八岐屋ともく

詩を書いています。詩のようなものも書いています。詩であれと祈っています。自称、自由詩で…

八岐屋ともく

詩を書いています。詩のようなものも書いています。詩であれと祈っています。自称、自由詩です。全体、もしくは一行が、何かしらの蝶の羽ばたきとなって、「うん、悪くないな」と思っていただければ幸いです。Twitterでは短いものを掲載中です。サポート感謝しております。

マガジン

  • 一を見聞きして色々考える

    ニュースや現実、小説や音楽、書籍や誰か、アートや文芸などのひとつの「事象」から色々なことを考えてみたものが収録されていく予定です。

  • 電脳断捨離実行録

    お気に入りのフォルダもメールのフォルダもタグも上手に分類できない。ワードやメモ帳のファイルも探しづらい。メインのメールアドレスにもう見やしないメルマガが届き続けている。 面倒くさい。面倒くさい面倒くさい面倒くさい面倒くさい面倒くさい! これは、アカウントの管理もメールの管理も自己管理も?含め、何から何まで理想的なムーブができちゃいない「僕」の電脳断捨離からはじめる生き方改め計画がいきあたりばったりにならないための、自問自答と計画立案の様子から載せていく実行録のマガジンである。

  • salvaged / eLu : 【≠R】

    かつて詩のサイトやってました。 ジオシティーズの終わりとともに消えたサイトの作品たちです。 イマがあの日々の延長線上にあるなんて不思議な気分です。 誰にも思い出してほしくはない。気づいてほしくない。 でも、と思う。 これは、陰干しのようなマガジンです。

  • [X]と引き寄せの法則

  • よこになるよいのくち

    横になる宵のくち、そこはかとなく思ったことから派生していく由無し事から生まれる自由詩だか散文だか。

最近の記事

  • 固定された記事

ぼくは常時被害者ではなかった

ぼくは常時被害者ではなかった ぼくはいたずらもした ぼくは父母に叱られた ぼくは姉兄に叱られた ぼくは祖母に叱られた ぼくは近所の人にさえ叱られた ぼくは横目にざまあみろと思ったことがある ぼくはこわくて見て見ぬふりをしたことがある ぼくは聖人じゃない ぼくは矢張り常時被害者ではなかった #自由詩

    • 両の概念

      右手だけでは拾えぬものと 左手だけでは拾えぬものがある 右足だけでは踏めぬものと 左足だけでは踏めぬものがある 右脳だけでは至らぬものと 左脳だけでは至らぬものがある なぜ両手があり なぜ両足があり なぜ両脳があるのか 右手だけでは拾えぬものと 左手だけでは拾えぬものがある 右足だけでは踏めぬものと 左足だけでは踏めぬものがある 右脳だけでは至らぬものと 左脳だけでは至らぬものがある

      • 無料ガチャに見立てて

        ご無沙汰しております。ともくです。 ここしばらく何をしていたのかと申しますと、自分語りの文章を書こうと躍起になっておりました。とはいえ、やってみると凝り性な気質のせいでなかなか自分にゴーサインが出せず鬱々とした気持ちでドキュメントファイルと向き合う日々。それにもいい加減いやになってきたころ、友人から、別の活動場所を紹介?してもらいまして、オタ活の一貫めいた感じで向き合ってみることにしました。 そこでは、申請して運営さまの承認を得ると、多めにポイントが貰えるってなことも出来

        • ビンゴ

          幸せの種類はポケモンより多いし 愛の種類は星の数より多いらしいです わたしが数えたわけじゃないですけど せっかく耳にしたから話しておこうと思って なんでも千差万別とか十人十色とか 人はみんな違うんだよって四字熟語があってですね 微妙に見えている世界の捉え方がひとによって違うそうです ノットイコールらしいです 明らかに似てる双子でも性格に違いがあったりしますし たしかクローンがいても同じ時間に同じ椅子に座れないので誤差は出るそうです 螺鈿細工のような繊細の結集が人間なので衣食住

        • 固定された記事

        ぼくは常時被害者ではなかった

        マガジン

        • 一を見聞きして色々考える
          9本
        • 電脳断捨離実行録
          12本
        • salvaged / eLu : 【≠R】
          17本
        • [X]と引き寄せの法則
          3本
        • よこになるよいのくち
          7本

        記事

          チキン

          街は特別な日をリレーする 我が家は少し特別な日を経由する チキンを食べて おいしいねってわらう 毎年の恒例行事 欠くことなく 実家にいる人はそうする もし ぼくがここにいなかったら 父母はチキンをたべるだろうか 少しずつ耳が遠くなって 少しずつ我慢が効かなくなって 少しだけ忘れっぽくなって 少しだけ感情にアクセルが乗る ふたりだけのときには 険悪にならないための薄氷があって それがたびたび割れる音がして 慌ててふたりのあいだに割って入るけど ぼくがここにいなかったら どうなっ

          near and dear

          泣いて生まれた産声を 立派に泣けて偉いと褒めて まだ見ぬ未来に思いを馳せる すべての過去に記憶がめぐる よろしくこれから愛しい君へ 生まれてくれてありがとう near and dear near and dear

          瑪瑙の音

          障子戸の向こう側 雨後澄み渡る月灯りに抱かれ 濃いくれなゐの 山桃の実はまさに 奥付まで辿り着くが如く 淡麗かつ濃醇な甘酸味の完成をみる 常楽我浄に至り 愁いも無く 天鵞絨のような艶めきを宿して 奥付から表紙に戻るが如く 目を行き来させるだけの魅惑を纏う 電気信号の隆盛を 当然のように恋と証するのならば 嘘偽りのない心は愛に近く 誤魔化しようのないこころは恋に近い 罪状の無い内心の自由に 入り乱れ存在する理性と本能のココロ まして片一方だけでは 澄み渡る月明かりに常夜灯は点か

