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年寄りは若者のために生きねばならない

師匠夫婦が遺したもの


 「年寄りは若者のために生きねばならない」

 これは今は亡き我がエスペラント語師匠でアイヌ語研究者だった切替英雄氏が私に遺した言葉だ。

 コロナ下で会えないうちに師匠が亡くなったと人から伝え聞いたが、今日もご自宅に電話しても繋がらない。もう家に行くしかないか……。

 師匠より先に亡くなった奥さんの眞智子さんの言葉も私にはずっと残っていて、日本語教師として「先生」と呼ばれるようになってからはいつも

「今日、自分の言葉が学生の人生に大きな影響を与えるかもしれない」

と毎朝自分に言い聞かせたという元教師だった奥さんの言葉を忘れたことはない。

 いつも私の原稿を見てくれていたご夫婦だったが、今は私が学生たちの作文を真剣に添削し、時には光るものをみつけ、才能が伸びることを喜び、あの頃自分に対して感じたのであろう二人の想いを、今まさに自分が味わっているという状況だ。

 師匠夫婦と過ごした数年間は短くはあったが、私の生き方に大きな影響を与えてくれた。

 特に自分が年を取ってくると、「若者のために生きる」といった師匠の考え方がしっかり自分の中に根付いているのを感じるのだ。

だから私はお金を貸した

 二年ほど前、バイトで一緒だった女子に私はお金を貸した。
 コロナ下で、彼女は同棲した男と共に困窮状態で、ストレスで体にも不調をきたしていた。
 当時の彼女は色々と事情もあり、かなりのメンヘラ状態で、男と別れるのが一番いいのにと思いつつも、それが難しいことも自身の経験からよく知っている私は静観していた。

 しかし、体調を崩して働くこともできなくなったと言われたら介入せざるを得ない。

 当時彼女は滞納する家賃が払えず、そのお金を貸してくれる人を探していた。親兄弟も助けてくれず、彼女はまさに崖っぷちだった。

 正直、家賃滞納に関しては、同棲するなら二つも部屋いらないのだから早く自分の部屋引き払えといったのにそうしなかったのだから、自業自得と思っていたが、血尿出てるのに病院もいけないという状況は見過ごせない。

 私は、自分があげてもいいと思えるぐらいの金額を彼女に貸した。
 それは私自身、当時ヤドカリ(宿借り)していた島で、何か困ったことがあったら使えと従兄からもらっていたもので、本来なかったお金ということもあり、もし返してもらえなくてもそれはそれでいいと思った。

 私はお金を貸すときはあげてもいいと思う気持ちで貸す。
 もし無理してまでそれをやれば、返ってこなかった時に相手への恨みが残るからだ。

 とにかくその時は一刻も早く彼女を病院に行かせたいという気持ちがあった。
 人生失敗はいくらでもあるし、その度立ち直ることも可能だと思うが、それは健康であってこそ。健康だけは買えないし、遅くなると取り返しがつかなくなることもある。

 そう思ったことも理由だが、実は一番大きいのは、彼女がその時まだ未成年で19歳だったということだ。

 若い頃、私は多くの人に助けられた。
 だからこそ、本当に困ったときに助けてくれる人が一人でもいたかどうかでその後の人生観さえ変わるということをよく知っている。

 子どもの頃や若い頃に信じられる大人が一人でもいるかどうかで人間不信になるかどうかも変わってくる。

 実際、私は定期的に人間不信に陥ることもあったけれど、そのたびに、助けてくれた人の存在がいつも心の暗闇にぽっと明るい灯をともす。

 おそらく彼女はまだ始まったばかりの人生の中でも、その時かなりの苦境に立たされていた。だからこそ、私が自らお金を貸した時、心から感謝した。

 私はその後はあまり自分からは彼女に連絡はしなかった。
 なぜなら、これも自分の経験だが、お金を借りた相手にな何かしらの負い目を感じることもあるからだ。その相手と会う度に、早くお金を返さなきゃと思うかもしれない。
 そうやって焦って充分に回復しない状態で働きに出るなんてことがないように、私は自分からはあまり連絡はしないようになった。

 でも定期的に体の状態を聞いた。
 何か悩んでないかも聞いた。
 それは私なりに、「絶対見捨てない」というサインのようなものだった。

 その彼女と昨日二年ぶりの再会を果たす。

年寄りは若者を肯定しろ

 二年ぶりに会った彼女は前よりも元気になっていた。
 今は毎日早寝早起きをして、ゴミ収集の仕事をしているという。
 無職になった彼氏と一緒に毎日がんばって働いているらしい。

 働き始めたのは12月。
 それまでは体の不調を繰り返しながらも、単発の仕事で色々なことをしたらしい。そんな中で助け合って生きてきたからか、彼氏とは恋愛というよりはもう家族のような感じで、すでに長年連れ添ったかのような落ち着きがある。

 やっと仕事が続くようになり、少し安定し始めて、すぐにお金を返してくれたんだろう。

 私たちはまた以前のように楽しい時間を過ごした。

 早寝早起きの規則正しい生活と、体を動かす仕事ということで彼女はすっかり健康的になっている。

 何より直接人の役に立っていると実感できる仕事だ。ゴミ出しのお年寄りに「いつもありがとう」と言われたり、小学生に「おはよう」とあいさつされるのがうれしいらしく、彼女は飲食店でアルバイトをしていた頃より楽しそうに見えた。

