LINE封印
LINEの切れ目が縁の切れ目
私のLINEの返信は超早い。
仕事柄携帯で学生や卒業生の課題や質問対応をすることが多いし、合間には漫画読んだり携帯をいじっている時間が長いし、すぐ返さないと忘れちゃうのでとにかく早く返す癖がついている。
さらには中国の場合、基本即レスが基本。ちょっと返事できなかったら電話がきたり、こっちが怒っているとかんちがいされたこともある。
だから日本人のLINEの遅さには本当にびっくりした。
特に若い子。
「なるほど」とかたった一言に一日かかったり、数日は未読とか。
もう何の話だったかこっちは忘れてるし、そんなもん秒で返せやといつも思う。
あまりにも日本と中国がちがうので、授業で扱ったこともある。
とにかく相手のペースに合わせて送るとか、文字量少なめにとか苦手で、そもそも恋の駆け引きができない。
恋愛に限らず、友だちとかでも未読既読問わず返事がこなければ、優先順位が低いか興味がないんだなと思ってしまう。
ましてやずっと連絡もしてこないなら縁が切れたとすら思う。
でも一体LINEがない時って一体どうしていたんだろう?
人と人の付き合いってどうだった?
LINEは簡単につながる、そして簡単に切れる。
じゃあLINEがない時ってどうやって相手との距離感を測っていたんだ。
そもそもLINEなんかで絆を確認できるのか?
そんなことを思いつつ、反省する出来事があった。
会わないのに連絡をする意味はない
私には権藤さん(仮名)という年上の女性の友人がいる。
出会ったのはもうかなり前。
私はその時、悪徳駄菓子屋で働き、地方回りで現地に置き去りにされ、給料も払われず人間不信に陥り、ヤクザみたいなオヤジから身を隠すために某工場で働いていた。ここには訳ありの人が多くて、いろんな人と知り合いおもしろかった。
※ちなみにそこで知り合った一人は世界を股にかけるワイルド姐さんで、今日も突然インドにいるとLINEがきた。
私は目的を見失ったり、メンタルやられたりすると恋をしやすく、その時もワイルド姐さんが「おまえ正気か」と目を疑うぐらいの男に片想いしていた。
恋なんてアルコールやドラッグみたいなもので、辛い時ほどはまりがち。
まあ私が恋をするときは大抵頭がおかしくなっている。
で、その時もまあ一人舞い上がっていた私は、ロッカーでたまたま居合わせた人に
「ちょっと~きいてくださいよ~私いま恋してて~」
とそれこそ酔っ払いが無差別に絡むがごとく話しかけた。
その被害にあった人こそが権藤さんだった。
あとから知ったことだけど、あの時の権藤さんは、人間不信というか、人生のどん底というか、絶望しきった状態だったらしい。
工場でもなかなか人と打ち解けられず、つらい毎日だったそうだ。
そんな時、私に話しかけられてうれしかったという。
私は私で、権藤さんの喋り方が面白かったのでよく物まねをしていた。
すると、おばちゃんたちがその物まねがあまりに似てるというので、本人にも注目するようになり、気づけば権藤さんは人気者、周りに溶け込むようになっていた。
なぜかこのことを権藤さんは恩に感じていて、一番つらかった時に救われたとか、工場ではいじめられないで済んだとか、私といることで世界が変わったと言っていた。
でも実は後々救われたのは私の方だった。
権藤さんにとって私はヒーローだった
だから私がメンタル腐っているときも、どんな時でも権藤さんは私のことを信じ続けて、励まし続けた。
権藤さんのために書いた童話は、エスペラント語でヨーロッパの文芸誌に初めて掲載されたし、見知らぬ外国人が励まされたと言ってくれたりもした。
父が脳梗塞で倒れた時は、半身不随でリハビリもやる気が失せていた父の手をマッサージしてくれて、その時少し動いたことで、父はリハビリにやる気を出した。
祖母が死んだときは、遠いところを自転車で汗だくで真っ先に来てくれた。あの時は葬式も全部一人でやらなきゃなくてしんどかったけれど、あれでかなり勇気づけられた。
権藤さんは携帯を持っていないし古風な人なのでいつも手紙をくれた。すばらしく字が綺麗で、手紙でもやはりいつも私を励ましたりしてくれた。
そして時々は電話をした。
そして時々は会った。
でもここ数年はまったく会っていなかった。
特に私が中国に行ってからは、携帯もパソコンもない権藤さんとはなかなか連絡もとれなかった。
そしてコロナの前ぐらいから電話してもなかなか権藤さんが会ってくれないことに気がついた。
いつも「暖かくなってから会いましょう」とか「春になったら会いましょう」とか言うけれど、暖かくなっても春になっても別に具体的な約束はない。
私が家の近くまで行くと言っても、会おうとはしない。
それが三回以上続いてくると、こっちもだんだん「会いたくないんじゃないか」と思うようになっていった。
会える距離にいて会わないのに、連絡をする意味ってあるのか?
