僕は僕に語り継ぐ。

震災を語り継ぐことの難しさに関する特集をテレビで見た。

あの頃、僕は子どもで、家族を失ってはいなくて、見知った友人は生きていた。学校ではなくなった人がいて、でも、悲しいという感覚は薄かった。

比べれば浅い傷跡のぼくが語れることは多くない。
そのことを思ったとき、戦争を語り継ぐことの難しさの特集とリンクした。

語り継いでいく人の高齢化で、強烈な実体験を語れるひとが減っている。
編集された映像や、史実から作られたドラマではなく、生き証人の生の言葉が消えていくということは、その日から、同じ悲惨がないという幸福と、喉元過ぎて熱さ忘れるがごとく同じ過ちを招きかねないという危うさの高まりに挟まれた時間経過であるというニュアンスの言葉を覚えている。

時が過ぎれば、自分の過ちもすっかり忘れてしまう。
世代が変わっていけば、別の喉になるのだから、余計に忘れる。
それは仕方がないといえば仕方のないことだ。
それをけしからんと言っても仕方がない部分はあるのかもしれない。
でも、別の手段で伝達して残すことはしなければいけない。
実際に体験していなくても、語り継いでほしいことは残されている。

怪談師みたいな、伝聞する存在でも、相手に何かを残せるのならば、別に実体験をしていなければいけないってことはないのだ。
落語だってそうだ。娯楽だけじゃなくて、教訓めいたものもある。

世代が変わって、予算編成や優先順位が変わっていく。
とかく、昔の教訓なんてものは、校則や親の言いつけのように面倒くさい。
形骸化したら、カタチだけが残ったら、灯せない。
知識ではなく想いの灯をわけていくようなことを志さなくてはいけないのかもしれない。手法はわからないけれど、何かあるはずだと思う。

疑似体験という意味ではVRみたいなものもアリなのかもしれない。
実際の街だと怖くなるかもしれないから、ゲームのイベントであるといいのかもしれない。お説教臭くなく、疑似体験をする。

避難訓練的な、お勉強的なものとは別に、娯楽の中に学びを忍ばせるのはひとつの手段かもしれない。ときに、伝えたいものを伝えるべきではないと邪魔する存在も現れるかもしれないけれど、そういう存在がいたことで魔法は失われたのだ。みたいな演出もできるかもしれない。

そこばかりに力を入れると、ただの授業コンテンツになってしまう。
そうなれば押し付けがましくって嫌になる。過去の自分がそう言っている。

残すべきことをどうやって残すのか。
ということは、やはり人間の課題なのだろう。

歌や物語、言い伝えや怖い話、資料や公的な文章。
手を変え品を変え、何かしらの大事な本質を残してきたのかもしれない。

ぼくは独身で子どももいない。
姪っ子や甥っ子には、姉貴夫婦が伝えることだろう。
ぼくには伝えるべき相手も、本質も浮かばない。

だから、ぼくは僕自身に一年に一度くらいは伝えておこうと思う。
あの日から28年ほど。
何やかんや喧嘩したり、うざかったり、面倒だったり、心配だったりするけれど、あの日、おかんがタンスから陶器の貯金箱が落ちそうだからと慌てて覆いかぶさってくれたことを忘れずにおったほうがええで。

ということを。

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