ある時作文を書かせたら、何人もの学生がネット授業への不満を訴えていた。一人で話し続ける私を道化のようだと書いた学生もいた。正直な感想だ。

一年生のころはまだ私に会えることを期待する。
二年生になるとネット授業に飽き始める。
三年生になると完全に捨て授業にして宿題すらしない学生も出てくる。

今の新入生にいたっては、私の中国語が下手なことをネットで公開処刑にまでした。それでこちらが傷つくという自覚もなく。

はっきりいって、中国語ができるとか日本語がわかるとかそんなこと関係ない。

私が学生たちにいつも言ってきたこと。

それは

「理解しようと努める態度や姿勢が何より大事なんだよ! たとえわかり合えなくても相手をわかろうとする心。それはすべての言語を超える!」

ということだ。

実際、中国語なんて今よりもっとわからない時のほうが、学生たちは必死に私のために日本語を覚え、こっちの言うことに耳を傾けてくれた。

それがネット授業になると、まるで見えない冷たい壁があるかのように、自分の声だけがむなしく反響。中には反応してくれる学生ですらも、作り物みたいで、そう思う自分が情けなくて、悲しくなる。

こんなにもビザ申請うまくいかないのも、一つの時代の終焉を意味しているのではないかと思う。
もう自分はオワコンな感が否めない。

自分を発揮できないのが辛い。

多くの学生を巻き込んで、誰もが私の授業だけは楽しみだと言っていたあの頃。
授業があっという間に終わって、終わった後の熱を帯びた活気の余韻、充実感。授業後のビールはうまかった……。

もうさんま御殿と思って会話授業はやってたし、とにかく教壇にずっといて一人しゃべってるような授業ではなかったし、何より学生たちの反応が生で感じ取れた。

彼らのあのキラキラした目、楽しそうな顔、教室の笑い声、活気、拍手と熱狂。あれが忘れられないからこそ、今のオンライン授業が本当につらいんだと思う。

まあ、しかしそれももう遠い昔のこと。

人には向き不向きがあり、もしかしたら逆に対面授業が苦手とか大人数相手が苦手という日本語教師だっているかもしれない。

あと特に学生の反応は必要としないとか、学生の自主性や成長とか興味ないって日本語教師だっているかもしれない。

オンライン授業だって、コロナ期間は学生たちの心の慰めになってたようだし、やりようによっては私もうまくやれるのかもしれない。

まあ、でもなんにしても今つらい。

つらい、つらい、つらい。

こんなところで吐き出しても仕方ないんだけど、つらい。

そこまでいうほど私は嫌われてるわけじゃないんだろうし、実際会ったことなくても仲良くchatするような学生は今も何人かいるし、こんなスタンプも学生の間では流行っているらしい。

さらには授業で紹介したちいかわが流行

まあ、だからもしかしたら私が闇落ちしすぎなのかもしれないのだけど、最近はオンライン授業が終わる度、今日の授業も反応なかったなとか、聞いてないのかもな、どうせゲームでもやってんだろとか、疑心暗鬼になって、勝手に辛くなっている。

そんなわけで、今朝の授業後も一人でしくしく泣いていたけれど、なんか書いているうちに落ち着いてきた。

日本語教師になりたいって人は一体何をもってなりたいと思っているんだろう。
私はなりたくてなったわけでもないが、今ならはっきりと言える。
私は学生と直に交流したい。オンラインでも顔も見えないのは嫌だし、可能なら会う機会もほしい。

実際、オンライン授業でしか知らない学生は、日本に留学の機会を得て、わざわざ会いに来てくれた。
やはり実際に会うと親しみがちがう。
それまでの印象ともまたちがう。
一気に距離が近づく。
もともと私は他人との距離感が近いし。

日本の日本語学校はそれほど学生との距離感も近くないという。
実際、日本の日本語学校に行っていたバイト先のロシア人が困っていた時、助けたのは私だ。
ほかにも今日本にいる中国人学生も何かあれば私を頼る。
これが現状。

じゃあ、また中国に戻って日本語教師続ける?

正直それももう今はわからない。
こんなに戻れないならもうおまえは不要って言われてる気もする(天に)。

じゃあ、日本語教師辞めちゃう?

まあ、それならそれで仕方ないんだろうか。
適材適所ってのもあるし。
そもそも私が中国に渡って日本語を教えてってのも、需要と供給があった以上に縁があったのだ。
私は確実にあの時彼らに必要とされていた。
私との出会いで人生すら変わった者も少なくないのだから。

でも今はもうそれがないんじゃなかろうか。

私は日本語教師にこだわっているわけでもない。
ただ自分を存分に発揮して生きたいだけだ。
この仕事は好きだったし、一番長続きしたほうだけど、今このオンライン授業の状況がつらい。

つらい、つらい、つらい。

じゃあ、辞めちゃえば?

と誰かがコメント寄せてている。
私の心の中のコメ欄で。

それも含めて考えて、毎日悶々としている。

それでも授業は手抜きしないし、少しでも何か学生たちにとって何か得られてよかったと思えるものをと思いながら準備する。

そして授業でやりきった後は、顔も見えない反応もわからない虚しさに包まれる。

期待しない、過去と比較しない、ただ淡々と淡々と……

そんなの自分じゃないなんて、それすらももう考えない。


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