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氷河期世代女子がアラサーだった頃の話

01.

大学時代から社会人何年目かにかけて付き合っていた人がいた。

大学で出会ったんだけど、たまたま同じ県の出身者だった。都会で同じ県の出身者に出会うことは珍しく、趣味も合ってすぐに仲良くなった。数カ月もすると自然な流れで交際することになっていた。

4回生になり、私はたまたま現在いる都市の会社に運良く内定をもらい、そのまま残ることになったが、彼は地元の企業に就職が決まった。

仕事に関してはお互いにやりたいことがしっかりとあって、それを尊重していた。卒業後には別れることになるのかなぁ、と薄々感じていて話し合ったりもしてみたが、私たちは結果的に別れずに遠距離恋愛をすることになった。

02.

社会人になってからの私はとにかく激務で、朝も晩もなく働いていた。始発の地下鉄に乗ることもあったし、終電後にタクシー帰宅することも(当時は会社の経費でタクシー帰宅できる余裕があった!)。でも希望して就いた仕事は楽しかったので、身体を壊すギリギリまで、というか何度か軽く体を壊して限界を知りながら、若さと体力にまかせて目先の仕事に没頭した。

忙しい自分にとって、遠距離恋愛というのはこういっちゃアレだが「ちょうど良かった」。どんなに仕事で凹んでも、彼氏がいるという安心感。深夜でもメールや電話ができる。日常の些細なことに干渉されない自由さ。誘われて合コンに行くことも、一人で飲みに行くことにもまったく気兼ねしなかった。毎日新しい出会いがあるが、誰か物理的距離感の近い他の人がいいと思う瞬間も本当になかった。

そして月に1回程度は彼から会いに来てくれる。何より彼は仕事に9割ぐらいの体力と熱量を割く私を応援してくれていた。

そんな生活をしていたら遠距離恋愛はなんと5年続いていて、友人に珍しがられたものだ。

実家に帰省するときに、地元で彼が一人暮らしをしている家に立ち寄ることも多かった。そのまま実家まで車で送ってくれ、私の両親に朗らかに挨拶したりして、うちの親はまあおそらく「都会でわけのわからない生活してないで、早く結婚して地元に戻ってきたらいいのに」と思っていたのは間違いない。

03.

事件が起こったのはある年の8月。

実家に帰省する前に長距離バスに乗って彼の住む街まで行き、家を訪ねた。その年に引っ越したらしく、初めて足を踏み入れる新築のきれいなアパートだった。彼の家に1泊して、翌日私の実家に帰る予定で。彼は翌日は出勤日といっていた。

前のアパートより少し広く、キッチンもきれいになっていた。といって、前のアパートに来たのも何カ月前だったけ…という感覚だったんだけれども。一部の家具や家電も新調されていた。

コンパクトなコーヒーメーカーはマグカップに注ぎ入れるタイプで、マグカップが2つ並んでいた。私は何の気なしにおしゃれなその製品を褒めた。彼は「朝、うまいコーヒー飲んで出勤したくて」とか何とか言っていたような気がする。

寝室の棚の中に、数冊のシリーズレシピ本があった。確か『小林カツ代の家庭料理云々』だったと思う。料理をするような人ではなかったけど。それも悪意なく話題にすると「たまに料理するようになって」とか何とか言っていたような気がする。

洗面台を借りたら、収納棚にfreeplusの化粧水や乳液があった。CHARAのCMソングのやつだ。これには正直、ちょっと嫌な予感を感じた。ただ彼には仲の良いお姉さんがいたので、その線もあるかなと思った。当時自分がそう思い込んでいたのか、彼がそう言ったのかどうかはちょっと思い出せない。

しかしそんなことを気にしている場合ではなかった。「金曜7時にメールマガジンを配信する」という外せないルーティーンがあるのだ。当時会社のWeb業務の現場を実質1人で回していた私は、どこにいてもこの仕事を忘れるわけにはいかなかった。原稿を間に合わせてくれるスタッフのためにも、金曜7時のリアルタイム配信を死守せねばならない。