むしろ会わなくていいって関係で友達って言えるのか?
そんな話を先日別の友だちの家でしていた。
すると翌日、なんと、権藤さんから三年ぶりぐらいに電話がきた。
その時私は寝てたので、電話の音を聴きながら、権藤さんからだったりしてなんてぼんやりと思っていた。
すると本当に権藤さんだった!
権藤さんはその前日、なぜか私に絶対連絡しなければ!と思ったらしい。
すっごいシンクロニシティだ!
LINEは手段で目的ではない
権藤さんは病院で働いている。
コロナ前は、仕事がきつくて毎日疲れて気力もなかったらしく、コロナ後は職場命令で「人に会うな!」と言われて誰にも会えなかったらしい。
ご両親を看取った権藤さんは一人で暮らしている。
誰にも会えなくて、大好きな習い事のタップダンスも行けなくて、コロナのクラスターがあったり、病院は緊迫してるし、この三年は孤独に病んでつらかったらしい。
疲れて家に帰っても一人で、話し相手もいないし、一人でご飯を食べながら、時々は私のことを思い出していたと言う。
そこまで聞いて私は激しく後悔し、ぶわぁっと涙が溢れてきた。
「権藤さんがそんな思いでいたなんて! もっと私から連絡すればよかった! うわああああああああああ、ごめんなさあああああい!!!!」
思えば、私が辛い時は、権藤さんは自分の状況がどうあれいつも励ましてくれた。
そして権藤さんは言う。
「私があなたのことを嫌いになることなんて絶対にないですよ。いつもいつもどうしているかと思ってましたよ。元気にしてるかなぁと。こっちこそごめんなさいねぇ」
LINEなんてしてなくても私と権藤さんの心は繋がっていた。
そもそもそんなものなくたって、虫の知らせか何か知らないけど、私がもうほんといいやってなった途端、つなぎとめるかのように電話をしてきたのだ。
この時代、何でも簡単にできるからこそ、人は五感を鈍らせたり、大事なことを見失いがち。
携帯だってない頃は、人は待ち合わせの時間や場所に対してもっと大事に考えていたはず。
でもだからといって、こんなものないほうがいいとも思わない。
実際、私が東京に宿借り生活してた時、会おう会おうとして会えなかった人は、実は食事もとれなかった状態で、携帯のチャットだけが連絡手段だったけど、その人の死の直前まで言葉のやりとりができたのだ。
最近会った友達も、同級生が末期がんで自宅療養しているとき、毎朝彼女に「おはよう」とLINEし、彼女の「痛い」という声を常に受け止めていたという。「おやすみ」は伝えられなかったと言っていた。だから毎朝必ず「おはよう」とLINEしたと。それがいつ返ってこなくなるかと思いながらも毎日送り続けたそうだ。
その時のLINEは確かに二人を繋いでいたし、その同級生を日常につなぎとめていた糸のようなものだったと思う。
私も末期がんで亡くした友人とずっとやりとりしていたからわかる。たわいない内容のやりとりでも、それはその人にとって、自分を日常につなぐ大切なものだった。
このように時にはLINEは人と人を繋ぐための大事なツールにもなり得る。
ただし、それはあくまで手段の一つ。
LINEが絆のバロメーターになってはいけない。
LINEで友情や愛情は計測できない。
そんなわけでLINEはもう封印~
完全封印ではないけど、たいてい私のLINE内容くだらないし、何か書きたくなったらここに書こう。
幸いほとんど誰も見てないし・・・と思ったらですよ!
なんと前回の記事、貴重なたった一つのスキをくれたのは、私の推しじゃないですかぁああああああああ(感涙)
ほんと魂の叫びは誰かには届いてたわけで、しかも私の荒んだ心にこの一つのスキ(しかも我が推し)にどれだけ励まされたことか。
ほんとね、数じゃないと思うんですよ、LINEもnoteもね。
どれだけ反応したかとかどれだけやりとりしているかじゃないんですよ。
既読無視未読無視スキなしで世界中に無視された気になってんじゃねーって話ですよ。
LINEがマメな男ほど浮気してるか遊んでるって話ですよ。
突然連絡こなくなったからって、私に魅力がないからだとか、蔑ろにされてるとかそんなこっちゃないんですよ。
大体私は友達のLINEの返しが遅いので、そのうちイマジナリーフレンド作って、自分で友達が言いそうなことを打って、勝手に励まされたりアドバイスされたりの経過を経て自己完結で終わる。
まあ、それぐらい気が短いし、返事が待てない。
だったら私みたいなのはもうLINEするなって話。
ほんとそれなー
LINEで繋がってようが繋がってまいが、縁がある人とは繋がり、繋がらないものは繋がらない。
実際、携帯も持っていない権藤さんとは切っても切れない縁がある。
そういう縁を大事にしよう。
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