遠のけば薄まる

最近、「ダンバー数」なるものを知った。
ざっくりといえば、友だちは100人くらいつくるのが限界で、親友から知人とか顔見知りくらいまでの階層があって、全員と大親友! てことにはならない。みたいな考え方らしい。

先週知ったくらいのにわか付け焼き刃なので間違ってたら申し訳ないのだけれど、僕としてはそういう解釈。
ひと学年でも、よく遊んでたのは5人くらいで、クラスメイトとはたまに。別のクラスの子の家に行って遊んだことはない。なんなら話したことない同級生もいた。ので、この概念はわりとわかる。
部活動で先輩と知り合って、仲良くなる先輩や後輩がいても、全員とは仲良くならなかった。
mixiをやってきたなかでも付き合いに深い浅いみたいなことが生まれたので、体感が言語化されてたみたいな感覚だ。

ダンバー数の階層がお互いに似通っていたら、それはすごく幸福なことだけれど、ひとりずもうだったら色々と問題が起こったりするんだろうなぁ。と思い至り、自分自身のホームページ運営時代からことが思い出されて恥ずかしいやら申し訳ないやらとなるものの、この概念がわかっていても気をつけていられなくなるのが厄介なところで、これは忘れないようにしたいと思いなおしておきたい。

とはいえ、せっかくなら階層の深い?関係を築けたらと思ったりもして。

昔は恋愛脳がそれとくっついてご迷惑をかけたこともあったし、恋愛関係より傲慢な、心理的結び付きが強い関係になりたい欲求が強くなりすぎて変になった時期もあったので、なるべく強火にしない、アクが出てきたら鍋を入れ替えるくらいの気持ちを心がけつつ、他人様に頼るのではなく頼って頼ってと雛鳥のように暴食で怠惰で傲慢な態度もとらぬようにしたいはしたいんですけど、できてないかも。

自分で自分は見えんのよ。



という、書きかけの日記めいたエッセイもどきみたいなボヤキを書いている中、USBの紛失事件のニュースを知った。

報道される情報が増えて、下請けの下請けが~みたいな情報に出会って、少し自分から遠い人や物事に対しての責任感って薄れるよなって思った。
親友や恋人となら5分しか駅で会えなくても会いたいと思うけど、ただの知り合いとは別に無理して会いたいとは思わないわけで。
距離が離れると責任感とか重みとかが減っていくのは少しわかることで、ダンバー数そのものの説明とは少し掠るだけかもしれないけれど、多重下請けの問題のどこかに、人間のどうしようもない心理現象があって、責任の減衰みたいなことはあるんじゃないかなと思った。

(構造上、責任感の減衰は、責任感の個人差とは別系統で存在し発生するので、それを前提とした「何か」が用意されないと駄目なのかも?)

とはいえ、組織が大きくなると、ひとりで全体を統率できない。
そこで深いダンバー数の人間に小さな集団を任せる。みたいな事が起こる。
でも、小さな集団と社長とのダンバー数に変化イベントが起こるのかな?
と、思った。
プレゼンとかやり遂げた仕事の評価で、貢献度で選ばれることはあるかもしれないけれど、それは別に階層が上がったわけじゃないような気がする。
すごく巨大な組織になると、地方のバイトが本社の社長と会うわけじゃない。店長とのダンバー数が上がって本社に呼ばれることがあっても、本社の社員や社長とのダンバー数が上がるまではいかんともし難いジレンマが起こる気がする。

管理職の人は、上とのダンバー数も下とのダンバー数も横とのダンバー数もある程度は上げないと円滑にはいかないわけで、その相手がダンバー数の階層が合わなかったり、上昇や下降に地雷があったら大変なわけで。胃が痛いなぁ。

と、お仕事系のドラマやらを見てみて妄想していたことと無責任にもつながったりもした。実際はもうすこしシステマチックなんだろうけれど。
飲みニケーションもダンバー数の深化が目的だったのかな。褒めるとかのやつも。形骸化すると意味ないみたいだけど。(兄の元職場のことを思い出した)

余談だけど、このダンバー数のシステムをわるーくうまーく利用したら勧誘系になるのかなと思ったりもした。

話の着地点を見失ったのでここで終わろう。

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