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入社3年めプロデューサー職がめちゃくちゃ辛かったからいまさら供養したい

ユキッ先生です。ラジオとゲームの現場を10年ずつやって、コンテンツプランナーとして最近独立してみた人です。
きょうはキャリア振り返り編。

クリエイティブ系職種では「プロデューサー(略してP)」や「ディレクター(略してD)」という「職位」がありまして、ラジオでもゲームでも、プロジェクトチームには必ずその立場のかたがいらっしゃいました。いわずもがな、プロジェクトを左右する重要なポジションです。

ただ、プロジェクト規模には大小あり、ラジオとゲームという業種によっても共通する点とそうでない点とがあり、プロジェクトの「仕切りかた」あるいはそれへの「関与のしかた」もPやDの数だけ特徴があり、現場の一員としては、PやDとどのように関わると(プロジェクトのために/自分のキャリアのために)ベターなのか、というようなことを考えながら過ごしていた20年間でもありました。

私自身もラジオ局での若手時代に番組P、Dを経験したのですが、そのあいだにいちどWeb系の事業部での数年間を挟んでいて、そのおかげもあってか、前期と後期とで、仕事への考えが明確に転換しました。

▽入社3年目でプロデューサーになることは決まっていた

ラジオ局に入社して制作部へ配属されましたが、入社直後から当時の局長から「半年AD、1年半D、3年めでP」というキャリアプランを明確に伝えられていました。いやむしろ、20年間の会社員生活で、そこまで明確にキャリアプラン伝えられたことって、それ以降なかったですよ。まあ風土的に日本企業ではあまりないかもしれませんけど。

2000年代の初頭、「プロデューサー」というのは世間的にかなりバリューの強いことばで、特に音楽業界での小室哲哉さん、小林武史さん、つんく♂ さんあたりの「敏腕プロデューサー」「プロデューサー=カリスマ」みたいなイメージが世の中的に先行していた時代でもありました。あとファッション業界とかもね。

▽リーダーシップからほど遠い私にそれは務まるのか

私は中学校以来徹底して文化部で、なおかつ部活やサークルでリーダーを務めた経験もなく、そういふものになりたいと思ったことも、推薦してもらったことだってなかったんです。「番組作りに関わりたい」とは思っていても、「ディレクター/プロデューサーになりたい」と考えたこともなかったので、「そんな大役が私に務まるのか」という不安しかなかったですね。

当時は、「局の社員であるP」のもとに、フリーや制作会社・事務所属のスタッフおよび出演者で、計10~20人程度で構成されているチームが多かったのですが、私が最初にアサインされた番組チームはとても居心地がよく、AD半年と1年半のDのお仕事は「番組作りに関わりたい」というイメージ通りで、がむしゃらに楽しむことができました。

(正確には、「他のチームは先輩Pのもと‟すでに出来上がりすぎていて”、新卒社員だからってそこに放り込むのは無理だろうね」といろんな人にいわれてました。後に振り返ると、そんな新卒社員を受け入れるムードが作れたのは、当時アサインされたチームの担当Pの手腕であり人柄の結果だったんですよね)

▽クセ強い職人さんたちの「上に」立つ人だと思っていた

そんなこんなで3年めの春に晴れてプロデューサーになったのですが、いやもうね、マジでしんどかったんです。4月にPになって、6月に1回めに倒れました。プライベートでも引っ越しした時期と重なるので、総合的にストレスが大きかったというのもありますけど。毎日吐きそうだった。

そもそも局の編成が変わって、比較的大規模なチームの入れ替えがありました。お世話になったほっこりチームは解散し、上層部が競合社から引き抜いてきた新チームの担当になったりw
やはりそのチームの前の局は方針付けがしっかりしていたようで、「こういうときはどうしてるんですか?」みたいなことを私に訊ねられても全然わからん! わけです。いや、私個人が知識不足でわからんというか、「ウチの局はそのへんノープランなんで、よしなにやってくれませんかね?」とは当時はいえず、忙しい先輩方にもなかなか相談できず、つい黙って抱え込んでしまう始末。

複数チームに関与し、若手ということで大目に見てもらったり、現場スタッフに盛り上げてもらったりして、楽しめるプロジェクトもなかったわけではないのですが、とにかく「ありかたの正解がわからない/自分には取りまとめられるリーダーシップがない/かといって人徳もない」というコンプレックスを日に日に募らせてしまう、息苦しい、暗中模索の時代でした。