          遠のけば薄まる

          最近、「ダンバー数」なるものを知った。 ざっくりといえば、友だちは100人くらいつくるのが限界で、親友から知人とか顔見知りくらいまでの階層があって、全員と大親友! てことにはならない。みたいな考え方らしい。 先週知ったくらいのにわか付け焼き刃なので間違ってたら申し訳ないのだけれど、僕としてはそういう解釈。 ひと学年でも、よく遊んでたのは5人くらいで、クラスメイトとはたまに。別のクラスの子の家に行って遊んだことはない。なんなら話したことない同級生もいた。ので、この概念はわりと

          遠のけば薄まる

          知らされる

          思い知らされて 思い知らされて 思い知らされる 雨が降っている 降る雨を見つめ 降る雨は見つめ 雨は雨を見つめ 雨は上がらない 雨は落ちていく 雨が降っている 雨が降っている 思い知らされる

          くしゃみの気配

          理性がなかったらケダモノなのかな 俺の理性がなくなったら 暴言や暴力や性衝動にシームレスに従うようになるのかな 言語は失うのかな 道具も扱えなくなるのかな 理性が僕を僕たらしめているのかな 理性が働いていないときの僕は 僕じゃないのかな 寝ているときの僕は僕じゃないのかな 僕は起きたら僕だけど なんで寝る前と同じだと認識できるほどの差異でいられるんだろう 僕は明日も僕でいられる保証なんて そもそも 昨日の僕が僕である証拠すらないのに 僕は僕をやるんだ 台本もないのに 本能の僕

          くしゃみの気配

          二者間ドボンクイズ

          僕の認識と価値観と言い分があって 君の認識と価値観と言い分がある 譲れるものと譲れないものがあって 君の選択は僕と関わらないことだった 僕は話したかったし関わりたかった でもそれはかなわない 決してかなわない それでもの先は罪になる 罪の先は罰がある 罪と罰の先に君の笑顔はない 手前にもなかった 無いものの先には無い 僕の認識と価値観と言い分があって 君の認識と価値観と言い分がある 僕だけの認識と価値観と言い分が正しいなんてない 二者間の正解しかない 僕の思う二者間の正解では

          二者間ドボンクイズ

          行方

          今日も引きたくもない引き金を引かされている 引かなければ家族も裏切り者扱いされる 撃てば撃ち返され 昨日 夕食時に家族のことを話し合っていた隣の奴は 今日はもういない 俺も悪魔のひとりだと思われているのかもしれない 明日にはいないのかもしれない 憎しみ合って引き合う撃鉄ならば迷わなかった 俺自身は憎んじゃいない 嘆いて呪っている 隣人を討てと言われる声に逆らえない どっかの国じゃ 我々を討つことに「感動」をおぼえたらしい こうしたくってこうしているわけじゃない こうなりたくっ

          おおおばさんが亡くなった。(日記)

          祖母の妹さんが亡くなった。 昨日のことだったらしい。 沖縄に住んでいる。94歳だった。 たぶん、おおおばって続柄になるんだろう。 ここらへん難しくてよくわからない。 昔、小学生か中学生くらいの頃、白血病で入院したおばさんのお見舞いで沖縄に帰ったとき、病室の扉越しに、動けないはずのおばさんと初対面を果たした日、おおおばさんの家で食事をした。 かめーかめー(食べなさい食べなさい)と、食卓いっぱいに並んだ畳の上の低い食卓のうえにドッサリ並んだすき焼きや天ぷらなどを食べさ

          おおおばさんが亡くなった。(日記)

          僕は僕に語り継ぐ。

          震災を語り継ぐことの難しさに関する特集をテレビで見た。 あの頃、僕は子どもで、家族を失ってはいなくて、見知った友人は生きていた。学校ではなくなった人がいて、でも、悲しいという感覚は薄かった。 比べれば浅い傷跡のぼくが語れることは多くない。 そのことを思ったとき、戦争を語り継ぐことの難しさの特集とリンクした。 語り継いでいく人の高齢化で、強烈な実体験を語れるひとが減っている。 編集された映像や、史実から作られたドラマではなく、生き証人の生の言葉が消えていくということは、そ

          僕は僕に語り継ぐ。

          ひと

          世界にも そこかしこにも 私利私欲の為に手を染める罪人がいて 同情できない理由で手を染める罪人がいて 同情はできるけれど手を染めてしまった罪人がいる 背景や事情は 時折軽んじられて憎しみの増幅器の生贄にされる 罪人には国籍があって X中の学生は不良ばっかで嫌になるな なんてレッテルを貼られたり 陰湿な目だったり 冷酷だったり 冷淡な目で所属を分類されたりして きっと誰かの責任が連帯されて 背負わなくてもいい されなくてもいい扱いを常々されて 人扱いされないのなら 人でいる理由

          ともにしらがのはえるまで

          君が幸せなのだろうかと思い 君は幸せではなく けれど日々を続けているのだろう と わかったような想いに着く だからさっきふと 選ばれなかったことで僕も君も 都合よく腹の底を見せあえる幸せの毒に呑まれる 君がくれたこの幸福は骨に染み 時折こうして軋み疼くのと引き換えに命、 果てるまで友情を。 初校

          ともにしらがのはえるまで