彼にパソコンを借り、原稿をチェックして配信作業に取り掛かる。コスト削減のために最近ASPを切り替えたばかりで、コストを縮めた代わりにちょっとややこしいUIになっている。私もまだ操作に慣れていなかった。

30分ほど借りるつもりが1時間経とうとしていたその時、彼の携帯が鳴った。

相手と何か話して電話を切ると、彼が私のところに神妙な面持ちでやってきた。

「実は、こっちで(付き合ってる)女の子がいて…その子がいま、下(駐車場)に来てるから、ちょっと出てくる」

彼はそう言った。

は?

このとき彼が「ごめん…」とか「謝らなきゃいかんことがあって…」とかもごもご言っていたような気もしないでもないが、そのへんのディテールがいまの私の記憶にはない。

「こっちに」だったか「こっちで」だったかも覚えてない。どうでもいいかも知れないけど、ここの助詞のニュアンスは重要な気がする。

…は?

とりあえず混乱しながらも、薄々の薄々感づいていた部分がゼロではなく、いったん状況は飲み込んだ。なぜならいまの私は、とりもなおさずメルマガを配信しなければならないから。

そして無事にポチッと配信したが、出かけた彼が戻ってこない。一向に。

私の携帯にときどき連絡が来た。ここも電話だったかメールだったか覚えてないが、要はこんな内容だった。

・「こっちの女の子」はアポなしで急に来た
・「彼女が来ているから」と、彼は車内でその女に別れ話を切り出した
・相手は彼女持ちだと知って自分と付き合っていた
・別れ話に相手が納得しない

ソース:18年後の私の脳

…は?

ここで私が車に乗り込んでいって2人にビンタするぐらいの元気があったら良かったのだが、メルマガ配信で気力を使い果たしてしまった。残念だ。

あと、もう2人のことは置いといて、家を飛び出してしまっても良かったのかもしれない。だが土地勘がない。

そして1時間。…2時間。

夜9時、お腹が減ってきた。

冷蔵庫を開けると、ごはんと納豆と缶ビールがあった。それはスーパードライだった。彼氏の言い訳の端々はぼんやりしてるのに、化粧水やビールの銘柄は鮮明によく覚えている。

納豆ご飯をかっこんでビールを飲んだ。TVをつけると、週末らしいにぎやかな番組もやっていたがそういう気分にはなれなかったので、延々とJ-POPのヒット曲が流れ続けるチャンネルにしていた。

なので今でもミスチルの「未来」とバンプの「プラネタリウム」を聴くと、あの部屋で1人過ごしたの謎の一夜を思い出す。

その後私は眠れなかったわけではなく、たぶん少しソファで寝た。ようやく玄関が開いたのは、午前6時か7時だったはず。

彼はげっそりした表情で「これから出勤なので解放してもらった」という。

04.

私は駅まで送ってもらい、盛大なもやもやと共に実家に帰った。実家ではおおむねぼんやり過ごした。目の前に収穫シーズン前の青々とした田んぼが広がっていて、生命力みなぎる彩りなのに、私の心の中はサラッサラ。

彼を放置しすぎていたことに対する反省とかはこのときはまだ芽生えていない。

ぼんやりしている間にも、彼からメールが入っていたのかもしれない。多分「今夜電話するから」とかそういった類の。しかし私はおおむねぼんやりしていた。

その晩だったかに電話を受けて、彼と冷静に話をした。

・彼女は会社の同僚である
・こっちで1年半ほど付き合っていた
・相手は彼女持ちだと知って自分と付き合っていた(2度目)

ソース:18年後の私の脳

努めて冷静に話をしたが、次の瞬間に怒りと気持ち悪さがこみ上げてくる。
彼はこう言ったのだ。

・彼女と直接話してみてくれないか

ソース:18年後の私の脳

…はあああああぁぁぁぁぁ!?