▽先輩にカリスマ型が多すぎた

あと、いちばんいいのは「先輩の背中を見てそのやりかたを学ぶ」なのですが、いかんせん先輩がたに真似をしづらい「カリスマ型」の人が多かった。
そもそも私よりも一回り以上年上で、実績にもとづいた自信があり、英語がペラペラだったり音楽に詳しいというスペシャルスキルがあり、それも含めて、何なら生まれながらにして持ってるリソース(お育ち)が違うんじゃないすかね? …という次元で、簡単にその背中を追えるような気持ちにはなれなかったのですよ。

もちろん、そうでないタイプの先輩もいらっしゃったんです。「俺についてこいといわずとも人が集まってくる」タイプでなく、上手に人と人とのあいだに入って情報整理をし、ダメなところは改めて、よいところを伸ばそうとする。損な役回りも拒否しない、組織の良心とでもいうべき存在。私も大変お世話になりました。でも悲しいかな、そういうタイプは(特に当時所属してた)組織には評価されんのだよ、往々にして。

あるとき、プロデューサー会議であまりにも意見がまとまらなかったのですが、その話の流れで「私以外、全員B型」と知ったときに、いや血液型で性格を決めつけちゃならんのだけども、深く納得しました。
私はA型です。

「旗振り役はたくさんいるけれども、みんな違う方向に旗降ってて、結果的に全然進まない」。まさにそういう部署でした…。

▽別の部署での経験を挟んで、2度めに制作に戻ったとき

目まぐるしい毎日を1年半ほどやって、Web事業のセクションに異動になりました。営業部からやってきた直属上司がITやWebをまったく理解しておらずゼロスタートだったり、その上司が休職したことで営業・制作・総務と社内外のWeb案件を実質全部一人で捌かなくてはいけなくなったりと、その部署でのお仕事もなかなか大変だったんですが、とりあえず違う畑での事業の進めかたを学べたのは、一つのヒントであり、成長でした。

Web部署での数年を経て、次の異動先はまた編成制作セクションでした。またしても局の方針は変わっていたし、外部スタッフを減らして、より社員で細部タスクも賄わなければならないという背景もありましたが、2回めのプロデュースは、ざっくりいうと以下のようなマインドセットで、わりとうまくやれたような気がします。

▶職位関係なく、やりたいことをやる
チームのなかの上とか下は関係なく、ADの仕事だろうがPの仕事だろうが、私は自分がやりたいことをやればいい。実際Web事業部では、実質部長タスクもバイトタスクも全部やってたし。

▶ユーザー世代人材として、ただただ自分が面白いプロジェクトを作る
リーダーシップやスキルは先輩がたに劣るかもしれないが、私はまさに(当時の組織では希少な)ターゲットのドンズバ世代であって、私が面白いと感じるものを外から取り入れることのほうが大きな課題だった。仕事でアホほど忙しいけどそれでも私は街で遊ぶし、遊びで得たことを仕事に活かす。

▶ある意味会社の事情はもうどうでもいい
面白い仕事で実績を残せれば、別にもう会社は辞めてもいい。会社は利用するもので、若さや誠実さを利用されるのはもうまっぴらです。二度目の制作現場、これが背水の陣だ。

これでなんとか、いくつかの実績を残せたと思います。

▽その後、大学院でリーダーシップ論を学んで救われたよ

で、関連して転職後に社会人大学院に通ったときの話です。
専攻分野の必須科目と別に、「リーダーシップ論」というアントレプレナー系分野の講義を履修しました。

著名な経営者の自伝的著作を読んだり、身近な経験を洗い出しながらリーダーシップ類型を学んだりしたのですが、その一環で「サーバントリーダーシップ」というリーダーのありかたを知りました。

トップダウン式でなく、いま流行りの表現でいうと、「寄り添う」とか「伴走する」タイプのリーダーシップです。もちろん、お世話になった先輩にもそのタイプは複数いらっしゃったのですが、ひとつの理論として知るとけっこうこちらは目ウロコで、「23歳の私に届けにいきたい…(読む気力があるかどうかは別として)」と深く思いました。

カリスマ型は、本人も周囲もある意味ラクなんですよ。責任者の好みがはっきりしていると、あれこれ無駄に考えなくて済みますから。でも、責任者の感性に丸投げせずに現場も含めて「あらゆる可能性を考える/ベストを考え抜く/暗黙知に頼らず、言語化なり明示化でガイドラインを共有する/個人やチームに依存することなく、応用可能なプロセスに落とし込んでいく」というフローが、組織としてはもっと大事なんだよなあ、と、2つの組織からドロップアウトしてしまった20年後の私は考えておるわけです。

さて、テキストにしてみたことで、23歳の私のあの苦しみは成仏できたでしょうか…。
それではきょうはこんなところで。

ゲーム業界で「あ、これラジオと違うな~!」と感じたプロデューサーやディレクターの話は、また改めて書いてみたいと思います。

おしまい。

カバー写真 / どこかの飛行機雲(2013)

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