「でも若いのにこんな仕事もったいないとか周りの人に言われることもあります」

と彼女は言ったが、私はそうは思わない。

 それこそ師匠の奥さんが晩年言っていたことだが「人は人の役に立ちたい」という気持ちを持っている。
 
 給料や肩書きが良いとされる仕事よりも、よほど直接感謝されてわかりやすく人の役に立っていると感じられる仕事の方、、充実感があることもある。

 それにゴミ収集の仕事をしていた別の友だちに言わせると、かなり体力も使うし年取るとかえって辛いとのこと。若いからこそ楽しめて、充実感も得られているのだろう。

 ある程度世代が上の人は、ゴミ収集や掃除夫などをどこか汚れ仕事のように見ているけれど、若い子はもっとあっけらかんとしたところもあり、彼女は気合の入ったネイルで、おしゃれに楽しくやっている。

 私が年長者として若い子たちにできることの一つが、彼らが選択した道を年寄りの偏見や固定観念で批判せず「いいんじゃない?」と肯定することだ。

 自分の失敗談や学んだことは伝えるけれど、相手にああしろこうしろと言わないようにしているし、どんな選択や判断をしても、本人がそうしたいと思うことなら背中を押して応援するようにしている。

 そして失敗したとしたと絶望する時も、

「それは自己責任で得られた成果で経験という宝。人生は経験の積み重ねなのだから、豊かになったということ」

と言っている。

 時代は必ず変化するし、年をとるということは、どんどん旧時代の人間になっていくということ。新時代の人たちに旧時代のやり方を押し付けることに何の意味があるのかと思ったりもする。
 歴史は語り継ぐべきものとは思うが、そこから何を選択し、どう時代を作るか、そこからは、若い人たち自身が決めることなのだ。

受け取ったものを与えるのみ

 私は若い人に圧倒的に足りていないと思うことの一つが、「人の役に立った経験」「感謝を受け取る体験」だと思っている。

 以前、地下鉄で席を譲ろうと立ち上がった若者に対して「けっこうです」と断った年寄りの姿を見たことがある。

 自分は若いと言いたいのか遠慮なのかは知らないが、一度立ち上がった手前、その若者もまた座りにくく、そのままどこかに行ってしまった。
 気まずい思いもあったのだろう。声をかけるのに勇気もいっただろうに、かわいそうにと思った。私がその年寄りと同じぐらいの年齢になったならば、「あらあら私が座ろうかね」と図々しくスライディングして代わりに座ってこう言う。

「ありがとう! 本当にありがとう! 足が痛いから助かったよ」

 全力で彼のした行為が素晴らしく正しいものであると肯定する。

 それを見たほかの若者ももしかしたら同じような機会に同じことをするかもしれない。誰だって人に感謝されたい気持ちはあるし、自分のしたことが誰かの喜びになるなら、こんなにうれしいことはないのだ。

 これもまた私は師匠から受け継いだものかもしれない。
 本当にちょっとしたことでも、師匠は満面の笑みで大げさに喜ぶところがあった。

 一時期、師匠が勤務していた大学の男子学生が、師匠の家に住み込んで大学に通っていた時があった。

 彼の名前はカバちゃん。あと少しで卒業といったところで、学費が払えなくなり、大学を中退しようとしていたところを、師匠が家賃食費無料で自宅に住み込ませた。

「うちの書生のカバちゃん。書生が住んでるんだぞ!かっこいいだろう」

みたいなことを師匠は嬉しそうに言っていた。

 師匠のおかげでカバちゃんは大学を中退せずに済んだのだが、師匠は家事をやってくれるカバちゃんに逆に感謝して、いつも彼がいてくれることの感謝を私にも本人にも伝えていた。
 すでに家を出た子どもたちと変わらぬ年齢の子が住んで、本当にうれしそうだった。

 しかしカバちゃんの卒業後、彼と連絡がつかないと師匠はいい、心配で彼の地元の職場まで会いにいったのだが、どうも希望していた仕事には就いていなかったか何かで、色々嘘もあったらしい。

 この辺の詳細はよくわからないし、もう忘れたから何とも言えない。もしかしたら彼自身、何らかの社会での挫折を味わいつつ、不甲斐なくて師匠には言えなかったのかもしれない。

 ただいずれにしても、そんなこと気にしたり咎める師匠ではなかったし、何より師匠が心配しているのに連絡もしないのは少し薄情だなとは思った。

 さすがに師匠もこの時はがっかりして怒ったり嘆いたりはしていたけれど、わりと師匠は毎回このパターンがある。それでもやはり若い人のために何かしたいという情熱のようなものは消えないし、自分がしたことも後悔はしない。

 正直私も師匠にとっては良い弟子だったかどうかはわからない。図々しく酒やごはんをたかったし、悪ふざけもした。

 でも「てめぇ!このやろ!」と言いながらも、一緒におもしろがってくれたのもまた師匠だ。

 師匠との思い出は、昔のブログにまとめて冊子にもした。
 死んだら思い出しか残らない。

 でも確実に受け取ったものがある。  
 その受け取ったものは自分も同じように与えるのみと思っている。

 死んだら肉体も金も何も残せない。
 でも誰かの心に何かを残した時、自分が誰かの人生の一部となって、その生き方が宿ることはある。

「年寄りは若者のために生きねばならない」

 この言葉は、決して一方向的なことを示すものではない。

 世代は交代していく。
 終わりゆく者が始まりゆく者たちに人生を繋げていく。

 受け取ったものを同じように受け取ってもらえるとは限らない。
 与えても得られるものはないかもしれない。

 それでもやはり惜しみなく与えていくという生き方を私は師匠から学んだ。

 そして植えついた種は、年を経るごとにどんどん育ち、多くのものを実らせて、今また種を蒔いている。

 師匠はいない。
 私もいずれはいなくなる。

 それでもどこかで同じ種が育つこともあるかもしれない。

 だからこそ、年よりは若者のために生きねばならない。
 老いていくほどに身近に感じる思い出の師匠のように。

 

 

 

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