ちょっと意味が分からない。お前がどうにかせえよ。

サラッサラの心で努めて冷静に彼女と話をした。謝罪はしてくれたのだと思う。彼女は彼をかばっていたのだろうか? 何のつもりで電話口で交代しているのか。意味が分からなすぎる。

そして電話を切ったのだと思う。
今振り返ってみても腹立たしい展開だな、ここ。

その後、メールで、電話で、彼に何度も何度も謝られた。彼女とは別れたようだ。それで私は「もういいよ」と返事をした。許したわけではない。面倒くさかったのだ。

恋愛感情はかなり冷めていたが、この頃は私から別れを切り出す胆力も足りていなかった。積み重ねてきた年月、ほだされた情もあった。

彼が会いに来たときに会話することはできたが、触れられるのとかは、もう正直無理無理無理。まじで無理。

よく「彼氏が浮気した瞬間に、生理的に無理になる」というエピソードを聞くが、なるほどこういう感覚なのだなと腑に落ちた。

遠くから会いに来てくれた日も、できるだけ仕事をこなし、会社帰りにも「一人で飲みに行かせてくれ」とかわがまま放題言って、最小限の対応をしていた。

ひどい男だし、ひどい女だ。

05.

そしてあるとき彼は「あの件で反省して、覚悟を決めた」という。

秋のある日、彼の両親がこちらに来ているというので、食事に呼ばれ両親を紹介された。とても和やかなご両親で、楽しい時間を過ごした。

…は?

いやいやいやいやあなたが結婚の覚悟をしくれても、私はまだ何も覚悟してないが? 仕事どうすんの。

とはいえ彼は「こっちが仕事を辞めてもいい」と、私が紹介した職場の試験を受けたこともある。

一方、ちょうどその頃、私には実は新たな出会いがあった。

傷ついた人間は弱い。予想外に突然溺れたので近くにあった藁にすがってみたら、信じられないくらいに沼った。明確に確認したことはないが、おそらくあの「相手の女」と同じ地位に成り下っていたほどに、うっかりと。

その後、年末にも遠距離恋愛の彼が来て会ったりもしていたが、私が沼にハマってようやく気づいた。

「…もう潮時だ」

06.

バレンタインデー前に「渡したいものがある」と伝えて彼の街へ向かった。私から彼を訪ねるのは珍しいことで、彼は喜んでいたようだ。少しドライブして、お茶を飲んでいるときに例の物を差し出した。

合い鍵である。彼の家の。

というかあの家はもう気持ち悪くて、あれから足を踏み入れられていないのだが。

「これはもう返すから、あなたも私の家の鍵を返してください」

実質的にようやく私から別れ話を切り出したわけだ。

現場ではゴネられ、それからまたやや時間があって、合い鍵が手元に戻ってきた。それが何月だったかもう思い出せない。春だったような気もするし、夏だったような気もする。お互いの最低ぶり責めることはあったが、あまり感情的にケンカはしていないような気がする。

私は気づくと28歳になっていた。

振り返ると、

この時私は単に彼氏と別れるという決断をしただけでなく、「地元に戻って家庭を築く」という可能性を、能動的に閉じた。

そして明るい将来がいっさい見えない悪い沼に、相変わらずハマっている最中に、学生時代の友人からペロレロレーン♪ とメールが来た。

「結婚が決まりました^^」

なるほど。我々はもうそういう年頃か。

仕事は相変わらず心を無くしそうながらも楽しくて、友人たちが次々結婚していくラッシュの中、こう思いはじめていた。

「あれ、もしかして私、結婚しなくても幸せになれる女なんじゃないか?」

そして30歳になった頃、(物件に)運命を感じてマンションを買い、さらにネコを2匹飼い始めるわけですが、それはまた別の話。

さらに翌年ぐらいに別れた彼から年賀状が来て、私の知人と結婚するという報告がされていたのも、また別の話(この話は書きません)。

我々就職氷河期世代には、ミスチルの「未来」の歌詞が染みますね。


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